霊場と名付けられている広場のような場所に入ると、並んだお墓の前に白虎隊士が見えました。 全員、白い装束を着ています。 白の裃(かみしも)姿なのです。 あれ? いろんな資料で見た服装は紺色のような、濃い色じゃなかった? と思った私は、どうして白い装束を身につけているのか聞いてみました。 すると、自決する時は白装束と決まっている、それは武士としての作法なのに、その作法を守れなかったから……というようなことを言います。 自決が急に決まったため、準備が何もできず、薄汚れた服で切腹したことが、武士として少し引っかかっているようです。 「だから、今、これを着ているんだ」とリーダーらしき男の子が笑っていました。 まだ少年ですが、切腹の作法を教え込まれていたみたいで、それを守れなかったことがほんのちょっぴり心残りのようでした。 なんて真面目な子どもたちなのだろう、という印象を持ちました。 通説でいうと、「お城が燃えている! 会津が負けたんだ、もう終わりだ……ここで死のう」と、絶望して自決をしたことになっています。 〝お城が落ちたから〟死を選んだ……でも、実際にはお城は燃えていません。 つまり、勘違い、早とちりで死んだわけで……本人たちがそこをどのように思っているのか聞いてみました。(敬語を使わないとは何事だ、けしからん、と思われるかもしれませんが、少年たちはとてもフレンドリーで気さくな感じだったので、普通に会話をしております) 「お城が燃えているように見えたん?」 「そう見えた。お城が落ちた、と思った」 「お城が落ちたから、会津の負け、敵に辱めを受けたくない、だから死のう、と思ったん?」 「…………」 リーダーの子は一瞬、口を閉ざしました。 「下山しても周囲は敵ばかりだから、それならここで潔く死のうって、そういうことやったん?」と重ねて聞くと、 「そうじゃない」とハッキリ否定をします。 「え? 違うの?」 リーダーの男の子が話してくれたのは……こういうことでした。 お城が燃えている(ように見えた)のを目にした時、その炎の中で、自分たちのお殿様は切腹をしているはず、と思ったそうです。 お城が炎上しているのは、旗色が悪くなったお殿様が「もはやこれまで」と潔く負けを認め、切腹をして、敵にお城を渡さぬよう会津藩がみずから城に火を放った、と考えたらしいです。 仮に、敵が放った火でお城が燃えていたとしても…… お殿様は敵に捕らえられるのをよしとせず、凛々しく御腹をお召しになっているはず! と、全員がキッパリとそう思ったと言うのです。 自分たちのお殿様は武士の鑑のようなお方であり、偉大な人物であると信じていたので、どちらが火を放ったにせよ、切腹しているに違いない、という確信があったそうです。 そのお殿様に殉じて自決をするのは藩士として当たり前のことで……殉死しない、という選択肢はなかった、迷いはなかった、と言っていました。 お城が炎上 = お殿様が切腹 → お殿様が潔く御腹を召しているのに、自分たちは切腹せず、生き長らえるために降伏をして、のこのこと山を降りる……ことは絶対にありえない、という図式です続きをみる
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