※前回の続きです。 お願いする内容によっては、仏様のほうがよい、ということがわかって、「では、ちょっとお願いをしに行こう」とお寺へ行くことにしたとします。 ここで、注意しなければいけないことがあります。 前回、お伝えしたように、仏様はあちらの世界の管理をしています。 そのことを熟知していた昔の人は、自分によくないものが乗っかった時、お坊さんに除霊をお願いしていました。 霊の障りなどがあると、お寺に駆け込み、助けてもらっていたのです。 こうして、その人の背中に乗っていた悪いものは、お寺で落とされていました。 お寺には、落ちた悪いものが閉じ込められています。 歴史のあるお寺だったら、遠い昔の過去から現在までの間に、お坊さんが退治したよくないものがわんさかといます。 量がハンパないのです。 しかし、それらは仏様がしっかりとおさえ込んでいますから、知らずに行っても問題ありません。 悪霊や「魔」と戦っている仏様がいることを、前回お伝えしましたが、戦いで成敗した悪霊たちも、仏様がおさえています。 ごく普通の幽霊だったら、成仏させますが、 「魔」、悪霊、幽霊が悪霊化したもの、自然霊で大幅に「魔」に傾いたものなど、改心することがないものは、おさえ込むしかないのです。 よって、それらのものはお寺に大量にいます。 けれど、心配はいりません。 道がつながっている仏様がいれば、未来永劫、おさえ続けてくれるからです。 おさえるパワーが大きいので、参拝者に影響が及ぶことはありません。 で、ここからが、今回、私のお伝えしたいことです。 実は、仏様と道のつながった仏像がない、というお寺があります。 廃寺はもちろんそうですが、廃寺寸前、というところも、ほとんどの仏像は道がつながっていない、と思ったほうがいいです。 このようなお寺は避けるようにします。 跡を継ぐお坊さんがいない、なので毎日の勤行をしていない、法要の時には他のお寺からお坊さんが来る、しかも、その法要もほとんどすることがない…… このような廃寺寸前になると、すでに仏様が道を閉ざしている仏像があるのです。(全部ではありません) 道を閉ざしてしまうと……その仏像は仏様ではなくなります。 ただの仏像です。 つまり、おさえている悪いものたちの「おさえ」ではなくなるのです。 ど続きをみる
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