Quantcast
Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
Viewing all 2426 articles
Browse latest View live

信じるべきもの

$
0
0
日々、いろいろなメッセージをいただいています。 最近、立て続けに同じような内容のメッセージが何通も届きましたので、そのことについてちょっと書かせていただこうと思います。 私がブログを始めてから、本を何冊か出したあたりまで、〝神仏を感じる〟という部分についての質問は、「わからない」「どうすればわかるようになりますか?」というのが、ほとんどでした。 それから、サインがあることをお伝えし、五感で感じるとはこういうことで……みたいなこともお伝えし、私の体験などをお伝えしていくうちに、いただくメッセージの内容が少しづつ変わっていきました。 最近は「神社でこんなことがありました~♪」「歓迎されたと思っています」「こんなふうに感じました」というメッセージがたくさん届きます。 内容を読むと、皆さん、サインを正しく受け取っていて、読んでいる私にも神仏の歓迎具合が手に取るようにわかります。 嬉しくてウキウキしました、ジーンと心に響きました、突然涙が出てきました、など、魂もしっかり反応しています。 神仏からの愛情をご自分のアンテナでちゃんとキャッチしているのです。 そのようなメッセージを読むと、「ああ、お役に立ててよかった~」と思います。 読んでいる私もワクワクしますし、「お役に立てさせてくれてありがとうございます」とも思います。(変な日本語ですね ) 今までは神社仏閣に行っても、神仏なんていないんだろうな……と形式的に手を合わせていた方が、今では神仏のあたたかさやありがたみを深く感じて、良いお参りをされています。 このように神様仏様アンテナが少しずつ正しく発達している方が多くおられます。 そこで、霊能者や占い師、スピリチュアル系の人のところに鑑定に行って……こう言われています。(下の例は、過去に多くいただいた相談の中から抜粋しています) 「**神社はあなたには強すぎる。絶対に行ってはダメ。精気を吸い取られる」 「△△神社はあなたとは合わない。参拝をしたら体を壊して病気になる」 「○○寺は一度行くと一生行かなければいけない。それをしなかったらあなたとあなたの家族は孫の代まで祟られる」 識子さん、本当にそうなのでしょうか? と私に質問をされています。 何を根拠に「精気を吸い取る」「病気になる」「祟る」と断定しているのか……その霊能者や占い師、スピリチュアルな人に突っ込んでお聞きしたいところですが、素直な読者さんはとても落ち込んでいます。 続きを読むと、**神社も△△神社も、読者さんにたくさんの歓迎サインをくれていますし、ご本人の感覚ではとても心地良い境内で、行くといつも癒されていると言います。 「大好きな神社なんです」とも書かれています。 でも霊能者・占い師・スピリチュアルな人が行ってはいけないと言うのだから……本当は合っていなかったのかな? もう行かないほうがいいのかな? と悩んでいる、というわけです。 別バージョンもあって、「あなたにはもともと霊感がない。神様をわかろうと神社に通っても無駄」という内容のことを言われた読者さんも数名います。 こちらも言われた読者さんは落ち込んでいました。 霊感がない、と決めつけた根拠は何だっ! と読んでいて続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』


桜井識子バージョン「ごんぎつね」上編

$
0
0
あるところに「ごん」という名前の小狐がいました。 里から少し離れた、山のふもとの森に小さな穴を掘って、ひとりぼっちで暮らしていました。 ごんは時々、里に下りてはイタズラをしています。 畑に入って作物を掘り散らかしてみたり、収穫して積んである作物を踏み荒してみたり、軒先に干してある野菜をむしり取って捨てたりしました。 そんなことばかりしているため、悪い狐だと村びとに思われていました。 でも、ごんのイタズラには理由がありました。 「だって人間はきつねに意地悪だから」 ごんは、まだ幼かった頃に、何度か人間に追い回されたことがあります。 隣り村の猟師がごんを捕まえようとしたのです。 きつねは鼓(つづみ)の皮にもなるし、襟巻き毛皮にもなるので、高い値段で売れていました。 森に数匹いた仲間はみんな捕まってしまい、鼓になったのか、襟巻きになったのか……その先のことはごんにはわかりませんでした。 みんないなくなって、うまく逃げることができたごんだけが生き残り、ひとりぼっちになってしまったのです。 捕まりそうになった時の恐怖や仲間のことを思い出すと、ごんは人間を懲らしめてやりたいという気持ちになりました。 そんな日はイタズラをしに里へと向かうのでした。 ある日のこと、降り続いた雨で村の川が増水していました。 「水が濁っているな~」とごんが川べりを川下のほうへ歩いていると、川の中に人が入って何かをしています。 「あれは兵十(ひょうじゅう)だ。いったい何をしてるのだろう?」とごんがしばらく様子を見ていると、兵十はウナギを獲っているらしく、四苦八苦しています。 「ウナギは難しいからなぁ」とごんが眺めていると、ようやく1匹だけウナギが網にかかりました。 兵十は嬉しそうにウナギをびくに入れます。 そして、何か用事を思い出したのか、びくをそこに置いたまま川上へと走って行きました。 兵十はきつねに意地悪をしないし、個人的に恨みもないのだけれど、「人間」なので懲らしめるためのイタズラの対象です。 ごんは茂みからそっと出ると、びくに近寄り、中をのぞきました。 そこには数匹の魚とウナギが入っていました。 ごんはまず魚をつかみ、川へと放り投げます。 どぼん! と音を立てて、魚は沈んでいきました。 続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

