※前回の続きです。 人間である今は、神仏の声が聞こえない、神仏のお姿が見えない、という方がほとんどです。 ですから、「修行に来るか?」と神様に誘われても、その時は気づいていない、気づけない、のが普通です。 人間は死ぬと、肉体を脱ぎます。 〝魂〟だけの存在になります。 それはつまり、〝脳〟という肉体も脱ぐ、ということです。 ですから、死んだのち、何かを思い出す時は、〝脳〟に記憶されていることを取り出すのではありません。 〝魂〟が記憶していることを取り出すわけです。 たとえば、死んで成仏をしてから、「歓迎のサインが山盛りだった、あの時の参拝ってどんな感じだったのだろう?」と、印象深かった参拝を思い出すと…… 脳にある記憶ではなく、魂の記憶がよみがえります。 脳の記憶では、参道でトカゲがお出迎えしてくれたな~とか、 いきなり祈祷が始まって太鼓の音に驚いたんだっけ、 あ、そうだ、おみくじも大吉だった~、 心地よい風が頬を撫でてくれていたな、という出来事を思い出します。 しかし、魂は、見えない世界もしっかり見ていますから、脳の記憶と同時に、 眷属の大天狗が「長い石段を登って暑かっただろう」と、うちわであおいでくれたこととか、 おじいさんの姿をした神様がニコニコしながら、「よう来てくれたな続きをみる
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