※前回の続きです。 魔物の山を見つけた、力のあるお坊さん(もしくは修験者)が、魔物たちを退治するために、 もしくは「うっかり人間が登ってしまったら大変だ」ということで、安全な山にするために、 仏像を祀り、仏様の山にしているところがあります。 仏様のパワーで、清浄な山にするわけです。 パワースポットだからそこに建てられた、というお寺もありますが、魔物の山だからそこに建てられた、というお寺もあるのです。 しかし、それが遠~~~い昔の話だったら、現在、勤行などがうまく引き継がれていないことがあります。 たとえば、400~500年前に、魔物の山を仏様の山にしたとします。 しっかり引き継ぎがされているお寺やお堂だったら、お坊さんがせっせと勤行をしていますし、滝の場合は、お坊さんがそこで読経したり、修行をしていたりします。 このケースはなんの問題もありません。 けれど、お寺がすたれてしまって、勤行がされなくなると、何百年も前は魔物たちを抑えていた仏様方でも、道を閉じる場合があります。(もちろん、閉じていない仏様もいます) 仏像が10体あるうちの、6~7体の仏像の道が閉じられてしまうと、魔物の「気」が、徐々に強くなっていきます。 もともと魔物の山であり、 その魔物を、10体の仏像で抑えていたからです。 そこが観光地になっていて、山奥でも観光客がワイワイと訪れていれば、人の流れがあるので、まだ明るいです。 魔物の「気」は、なかなか強くなりません。 けれど、そうではないところは……仏像があるお堂のまわり(狭い範囲です)以外は、暗くなっているのです。 どんより、まったりとした、なんとも言えない暗さです。 魔物の「気」は、肌で感じることもできます。 じっとりとした、気持ちの悪い湿気のような、重たく、粘った空気が体にまとわりつきます。 梅雨の湿気よりも、ねばねばした感じで、水中ではなく、泥の中にでもいるような感覚になります。 肌で「ヤバい」と感じられるくらいになっていると、これはかなり危ないと言えます。 けれど、道が残っている仏像にはまだまだパワーがあって、もしもそれが薬師如来さんだったら、病気を治す力はあるわけです。 人が訪れないぶん、叶えて続きをみる
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