桜井識子バージョン「ごんぎつね」中編

$
0
0
前回のお話 → 桜井識子バージョン「ごんぎつね」上編 ごんが思わず叫んだ「あの時のおばぁ」……その言葉の裏にはこんなエピソードがありました。 まだ幼かったごんが隣り村の猟師に追い回された時のことです。 追われて逃げ回っているうちに、数人の男に囲まれてしまいました。 そのうちの1人は棒を持っています。 恐怖で動けなくなったごんを、男はその棒で思い切り叩きました。 「ぎゃん!」と思わずごんは叫びました。 経験したことがない激痛が全身に走り、「もうダメだ……」とごんが思ったその時でした。 雷鳴が轟き、近くの木にカミナリが落ちたのです。 激しい雨もザーッと降ってきました。 男たちはカミナリを恐れたのか、慌てて逃げて行きます。 ごんは痛む足を引きずりながら、なんとか森まで戻りました。 でも住んでいる穴までは、たどり着くことができません。 ごんはそのまま森の入口で倒れてしまいました。 ふと気づくと1人のおばぁがそばにいました。 「ひどいケガだな。ありゃ~、これはいけないね、膿を持ってる」 おばぁはごんをさわろうとします。 「さわるなー!」 ごんは精一杯威嚇しました。 でも、傷が痛くて痛くて、体もだるくて、ぐったりしたまま動けません。 「はいはい、悪いことはしやしないよ、見せてごらん」 そう言うとおばぁはごんの傷をたしかめます。 「ちょっと待ってな」 おばぁは森の中へ行って、しばらくすると川の水をくんで戻ってきました。 薬草もたっぷり摘んでいます。 川の水でごんの傷を洗ったおばぁは、薬草をすりつぶし、それを傷に塗りました。 持っていたてぬぐいで包帯をして、「これでもう大丈夫だ」と言いました。 「きつねっこ、災難だったな。かわいそうにな。お腹は? へってないのか?」 おばぁはニコニコとごんに聞きます。 そして、できそこないの小さな芋をふかした「ふかし芋」をごんに与えました。 「おばぁ、それ、おばぁの昼ごはんじゃないのか?」と、ごんは思いました。 「これを食べて元気におなり。だがな、きつねっこ。人間を恨んじゃダメだよ」 おばぁはごんの頭を撫でながら言います。 「きつねはな、恨む心を持つと野孤(やこ)という悪いきつねになってしまうからな」 「へぇ~、そうなのか」とごんは黙って聞きました。 去っていくおばぁの背中を見ながら、ごんはもらったふかし芋を食べました。 芋と薬草のおかげで傷はみるみるうちに回復しました。 「あのおばぁが……兵十のおっかぁだったとは……」 ごんはとても申し訳ない気持ちにな続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

桜井識子バージョン「ごんぎつね」下編

$
0
0
これまでのお話桜井識子バージョン「ごんぎつね」上編桜井識子バージョン「ごんぎつね」中編 次の日もその次の日も、毎日毎日、ごんはせっせと栗を拾って兵十の家に届けました。 栗は、トゲがある「イガ」に入っているので、取り出すのがたいへんです。 ごんは毎日、「イテテ、とげが刺さったー」「こっちのイガ、固すぎる~、イテー!」と大騒ぎをしながら、イガと格闘していました。 栗を拾っているさいちゅうに、まつたけを見つけたことがあって、「兵十はまつたけも喜ぶかな」と思ったごんは、それからはまつたけも持って行くようになりました。 そんな忙しい毎日を送っていたある夜のことです。 寝るのがもったいないほど、お月さまが明るく輝いていました。 ごんは久しぶりに夜の散歩に出かけました。 チンチロリン、チンチロリン、と虫が鳴いています。 行くあてもなくぶらぶらと歩いていると、向こうから誰かがやってきます。 ごんはあわてて草むらに隠れました。 やって来たのは兵十と、お百姓の加助でした。 2人は話をしながら近づいてきます。 「なぁ、加助」 「ん?」 「俺の家で、最近、不思議なことが起こるんだ」 「ほ~、どんな?」 「おっかぁが死んでから、誰かが毎日、栗やまつたけをくれるんだよ」 「へ~、タダでか? すごいな、誰だろう?」 「それがわからんのだ。俺の知らないうちに置いてくんだ」 話の続きを聞きたいと思ったごんは、2人のあとをついて行きました。 「そりゃ不思議だな」 「だろう?」 「栗やまつたけは本物なのか?」 「ああ、本物だ。化かされているわけじゃないぞ。なんなら明日、見に来いよ」 吉兵衛というお百姓の家に着いた2人は、会話をしながら中に入っていきました。 家の中からはポンポンポンポンと木魚の音が響いてきます。 窓の障子にはお坊さんの影が映っていました。 「お念仏があるんだな」 そう思ったごんは外で待つことにしました。 しばらくすると、兵十と加助が一緒に出てきました。 2人は肩を並べて歩きます。 月明かりでできた兵十の影法師を、ぴょんぴょんと踏みながら、ごんも後ろからついて行きました。 「さっきの話だけどな、兵十、そりゃ、きっと……神さまのしわざだぞ」 「えっ? 神さま?」 「俺はあれからずっと考えてたんだがな、そんなことをするのは人間じゃなさそうだ。神さまだ。それしか考えられねぇ。お前がひとりぼっちになったのをあわれに思って、いろんなものを恵んでくださるんだろうよ」 「そうかな?」 「そうだとも。だから、毎日神さまにお礼を言えよ、兵十」 「うん、そうだな、そうするよ」 えー、と後ろで聞いていたごんは思いました。 「オラが苦労して拾っている栗なんだけどな~、神さまのおかげってことになるのか……お礼は神さまか……」 ごんはちょっぴり寂しい気持ちになりました。 元気がなくなったゴンは、うつむいて、とぼとぼと歩きました。 そうすると、もう兵十の影法師についていけません。 しょんぼりと落ち込んでいたごんでしたが、はたと気づきました。 「あれ? それってオラを神さまだと思ってる……ってことじゃないか?」 暗い気持ちだったごんは、なんだかワクワクしてきました。 「よし、明日からはもっといっぱい栗やまつたけを持っていってやろう。兵十、びっくりするぞ~。神さまにお礼を言ったら、もらえるものが増えた! って」 ごんはますます楽しくなりました。 「目を真ん丸にして驚くかな」 はずむ気持ちを押さえられなくて、うふふ、うふふと笑いながら夜道を帰りました。 次の日、ごんは栗とまつたけだけじゃなく、たくさんの柿や山ぶどうも持って兵十の続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

