唐に留学した空海さんは、帰国後、福岡県太宰府市にある観世音寺に滞在しています。 空海さんの留学期間は20年と決まっていたのですが、それを2年で切り上げて帰ってきたため、京に入ることを許されなかったからだそうです。 その後、大阪府和泉市にある槇尾山寺(施福寺)に移ったとされ、さらに京都高雄山にある高雄山寺(神護寺)に移っています。 太宰府天満宮に行く途中に、都府楼跡(とふろうあと)と地元の人が呼ぶ、「大宰府政庁跡」があります。 ここは広場と言うか、自然公園のような広々とした場所になっていて、そこをブラブラ歩くと大昔の栄えていた当時の「気」を感じることができます。 そんな大宰府政庁跡のすぐそばに観世音寺があります。 空海さんと縁が深いお寺です。 このお寺の土地は非常にキレイでスカッとしています。 古い石垣が残っていたり、土の地面にじかに建ててあるお堂など、近代化されていない小さな部分に情緒があります。 おすすめは、宝蔵(観世音寺収蔵庫)です。 多くの仏像が安置されていて、美術品として見ても素晴らしいです。 今はもう仏様本体と道がつながっていない仏像もありますが、まだつながっている! という仏像もありました。 展示室に入ってすぐのところに、ものすご〜く怖い顔をした兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)という仏様がいます。 地天という女神が体を支えている像になっていて、上半身だけの女性が、肩まで上げた手の、手のひらに足を置いている立像です。 女性の手のひらに立っていますから、ものすごいインパクトがあります。 大変恐ろしい顔をしていますが、慈悲のある優しい性質の仏様です。 じーっと見つめていたら、わざと怖い顔のままで目だけジロッとこちらを見下ろしていました。 その横には坐像のお地蔵さんがいます。 こちらは本当に優しいお地蔵さんで、優しいという言葉をいくつ重ねても足りないくらいの優しさを持っています。 もちろんお顔も柔和で、ホホホと上品に笑っていました。 メインである5メートルの大きな仏像のうち、馬頭観世音菩薩立像が素敵でした。 こちらも顔は怖めで、横のほうから見上げると「ひぃ〜!」とビビってしまう顔をしています。 憤怒の形相だそうです。 そのお顔を正面からじーっと見つめていると、いきなりフッと笑顔を作ってくれます。 それが、わざと眉を思いっきり八の字にするので、なんだか情けない笑顔、みたいになり、怖い顔とのギャップに思わず吹き出してしまいました。 顔ギャグとでも言いましょうか、明るい性質の仏様です。 もう1回見たいなー、とワクワクして見ていたら再び眉八の字笑顔をしてくれました。 ユーモアのある仏様で、楽しかったです。 展示室の奥の一角に、阿弥陀如来坐像と四天王像があります。 この一角がすごいです。 ここだけ仏様の世界と直結していました。 空間が違うのです。 展示室内は3次元の世界ですが、四天王が結界を張っているからか、4仏像の中は仏様の次元です。 ここの阿弥陀様の波動をいただくだけで(お顔も福々しくて優しいです)、入館したかいがあったと思えるほどでした。 最後のおすすめは、大黒天像です。 長袖の貫頭衣(かんとうい)っぽい上着を着て、下は膝丈ズボン、肩には布を巻いて前で結んでいます。 そして袋をかついでいます。 見た目、「え? 弥生時代の庶民?」という格好です(失礼な表現ですが、きっと皆様もそのような印象を持たれると思います)。 さらにですね、お顔が人間の顔……というのも変ですが、いわゆる仏様独特の顔ではなく、とってもリアルに作られています。 この仏像のすごいところは、その目ヂカラです。 半端なくすごいです! 正面からじいぃぃーっと目を見つめていると、本当に吸い込まれそうになります。 さらにひれ伏したくなるような、不思議な気持ちにもなります。 「財運をくれないのですか?」といきなり聞いてみました。 というのは、本来は戦いの神であるという説明があったからです。 でも、袋を持ってるしな〜と思ったので、 「その袋に入っていないのでしょうか?」と重ねて聞くと、 「財運は自分でつかめ」とクールなお答えが返ってきました。 非常に淡々とした大黒様です。 しかし、なんとも言えない魅力があり続きをみる
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