日本全国あちこちの神社を訪れるようになって、「え? こんな神様がいるの?」とびっくりするような神様にお目にかかれるようになりました。 ちょっとそのへんを書いてみたいと思います。 『運玉』という本に、怨霊系の神社があることを書きました。 その神社は怨霊系だという由緒をはっきりさせていて、何時代の誰、というところまで明らかにしていました。 このような悲惨な人生を送った人を祀っているんです、というパネルもあって、参拝に訪れた人がちゃんと、そういう神社だとわかるようになっていました。 ご祭神として祀られていた人は、自分の人生の悲惨さを知ってほしい、わかってほしい、という思いがまだまだ強くて、その波動を発していました。 ですから、一応〝神社〟となっているのですが、一般の神社とは異なっていました。 境内で清々しい気持ちになることはなく、波動をキャッチしやすい人は、もしかしたら同調してしまって調子が悪くなるかもしれない……そういう神社でした。 神社の規模は、村の氏神さまクラスで小さかったです。(ちゃんと祀られているので、たたられることはありません) 先日、訪れた神社も怨霊系でした。 こちらは村の氏神さまクラスよりは大きいけれど、中規模とまではいかないかな〜という大きさの神社で、それらしい由緒も社務所もありました。 そばまで行くと、社殿には女の人がくっきりと見えます。 高松塚古墳の絵のような服装をしています。 ヘアスタイルもあのような感じです。 「飛鳥時代の人が神様なのかな?」と一瞬、思いましたが、何かがおかしいのです。 「あれ? 神様じゃない……」と、わかった瞬間に周囲の仕掛けに気づきました。 結界が張られているのです。 神様に結界を張ることはありえませんから、ああ、怨霊だったのか……と知りました。 ご本人は、「わらわは○○じゃ〜」などと言っていますが、語尾がよく聞こえません。 名誉のために神社のお名前は書きませんから、本当のことを教えて下さい、とお願いすると、怨霊を鎮める目的で作られた神社だと言います。 この神社に境内社が置かれているのは、普通の神社とは意味が違っていて、万が一結界が破られた場合に備えて、のためでした。 境内社の神様方で押さえられるように、と、工夫がされているのです。 相当強い怨念を持っていたのだと思います。 最初に建てられたお社は小さかったそうです。 祀られた当時は、「かわいそうに」「たたりま続きをみる
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