神田明神の新しい恩恵

$
0
0
神田明神の将門さんにご挨拶に行きました。(少し前のお話です)もうすでに、この場所で、将門さんが神様になられていることがわかりました。すごい「ご神気」なっているのです。 「おめでとうございます」と言う前に、「はやーっ!」と思ってしまいました。つい、こないだ修行に入られたばかりなのに……もう神様になっておられて、将門さんはやっぱりすごい! と思いました。気迫で頑張られたようです。どっしりとした大きな神様になられていました。 境内に、以前あった小さな違和感と言いますか、そのようなものが完全になくなって、「神田明神」の波動で統一されています。それが境内に充満しています。 それにしても……ありえない早さだなぁ、 と、しつこく考えてしまいます。もともと将門さんは強い力を持っておられましたから、そこも関係があるのかもしれません。やると決めたら徹底的にやる! という意志の強いお方ですから、それはもう集中して厳しい修行に取り組まれたみたいです。自分を信仰してくれる人々を守りたい、期待に応えたい、という強い思いやりの気持ちもあったのではないかと思います。 将門さんのお話でも、やはり、「頑張って下さい」と応援に行った人々の「信仰心」は、神格を上げるサポートになる、とのことでした。 それはとても大きな助けであり、神様にとってもすごく励みになるそうで、来てくれた人には心から感謝している、と言っていました。 どっしりとした神様になられていて、神戸「湊川神社」の正成さんとは性格が違うからか、「気」の種類と言いますか、色が違います。 正成さんはほんわかと優しくて、将門さんのほうはキリッと背筋が伸びる感じです。 いつ神様になられたのか、すでに「神」という存在になじんでおられました。 でも、神様になっても、獅子の上には時々、宿っているそうです。(詳しいお話は『神さまと繋がる神社仏閣めぐり』という本に書いています) 獅子というのは、こちらにある噴水のてっぺんにいる石像です。(そばに行って写真を撮るのを忘れました。) 本殿にいるよりも獅子の上にいるほうが、人々に近いそうです。 昔の、ご自分と参拝者との距離を好ましく思っているそうで、さらに、人々にもっと寄り添える感覚もある、とも言っていました。 将門さんによると、獅子の前で将門さんに話しかける読者さんが今も多くいて、それをたいへん喜ばれていました。 獅子の前で話しかけられた時は、将門さんはすぐに獅子の上に行って、お話を聞くそうです。(獅子の上に行って、目の前の人の話を聞きながら、拝殿前で手を合わせている人のお願い事もちゃんと聞いていますから、そこはどうぞご安心下さい) 「お前も来い」とのことで、久しぶりに噴水の前に行きました。 「もっと近くに来て、身を乗り出せ」と言うので、「???」と思いつつやってみると……。 将門さんのパワーが入った水しぶきをかけてくれま続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

愛の神様 〜大浦天主堂〜

$
0
0
長崎の大浦天主堂で私が見た、とても心に残っているお話です。 教会の外観はこのような感じです。補修工事? が行なわれていました。 正面のマリア像です。 内部は撮影していませんので、公式サイトから画像をお借りしています。実際はこんなピカピカした感じではなく、ちょっと薄暗かったです。大浦天主堂公式サイトにリンクしていますので、興味がおありの方はクリックしてご覧下さい。 大浦天主堂は観光地にある教会なので、大勢の人が入ってきて、出て行きます。 中は自由に座れるようになっていて、時間制限などありませんから、いたいだけいられます。 ただ、静かな外国の教会に比べると、ちょっと気ぜわしい時もあります。 西欧諸国の人は、教会に入る時は静かに入って、邪魔にならないように、そ~っと出て行く人が多いのですが、ここは時々、外国人観光客がにぎやかに通過していきます。(入口と出口が別になっています) 私はこの教会に、1時間ちかくいました。 キリストを呼んでみると、すぐに天上からス~ッと来られました。 キリストにとって国は関係ないのですね。 私は久しぶりにお会いできたのが嬉しくて、キリストのお顔をまじまじと拝見していたら……ふぅ~っと目をつぶりたくなって……なんと! 目をつぶった一瞬で眠りに落ちました。 上を向いたままの姿勢でクークーと10分くらい熟睡したので、目が覚めた時に肩が凝っていそうなものですが、そんなことは一切なく、体はとてもスッキリしていました。 明るく輝くような力強いエネルギーで満たされていて、さらに心にも余裕ができており、おおらかな自分になっていました。 なんてありがたいのだろう、と感謝をしつつ、「さて、何を聞こうかな?」と考えましたが、聞くべき質問が思い浮かびません。 なので、ただただ、そこでキリストの癒しをもらっていました。 そこに、60歳前後と思われる、リュックを背負った父親が、27~28歳の息子さんを連れて入ってきました。 息子さんは知的障害があるようで、父親がしっかりと手を繋いでいます。 祭壇を見ている父親のそばで、息子さんはちょっぴりソワソワしていました。 なじみのない場所だからか、薄暗かったからなのか、不安そうな顔でキョロキョロしているのです。 2人は、私のななめ前に座りました。 ベンチに座っても、息子さんはソワソワと落ち着かずに動き、あたりをあちこち見回して続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

