※このお話は前回のお話と2話セットになっています。ひとつ前の記事からお読み下さると、流れがわかりやすいかと思います。 白虎隊の少年に自刃の詳しい理由を聞いて、その純粋な忠誠心に感動しましたが、実は白虎隊には、1人だけ生き残った人がいました。 飯沼貞吉さんという方です。 自決した当時の貞吉さんは、年齢を偽って白虎隊に入っていたため、まだ15歳でした。 飯盛山でみんなと一緒に死のうと、貞吉さんも刀をのどに突きたてます。 しかし、急所を外したのか致命傷にはならなかったようで、通りがかった人に救出されています。 貞吉さんは新政府軍に捕らわれましたが、長州藩士に引き取られ、その後、逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍して、昭和6年にその生涯を閉じています。 貞吉さんは白虎隊についてずっと何も語らなかったそうです。 晩年になって、重い口を開いた……と伝わっています。 それは、死に損なった自分を恥と思う気持ちがあったからでは? と多くの人が推察していますが……。 私が思うに……もちろん、そのお気持ちもあったのでしょうが、真実を言えなかった……のではないでしょうか。 本当の理由を言うと、少年たちは殿様を思って潔く自刃したのに、当のお殿様は切腹をせずに降伏した……と、主君を言外に非難することになるからです。 それだけは武士として、会津藩士として、できなかったでしょうから、相当苦しまれたことと思います。 晩年になって貞吉さんが重い口を開いたのは、白虎隊の少年たちの忠誠心を、主君を批判することなく後世に伝えたい、と考えたからかもしれません。 貞吉さんのお話によると、自刃の場では、このまま敵軍に突入して玉砕しようと唱える者と、入城を目指すべきであると主張する者とで、激論が交わされた、ということです。 敵に生け捕られることを避けようと、一同は自刃を決意した、と伝わっています。 この激論が交わされたのは死の直前ではなく、もっと早い時間……お城が燃えていると見誤る前のことではないか、と私は思っています。 本当の理由を世間続きをみる
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