元三大師御廟を出て最澄さんを呼ぶと、ふたたび出てきてくれました。 生前のお姿で、私の横に並んで、にこやかに一緒に歩いてくれます。 歩くことも修行のひとつである、と、最澄さんは言います。 そこで、ふと気になったので、聞いてみました。 「あの? 最澄さんはすでに仏様ですが、修行をしていらっしゃるのですか?」 「している」 ニコニコと答えます。 そして、ここから真面目な顔で教えてくれました。 どうして仏様になっても修行をするのか、という理由です。 話はちょっと横にそれますが、私には不思議に思っていたことがありました。 薬師如来とか阿弥陀如来とか観音さんとか、お不動さん、多聞天さんもそうですが、仏様は仏教ができた時に、人間が考えて作っています。 人間が創造した仏様なのに、どうして実際に存在しているのだろう? ということが疑問でした。 それで高野山を訪れた時に、空海さんに質問してみたのです。 空海さんによると、如来とか菩薩とか、そういう仏様は〝もともといた超高級霊〟だそうです。(詳細は、『聖地・高野山で教えてもらった もっと!神仏のご縁をもらうコツ』という本に書いています) 最澄さんが、そのことは知っているだろう? と聞きます。 「はい」 もともといる超高級霊は、神様と同じような存在です。 もちろん、もとが人間、ではありません。 神格・仏格が、非常に高いのです。 つまり、人間が死んだのちに修行を積み、仏様になっているお方とは、レベルが違う、というわけです。 もとは人間の仏様が、薬師如来とか阿弥陀如来とか観音さん、お不動さんに近づこうと思ったら、それはもう、ものすごーく修行をしなければいけないそうです。 並大抵の修行では無理だと言います。 それで、仏様になっても修行をずっとしているそうです。 「あの? でも、お釈迦様って、仏教では釈迦如来という、一番位が高い仏様になっていますが、薬師如来さんや阿弥陀如来さんとはレベルが違うの続きをみる
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