子宝祈願

$
0
0
少し前のことです。 お嫁さんが健康診断に引っかかった、と息子から電話がありました。 その手の話はよく耳にしますし、精密検査をしても異常なしだった、というのもよくあることなので、「大丈夫だろうな~」と思ったのですが、うちの息子は親族の健康に関しては、人一倍心配をするタイプです。 さらにそれが、お嫁さんのこととなると、人の100倍くらい心配をします。 心配しすぎて胃が痛い、何日もまともに食事が取れない、ふらふらで倒れそう、というくらい悩み抜きます。 以前そのようなことがあったのですが、今回も、もう今にもお嫁さんが死んでしまいそうな、そんな感じで心配をしていました。 私には、お嫁さんが病気になるようには感じられなかったので、「大丈夫だと思うよ~」と、のどまで出かかったのですが……。 いや、待て、と考えました。 この息子のことだ、大丈夫だと言うと、「ホントにそう思う?」とちょっぴり安心し、それで万が一、なにか異常があった場合……ショックでぶっ倒れるかもしれん……そしたらお嫁さんを支えてやれなくなるのでは……と思った私は、 「もしも、なにかあったとしても、今は医療が発達してるから大丈夫よ」と明るく言っておきました。 それを聞いた息子は、「…………」 ( ̄_ ̄ i) と、しばし無言で、「なんでそんなこと言うねん? 大丈夫って言ってほしいんやけど……」という空気を出していました。 息子は、「おかんに相談するより神様にお願いに行ったほうが確実やわ」と思ったのか、それからすぐに湊川神社に願掛けに行きました。 息子が関西に引っ越す際、どこの神社に行けばいいのか聞かれた私は、迷わず湊川神社をすすめました。 行くのに少々時間がかかっても、正成さん神様が一番面倒を見て下さるのではないか、と思ったからです。 越木岩神社は女性に優しい女の神様がいらっしゃるので、こちらもお嫁さんの健康面などには捨てがたい神社であり、どちらもご挨拶に行くように言っておきました。 伏見稲荷も強く推薦しましたが、息子は直感で湊川神社へ行き、「ここの神様、大好き!」となったようです。 以来、時々参拝に行っています。 で、話の続きですが、息子は正成さん神様に精密検査で異常がありませんようにと願掛けをし、そのお願いを聞き届けてもらえて、検査結果は一切異常なしでした。 そのお礼を言いに、2人で湊川神社に出かけて行ったそうです。 2人で丁寧にお礼を述べて、そこでお嫁さんは子宝願掛けもしたそうです。 ちなみに、お礼を言いに行って、そこでまた、新たに願掛けをするのは悪いことではありません。 「お礼を言いに行く」こと自体、していない人が多いなか、わざわざ神社まで出向いて行くのですから、神様のほうもにこにこと喜ばれています。 「ありがとうございました」と、感謝の気持ちをいっぱい持って、お礼を言いに来た人を神様はとても可愛く思っています。 そこで、新しい願掛けをすると、また聞いてくれる可能性は大きいです。 驚くことに、お嫁さんの願掛けは、即、叶えていただけて……なんと、翌月、めでたく妊娠しました。 ありがたいことです。 息子からその知らせを聞いて「よかったね~」と思うと同時に「すごい!」とビックリしたのは、正成さん神様がどんどん大きな神様になられている、ということです。 以前にお邪魔した時に、眷属も張り切って仕事をしていましたから、正成さん神様も眷属も、ぐんぐん神格が上がっているのだと思います。 願掛けをした翌月に妊娠、というのがすごいです。 そして、相変わらずお優しい~、とも思いました。 正成さん神様は、お礼を言いに来た、感謝でいっぱいの息子夫婦のことを可愛く思って下さったのでしょう。 そこで新たにお嫁さんにお願いをされたので、「うんうん、よしよし」と叶えて下さったように思います。 本当にありがたい神様です。 今度、関西に行ったら、お礼に伺わねばと思いました。 ついでに……というのもなんですが、この記事を書いている途中に読者の方から届いたメッセージによりますと、その方はうちのお嫁さんとまったく同じ体験を於菊稲荷神社でされたそうです。 願掛けの翌月に妊娠されたということでした。(ぴったりのタイミングでメッセージが届いたので驚きました) 於菊さんのところは、お稲荷さんがメインの神様ですが、とても古いお稲荷さんであることに加え、昔は大層にぎわっていたので力も強いです。 さらに皆様が「於菊さん」「於菊さん」と慕って下さるため、於菊さん自身の格も上がっているように思いますし、たくさんいる眷属も張り切ってお仕事をされているのではないかと思います。(於菊稲荷神社のことは『神さまと繋がる神社仏閣めぐり』という本に書いています) さて、この子宝祈願ですが、なかなか成就しなくて悩まれている方も少なくないと思います。 どうしてうちには子どもが来てくれないのだろう? という場合、来てくれる子どもと親がどういう関係なのか、で、理由が変わってきます。 どういうことかと言いますと、まず、その子がその家に生まれるという約束をしている場合です。 これは、母親か父親、もしくは両方ともがこの世に生まれる前に、あちらの世界で約束を交わしているパターンです。 その子が来ることは約束済み続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

歓迎されている参拝

$
0
0
ここのところ、更新がなかなかできなくてすみません。 2年前からコツコツと研究をしてきて、さらに、今年に入ってからは執筆をお休みして、せっせと頑張ったお勉強が、ようやく実を結びそうです。 もう少ししたら皆様にシェアできると思います。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 先日、打ち合わせをしていたら、担当者さんがこんなお話をしてくれました。 「歓迎されていると思うのですが……その日、行く神社行く神社、すべてクロアゲハばかりだったんですよ~。黒って……どうなのでしょうか?」 「えーっ! そこ書いていませんでしたっけ?」というのが、最初に思ったことです。 自分では書いたつもりでいたのに、書いていなかったというお話はまだまだあって……先日、ノートを見ていたら、チェックを入れていないお話がたくさんありました。 頑張ってサクサク書かねば……と思っております。 黄色や白い蝶々は小さいながらも、歓迎を伝えるために一生懸命に飛んで来てくれます。 可愛らしくてほっこりさせてくれますし、癒しもくれます。 この黄色や白色の小さい蝶々は霊的な虫ですから、霊感があると言いますか、そのような能力を持っています。 ですので、「神仏の歓迎の意を伝える」だけでなく、 「霊能力がある人に寄っていく」という習性もあります。 霊能力がある人に引き寄せられる、と言ったほうが正しいかもしれません。 神社仏閣ではないところで、黄色や白い蝶々にまとわりつかれた経験があるという方はそういう意味です。 クロアゲハにはその習性が、ないこともないのですが、ほとんどありませんから、こちらは神様の意思を濃く強く帯びて寄ってくるわけです。 歓迎の度合いが上だと思って差し支えありません。 ですから、行く神社行く神社、すべてクロアゲハでした、ということは、「ひゃっほぅ!」と小躍りして喜んでいいことなのですね。 生物は黒くても「不吉」の象徴ではありません。 カラスも聖域にいれば神使です。 一度、カラスが聖域に「座っている」写真を見たことがありますが、こちらは大歓迎のサインであり、決して「黒いから不吉」ということではないのですね。 勘違いをしてしまうともったいないです。 最近いただいたメッセージでは、早池峰山で子熊に遭遇しました続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』


その神社仏閣に行くべき人【追記あり】

$
0
0
前回、歓迎されているサインについて書きました。(あ、そうだ、蝶々は全部歓迎サインです。黄色や白以外は霊能力に引き寄せられた可能性が少ない分、歓迎度が高いです) 前回の記事の中に、「そこに行くべき人」という言葉を入れています。 この部分です。 「そこに行くべき人をお連れすることができた、という光栄な気持ちになるからです」 さて、この〝その神社仏閣に行くべき人〟とは、どのような人のことを言うのでしょうか。 〝行くべき人〟にはいろいろなパターンがありますが、代表的なのは信仰心がピュアな人です。 神仏の存在を疑うことなく信じている、「神仏が心から大好き!」「神様仏様いつもありがとう!」と思っている、そのような人です。 信仰心がピュアな人は神社仏閣に行くだけ、それだけで神仏に喜ばれます。 力がない神様にとっては強力な応援となりますし、なにより神仏はそのような人が大好きだからです。 別のパターンとしては、そこの神様・仏様に〝前世でご縁をいただいた人〟です。 どの時代なのか、いくつ前の人生なのかは人によって違いますが、別の人物として生きていた遠い昔に、その神社の神様、そのお寺の仏様を信仰していた人です。 すでに前世でご縁をいただいていますから、行くと神仏に喜ばれます。 ご縁は、前世・今世の人物としていただくわけではなく、〝魂〟がもらうものです。 ですから、過去にいただいていれば、生まれ変わってももらったままなのです。 とくに信仰心が厚かった人、信仰心がピュアだった人は、神仏のほうも再会を楽しみにしています。 『神仏のなみだ』という本に、昔の人の信仰のお話を書いています。 そこに「おきぬさん」という、非常に信心深い女性のエピソードが出てきます。(申し訳ございませんが、詳細は本でご確認下さい) 「久井稲生(くいいなり)神社」のお稲荷さんは、おきぬさんが亡くなったあとも、ずっとその土地にいて、人々を守ってきました。 百年も二百年も三百年も……同じ場所で人々の生活を見守っているのです。 人間はどんどん死んでいき、そしてたくさん生まれてきます。 何度も村の人々は入れ替わります。 けれど、お稲荷さんは変わらずそこにいて、人間を助けたり守ったりしています。 そんななか、おきぬさんが現代の日本に生まれ変続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

東京散歩とンモーな失敗

$
0
0
※前回の記事、追記をしております。追記のほうが大事だったのでは……という気がしますので、更新直後に読まれたという方は、どうぞ追記部分にも目をお通し下さいませ~。 お盆休みに、せっかくだから東京のどこかに行こう! ということで、元夫とスカイツリーに行ってみました。 いきなり行ったので、当日券待ちの列に並ばなければならず……。それがまた、すごい人数で……。上るのはあきらめました。この日は猛暑日で強烈に暑かったです。 それから暑いなか、上野動物園に行きました。こんな尻尾を持った猿がいるんだ~、とここはまだ入ったばかりなので、張り切ってオリをひとつひとつ見ていましたが、このあと飛ばし飛ばしになり、最後のほうはただ歩くのみ、になりました。 ペンギンが寝ていました。時々、ゆらゆら、カクン! となって、ビクッ! と目を開けていました。  シロクマ君、暑いだろうなぁ。 ハスの花がこんなにたくさん!  うわぁ~、キレーイ! と、大興奮です。横で元夫は、子どもの頃にこの大きな葉っぱに水滴を載せて、誰が最後まで落とさずにいられるかという遊びをした、くすぐったり、ぶつかったりして……という話を長々としておりました。猛暑日でも、よくしゃべります。 「こう咲くのよ」というお手本のようなつぼみですね。 あ、鳥が! オリから逃げたん?まさか、野生?と、思っているうちにどんどん人が集まってきました。動物園を見終えて、博物館でも行く? と提案をすると、元夫が言います。 「あさくさでら(浅草寺)に行きたい」 ( ̄ー ̄;  …………。 せんそうじ(浅草寺)ね……。浅草寺はスカイツリーの近くだから、また引き返すわけね、スカイツリーんとこまで……。この暑さのなかを。 で、ヨレヨレになって(私だけが、ですが)引き返して行きま続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

最後のお役目

$
0
0
少し前に、蝶々が歓迎の神使であるというお話を書きました。 その時にいただいたメッセージの中に、神社とお寺で見た蝶々がどちらも瀕死状態だった、という方がおられました。 1匹目は、「完全に死んではいない状態で触れると少し動くのですが、もう全く飛べなくなっていました」ということで、踏まれないように脇にあった石に載せてあげたそうです。2匹目は、猛暑日で「こちらも完全には死んでいなかったのですが、もうそれこそ虫の息といった感じでした」ということで、やっぱり踏まれないようにと、参道の端のほうに移してあげたそうです。 このように瀕死の状態で姿を見せられている、その意味はと言いますと……。 実はこれは、大変光栄なことなのです。 神域の蝶々はお役目として、最後まで神仏のメッセージを伝えています。 その、お役目を終える〝最後の人〟として選ばれているのが、この方というわけです。 この方は、踏まれたりしないように蝶々を端によけています。 蝶々はそうしてもらえることを知っているのですね。 途中で力尽きて、参道のど真ん中に落ちたとしても、この人なら端によけてくれる、踏まれて死ぬのではなく、天寿をまっとうできる、ということを続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

お墓参りと蝶々

$
0
0
※皆様からのお手紙に関しましては、こまめに報告はしておりませんが、すべて転送されて届いております。幻冬舎さんはつい先日、担当者さんとお会いした時に、手渡しでいただきました。大丈夫です、ちゃんと受け取っておりますので、どうかご安心下さいませ。お時間をかけてお手紙を書いて下さった方、本当にありがとうございます。大事に読ませてもらっています。 蝶々のお話を書いたついでに……と言うのもなんですが、お墓での蝶々についても書いておきます。 お墓参りに行ったら、蝶々がひらひらと寄ってきました、という経験がある方は多いのではないかと思います。 お墓で蝶々が寄ってきたり、まとわりついたりするのは、故人がその蝶々を使って意思を伝えようとしています。 この場合、歓迎というよりも、「ちゃんと成仏してるからね」という、お知らせです。 お墓参りは故人にとって、嬉しい供養のひとつですから、どうしてもひとことお礼を言いたいわけで「供養をありがとう」という意味もあります。 ここで知っておかれたほうがいいかなと思うのは、もしも成仏していなければ、霊的な虫である蝶々を使うことはできません。 霊的……というのは、神仏寄りのほうの、いい意味での霊的です。 ですから、幽霊など波動が低い存在には使えないのです。 蝶々を使って意思続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

みずから命を絶った人の供養

$
0
0
とある山間部を運転していた時のことです。 峡谷の川に沿って走るその道路は、崖の中腹あたりのとても高い位置にありました。 道幅は狭く、右側は高い岩かべとなっていたためどんよりと薄暗くて、車がほとんど通らない……そんな場所でした。 道の左側はガードレールがあるものの、崖の中腹ですから、その向こうは谷底です。 下方には川が流れていました。 その道を、何を考えるでもなく、ぼ~~~~~~~~~っと運転していたら、はるか前方に男の人が見えました。 「あれ?」 その人の様子がどこか変です。 ガードレールを乗り越えた向こう側に立っていて、後ろ手にガードレールを握っています。 「何してるんだろう?」 次の瞬間、男の人はふわっと谷底へと落ちていきました。 「!!!」 自殺だ!!! 慌てた私はアクセルを強く踏み、現場へ急ぎました。 「電話は警察……じゃないな、救急車が先だ、落ち着け、落ち着け。私、落ち着け! とりあえず、確認しなきゃ」とスピードをあげて走りますが、現場までが遠く感じられます。 やっと近くまで来たところで、その男の人がまた、同じ場所にふっと現れました。 ガードレールの向こう側に立っています。 後ろ手にガードレールを握っているポーズも同じです。 そして、また……ふわっと谷底へと落ちていきました。 ああ、自殺した幽霊だったのか……とわかりました。 油断をしていると、このようにたまに幽霊を見てしまいます。 この男の人は自分が亡くなったことに気づいていないのですね。 自殺は自分が死んだことに気づかないパターンが多いです。 亡くなったあとも自分の体が生きていた時のように見えるため、気づきにくいのです。 きっと、死因となった体の傷の激痛があって苦しんでいると思うのですが、死ねなかったと勘違いして狼狽し、「もう1回飛び降りなければ!」となるようです。 本人が気づくまで、えんえんと自殺を繰り返します。 ご家族の方が自殺をなさったという場合、現場に行って、すでに亡くなっていることを教えてあげなければなりません。 本人が死んだことに気づかない限り、成仏ができないから続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

具体的なサポート方法 〜みずから命を絶たれた人のために〜

$
0
0
※予告しておりました予定を変更して書かせてもらっています。 前回の更新後、ご家族や親戚を自殺で亡くされた方から、多くのメッセージが届きました。 そこには、亡くなったあとのことをとても心配されているお気持ちや、深い愛情が綴られていて、残されたご家族の悲しみを思いました。 みずから命を絶たれた方が意外と多いことにも衝撃を受けました。 そこで、今日はいただいた質問を中心に、もうちょっと具体的に書くことにしました。 まずは、叔父だったり叔母だったり、親族なのだけれど、亡くなった詳しい場所がわからない、だからお話をしに行けない(死んだことを諭してあげられない)、この場合、写経だけしても供養になるのでしょうか? という質問です。 同じような質問で、場所が……たとえばホテルのような、気軽にお話をしに行くことが難しい場合はどうしたらいいのでしょうか? というものもありました。 前回の記事に書いた男性のように、自殺をして〝まだそんなに時間が経っていない〟人は、死んだことに気づかず、自殺を繰り返していることがあります。 この段階の人だったら、現場に行って、諭すことによって、「え? 俺、死んでるの?」「もう飛び降りなくていいの?」と気づかせてあげることができます。 自分で気づくには、かなりの時間を要しますから、そこの時間短縮になるわけです。 よって、その分、成仏が早まります。 効果が大きいです。 誰にも教えてもらえない、という人は、長い時間がかかりますが、時が経過していくにつれて、自分で少しずつ気づいていきます。 あれ? もしかして、俺ってもう死んでる? と。 どんなに暗いところに落ちた人でも、いつかは必ず、死んでいるという事実に気づきます。 そして、そこから……また長い時間がかかるのですが、成仏に向かって歩み始めます。 たとえ天涯孤独の身で供養を誰にもしてもらえなくても、最終的には自力で気づいて、自力で成仏できるというわけです。 ただし、サポートがまったくなければ、本人だけの努力になりますので、とても苦労しますし、苦しみますし、とらわれから解放されるまで時間もかかります。 正直言って、かなりしんどいです。 ですので、少しでも力になって助けてあげましょう、ということで、写経をおすすめしています。 そこで、さきほどの質問です。 諭しに行けない場合は、これはもう仕方がありませんから、本人に自力で気づいてもらいましょう。 何回も自殺を繰り返しているうちに、「あれれ?」「なにか変だぞ?」と気づきますから、そこはご本人に頑張ってもらうしかありません。 しかし、その間も、せっせと写経でサポートをしてあげれば、その作用で〝気づき〟が早まります。 平均より断然早くなります。 写経パワーが亡くなった人の波動を少しずつ上げてくれるからです。 ですから、供養は供養で続けられるといいです。 古い知り合いで、自殺をしたことは知っているけれど、名前を覚えていない……という、名前がわからない場合の写経について続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

あの世からの伝達方法「夢枕に立つ」とは

$
0
0
みずから命を絶たれた人が、成仏したての頃は、まだ力はほとんどありません。 しかし、手厚い供養・ありがたいサポートをしてもらったお礼は言いたいわけです。 心配してくれている家族に「もう大丈夫、成仏できたよ」という報告も、なんとかして伝えたいわけです。 そこで伝達方法として一番多く使われるのが、「夢枕に立つ」です。 この「夢」……ですが、これは故人がその人の夢の中に〝入り込んで〟姿を見せるのではありません。 人間は寝ている時に変性意識になります。 そのせいで、睡眠中はあちらの世界とつながっています。 それにより、亡くなった人を夢で見たり、予知夢を見たりします。 良くないほうの世界につながれば、金縛りにあったり、夜中にふっと目覚めて幽霊を見たりするわけです。 睡眠中は霊感アンテナをコントロールできませんから仕方がないのですが、このアンテナが向いている方向に故人は立つことができます。 そして言うわけです。 「たくさんの供養をありがとう。おかげで成仏できたよ」と。 もちろん、にっこりと微笑むことも忘れません。 この程度のことは力がなくてもできますから、あちらの世界から何かを伝えたい時は、とりあえず、夢の中から、というのが多いです。 で、故人はそのように伝えているのですが……受け取る側のアンテナの感度が悪ければ、言っている言葉が夢に反映されなかったりします。 仮に故人をお父さんだとしましょう。 お父さんが夢に出てきてくれた、けれど何も言わずに、ただニコニコしているだけだった……。 というそれは、お父さんのほうは「たくさんの供養をありがとう。おかげで成仏できたよ」と言っているのですが、アンテナの感度が良くないため、言葉の部分を夢に反映できないのですね。 つまり、完全に受け取る側のコンディションなのです。 アンテナの感度は人によって違いますし、日によって、またはその時の体調・精神状態によっても変わってきます。 感度が良くないと、若干、誤作動をすることもあります。 たとえば……。 お父さんったら、夢に出てきて「時計に水を飲ませなさい」って、どういう意味なんやろ? と悩んだりするわけです。 お父さんはあちらの世界から、「なんでやねん、ワシ、時間かかったけどな、成仏してるで~、って言うたのに」とツッコミを入れてたりします。 この場合、霊感アンテナがお父さんの言った内容を拾うことは拾っているのですが、「時間がかかった」を「時計」に変換し、「成仏した」を「水」に変換しているのです。 人によっては「時間がかかった」という言葉から「伸びたうどん」を睡眠中の脳が連想し、「成仏した」という言葉から「喜び」を連想しているかもしれません。 となると、変換後の夢はこうなります。 「お父さんったら、夢の中でびよんびよんに伸びたうどんを嬉しそうにニコニコしてすすってたわ~、笑うわ~」です。 夢の中に故人が出てきたということは、その故人がわざわざアンテナの向いている方向続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』


信仰の自由

$
0
0
規模が大きい神社の場合、ほとんどの神社に摂社末社があります。 あちこちに書いておりますが、私は境内社には手を合わせないことが多いです。 去年、雑誌のブルータスさんの取材で江島神社に行きました。 私はいつものペースでサクサク進み、ここは外せないというところをご紹介していたのですが、ご一緒した方がニコニコしながら言いました。 「桜井さん、豪快に飛ばすんですね!」 「えっ!」 一瞬、意味がわかりませんでした。 「摂社や末社は飛ばしてもいいんだ~、ってわかりました」 「えええっ! 今まで飛ばしてはいけないって思ってたんですか」 「なんだか悪いような気がして……全部、手を合わせていました」 ひ~~~え~~~!  それって、ものすごーく大変なのでは! と思いました。 律儀な方、礼儀正しい方は、失礼になると思われるのでしょう。 あ、優しい方も、悪いわ~と思われるのでしょうが、飛ばしていいです。 境内社に手を合わせないから、と失礼になることはありませんし、叱られることもありません。 それと、たとえば5社ある境内社のうち、2社だけに手を合わせたら、残りの3社に失礼なのかというと、これもそうではありません。 どのお社に手を合わせるのかは、人間に与えられた信仰の自由がありますから、自分で決めていいのです。 「湊川神社にあるお稲荷さんについて教えて下さい」というメッセージを何通もいただくのですが、すみません、手を合わせたことがないです。 えええええーっ! あんなに目立つお稲荷さんなのに? いいんですかっ! と驚かれそうですが、ええ、大丈夫です。 湊川神社では正成さん神様としっかりお話をしたいので、そちらを優先しています。 同じように、たくさんある境内社のどれか1社だけにお供え物をするのも、まったく構いません。 長屋のような横に長いお社に、境内社が5社くらい並んでいるところがありますが、この中の1続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

前世

$
0
0
最近、前世の話をまったく書いておりませんでしたが、2つほどくっきりと思い出しています。 どちらもヨーロッパの古い時代のことで、ひとつは男性の人生です。 ざっと大まかにお話をしますと、そこそこ身分が高い家に生まれた私は、ウィルヘルムかヴィルヘルムという名でした。 住んでいた街は石畳が敷かれていて、郊外の田舎とかそのようなところではありません。 私は男ですが、白いタイツのようなものを履き、現代だったら完全に女性用というおしゃれな革靴を履いて、膝丈のスボン、おへそのあたりまで開いた変わったデザインの上着に(下のほうでボタンが4つのダブルになっています)、上着の下はフリフリのフリルがついたシャツを着ていました。 おへそのあたりまで開いた上着なので、フリフリのフリルが見えるようになっているのです。 上着とズボンはお揃いの生地であつらえていて、同じ生地の帽子も被っています。 髪は濃い色で、イタリア系の顔をしています。 父は金髪碧眼、母がイタリア系で、妹は5~6歳年が離れていますが、金髪に青い目の可愛らしい子です。 家族4人は召使い数名と仲良く暮らしています。 両親は私と妹を溺愛していました。 私は画家として活躍していて、油絵を描いていました。 大きな絵が売れて、依頼が次々に舞い込み、喜んでいます。 才能が認められたのだと思っていました。 貴族の家に肖像画を描きに行ったりもします。 中にはとても美しい女性がいて、話もはずんでワクワクしましたが、それ以上発展はしませんでした。 私が内気なせいです。 ある日、ライバルともいえる男に、私の絵は両親のコネで売れているのだ、才能ではない、と言われました。 その証拠となるような具体的な話をされます。 私は自宅に戻ると、怒り狂ってカンバスを切り裂いたり、テーブルの上のものを床に投げたり、壁に投げたり、大暴れをしました。 普段は気弱な優しい性格なので、暴れる私を初めて見た両親は、ただただおろおろしていました。 両親はすでに年老いていて背中も曲がり、そんな姿でおろおろしていることが悲しさに拍車をかけます。 妹はすでに結婚していて家にはいません。 私は号続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

前世の記憶を持たずに生まれる理由

$
0
0
前回書いた男性の人生のほかに、もうひとつ思い出したのは、女性の人生です。 この人生を思い出すことによって、いろいろと学びがありました。 こちらは本当にざっとお話をしますと……。 フランスのアルザス地方(たぶん)に近いところに住んでいました。 この時の私は37歳、姑、夫、娘2人(10~12歳くらい)の5人家族で暮らしていました。 この家は大金を持っている姑の力が一番強く、お金は姑ががっちり握っていました。 私は姑に嫌われていて、結婚当初から完全に下女扱いです。 最初は悲しくて泣いたりしていました。 しかし、10年以上ひどい仕打ちをされ続け、それに耐えて生きるには感情を殺すしか方法がありません。 私は徐々に感情のない人間となり、日々、無気力に生きていました。 無口な夫との会話はゼロで、愛情はとうの昔に冷めています。 娘2人は姑に可愛がられており、洋服なども新しいものを買ってもらっています。 しかし、私は服を新調してもらえません。 一家で私だけが古めかしいボロい洋服を着ていて、着替えもほとんど持っていないため、私だけがクサかったです。 姑は威張っていて、いつも特等席である窓際の、ちょっといい椅子に座っていました。 着ているものも高級品でいいものです。 結婚をする前の私は、明るくて元気な女性で、夢を持って生きていました。 常に前向きで胸を張っており、よく笑う人だったのです。 結婚をして10年以上が経過したこの頃は、生きる屍(しかばね)のようになっていて、「嬉しい」「楽しい」などの感情がまったくありません。 笑ったのは、もう何年も前の話で、ただ息をしているだけ、家族の世話をするだけ、そんな日々でした。 心の病にかかっていたのかもしれません。 ある日、外から戻ってくると、姑が椅子から落ちて倒れています。 心が沈んだまま動かない状態でしたから、「大変だ!」とも「大丈夫?」とも思いませんでした。 倒れている、その光景を見ているだけです。 そばに行くと、姑がわずかに動いたように見えました。 でも私はそれを、本当になんとも思わず、頭の中が真っ白になったまま、ただ突っ立って見ていました。 感情や考える気力がありませんから、何を考えるでもなく、何を思うでもなく、ただ目の前のものをぼーっと見ているだけでした。 姑はそのまま亡くなりました。 この出来事は、終生私を苦しめました。 そしてこの人生を思い出した今も、この人物に入り込むと、苦しくてつらくてたまりません。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 前世を思い出してみたいという人は多いと思います。 前世を思い出すことによって、たしかに得るものがあります。 「この人生でやった失敗は二度とするまい」という、学びを得ることができますし、前世で傷ついた魂のトラウマなども解放できます。 今世で知っている人を前世の中に見つければ、縁の深さがわかります。 しかし、それは俯瞰で見た場合のことです。 第三者の目で、上から見ているようにして思い出すと、ダメージはあまり受けないのですが、その人物に入り込んで、その人物の目と現在の自分の目を重ね、そこから見た前世、となるとそうもいかないのです。 明るく楽しいことだ続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

神社での自己紹介(住所について)

$
0
0
ずいぶん前に母から聞いたお話です。 祖母に降りた神様にある相談をしたところ、「ちょっと大阪まで行って、見てこよう」と、神様は快く答えてくれたそうです。 で、しゅ~っと行かれたそうですが、ほどなく戻ってきて…… 「(その場所を)探すのに苦労した」と言ったそうです。 祖母の家は広島県の田舎町にあったので、神様はのんびりした景色の田舎から、都会の大阪へと行かれたわけです。 住所を知らなかったうえに、大阪の街があまりにもゴチャゴチャしていて……見つけるのに苦労をしたとのことでした。 この神様は、祖父母の家の神棚に入っていた神様ですから、神社のご祭神ほどの、強い力は持っていません。 なので、若干多めに、労力を費やさなければいけなかったのだと思います。 神様には神格というものがあります。 格の高い神様から、まだ低い神様までさまざまな神様がおられます。 神格が高くなると、性質が非常に穏やかになり、丸くなる傾向があります。 しかし、神格が高いのに厳しくクールな神様もいますし、まだ神様になりたての、低い神格でもとっても優しくて、すごーーーく親切な神様もいます。 ですから、性質に関しては一概に言えないのですが、使える力の種類やその強さなどは神格によって違ってきます。 さきほどのお話で言えば、詳しい住所をまったく聞かなくても、たとえゴチャゴチャした大阪のど真ん中でも、スッと一発で見つけられる神様がいます。 「え〜っと? 続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

神格の判断方法

$
0
0
神格についてですが、どれくらいの神格の神様なのか、そこを〝正確に〟知るのは……正直に申しまして、これは霊能力を磨くしかありません。 霊能力は誰にでもありますから、磨けばわかるようになってきます。 言い方を変えると、持っている神様アンテナが発達してくれば、そのうち神社を見ただけでわかるようになります。 ただ、磨かれるまでちょっと時間がかかるので……それまでの間、神格を判断する方法を書いておきます。 まず、「神格が高い神様に願掛けをしたい」という場合は、山岳系神様のところへ行くのが確実です。 山岳系の神様だったら、どの神様も神格が高く、強いです。 山の頂上や中腹に、奥宮、お社、祠がある神社がそうです。 山のふもとにしか神社がないけれど山岳系、というところもありますが、見分けることがまだできないという方は、確実なのは、お社などが高い山の山頂にある神社です。 私がブログや本の中で、山岳系とご紹介した神社はすべてそうです。 「山が近くにないんですけど~」「京都をまわる時に最後に神格が高い神様を参拝して帰りたいんです」という場合、創建がいつか、を参考にするといいです。 古い時代からある神社には、力のある神様がいることが多いです。 人間を守る、人間の願いを叶える、人間の世話をする、これらのことは神様方の修行になります。 それを長い期間されているわけですから、ある程度のところまで、高くなっていると思われます。(そうではないところもあるのですが……ここでは考えないことにします) 一番わかりやすく、ほぼ確実かなと思うのは、神社の規模です。 神社が大きいということは、多くの人が参拝をしているから……それで大きくなっています。 ごりやくがあるから人が足を運ぶわけですね。 昔から参拝客が多かった神社、となれば、「願掛けを叶える」というお仕事をたくさんされているわけで、それにより神格が上がっている可能性があります。 では、規模が小さい神社の神様は神格が低いのかというと……実はそのようなところに神格の高い神様、非常に力が強い神様がいることもよくあります。 そのような神様に出会えたら超ラッキー♪ なのですが、見分けることが難しいです。 道端や山の中にあるような続きをみる

『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』

Viewing all 2426 articles
Browse latest View live


<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>