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Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
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楠木正成さん

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湊川神社のご祭神、楠木正成さんことをブログに書いた時に、「大河ドラマで武田鉄矢さんが演じていた正成さんが、そのようなお人柄でしたよ」というメッセージをもらったことがあります。 私は大河ドラマの「太平記」は見ていないので……と、他は見ているような書き方ですが、実は大河ドラマは数えるくらいしか見ていないため、太平記のことはまったく知りませんでした。 武田鉄矢さんが演じる正成さんをいつか見てみたいな~と思っていたら、数ヶ月前、元夫経由でDVDが手に入りました。 「やったー!」と見始めたのですが、なにせ1年分のドラマですから話が長く、主人公が足利尊氏のため、なかなか正成さんが出てこなくて、やっと登場しても話がなかなか進まず……しかも、見る時間を毎日取れないせいで、まだ3分の1くらいしか見終えていません。 武田鉄矢さんの正成さんは、ご本人とは違っていますが(←当たり前です、というツッコミを自分で入れておきます)、でも、器が大きくて、おっとりとした優しい部分があるところを、うまく演じておられるな〜、と思いました。 先を早く見たいのですが、全部を見終えるにはまだまだ時間がかかりそうです。 「いきなり、なんの話ですか?」と思われた方、言いたかったのは、某国営放送が正成さんの最期をどう描いたのか、そこを確認したかった、のです。 「どうしてですか?」  すごく感動的なお話を、読者に方からかなり前にメッセージでもらい、これはいつかブログに書きたい、と思っていたからです。 大河ドラマの最期のシーンを見てから書こうと思っていたのですが、いつになるかわからないし、見ることをギブアップする可能性もあるため、今回書くことにしました。 このメッセージを下さった方は、某神社(私はまだ訪れたことがなくて、どのような神社なのかわからないことと、神様に書く許可をもらっていないので、名前は伏せています)に参拝をして、由緒が書かれたプリントをもらったそうです。 その由緒の部分をご紹介しますと……。 「正成さまが戦死される直前、湊川堤防に一族郎党を集続きをみる

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幕末の会津藩

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ここのところ、ちょこちょこ時間を見つけては、強行軍であちこちにお出かけをしていました。 現在は、両親の顔を見に実家に来ていて、のんびりムードでリラックスしております。 さて、そんなお出かけ強行軍の中で、先日、素晴らしい体験をしましたので、そのご報告です。 ところは会津若松市です。 どこから書くのが一番いいかな、と考え……まずは私の予備知識、それから会津若松市に行って得た情報、そして結末、という順序が一番理解してもらいやすいと思いますので、ちょっと長くなりますが、どうぞお付き合い下さい。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 私は意外と幕末に詳しいです。 というのは、その頃に自分の過去世があるからです。 といっても、その時の過去世のことをすべてハッキリ覚えているわけではなく、断片的に覚えている程度ですが、幕末に関しては自分がいた時代ですから、とても興味があります。 でも、それも、大政奉還あたりまでで、王政復古くらいからは一気に関心が薄れ、なぜか明治維新に至ってはまったく興味がありません。 ですから、江戸城無血開城や戊辰戦争などは、教科書に2~3行書かれていたその程度のことしか知識がなく、白虎隊の名前も、一応、知ってはいますが……。 「まだ若い、少年の隊士たちが、新政府軍に敗れて飯盛山で集団で自決した」というこれだけしか知らないです。 そんな状態だったので、会津藩には特別な思いなどもありませんでした。(大河ドラマ「八重の桜」も見ていないです) たまたま会津若松市を通過することになり、マップを見ていたら「会津武家屋敷」という文字がありました。 「武家屋敷を何軒か保存しているのだろうな」と、単純に武家屋敷を見たくて寄ってみると、予想に反して、ここは軽いテーマパーク色を帯びた施設となっていました。 資料館もありますから、私のように会津藩について深く知らない人が行くと、基礎を学べるようになっています。 深く知らないといっても……幕末に藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職をしていて、尊王攘夷派弾圧を行なったこと……そこはよく知っています。 新撰組の親分、という印象でした。 その松平容保は明治26年まで生きていて、続きをみる

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白虎隊の最期(通説)

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会津藩の大まかな歴史の流れはわかったものの、白虎隊については、謎も疑問も深まるばかりで……ここまで来ているのだからもっと知りたい、と思った私はその日の予定を変更し、飯盛山に行ってみました。 「寂しげな山にお墓があるのかな」「大勢が自刃した場所に行くのは避けたいかも~」と思っていたら、参道入口はお店がずらっと並んでいて、にぎやかな明るい雰囲気となっていました。 ナビのマップには「白虎隊伝承史学館」の文字があります。 ここに行くと、ある程度のことがわかるにちがいない、と思った私は、駐車場のおじさんに「白虎隊伝承史学館はこちらの方角で合っていますか?」と聞きました。 すると、おじさんは顔を曇らせて「そこは……」みたいに、ちょっぴり言葉を濁します。 「でも、白虎隊記念館はその道を入ってすぐにありますよ」とこちらをオススメするので、「白虎隊伝承史学館」はパスをして「白虎隊記念館」のほうを見学しました。 車を停めた場所は、お土産屋さんの大きな駐車場だったのですが、まぁ、なんと言いますか、いろいろとあるのかな、と思いました。 「白虎隊記念館」の中は、資料が所狭しと展示してあり、「全部詳細に見ている時間がありません、すみません……」と思ったくらい、ものすごい量の展示物でした。 鉄砲、刀、写真、文書、服や鎖帷子(くさりかたびら)、などなど、限られたスペースにめいっぱい詰め込んでいるのです。 しかし、それらの資料を見ても、白虎隊の流れがわかりません。 これはもうネットで調べるしかないなぁ、と思いつつ2階へ行くとアニメが上映されていました。 このアニメで、白虎隊の流れを知ることができました。 ざっとアニメの内容を説明をしますと……。 新政府軍が会津に大軍を進めてきたため、少年たちは、自分も戦いたいと藩に申し出ます。 それが認められて、戦いに参加ができるようになり、少年たちは晴れて出陣します。 1人のおっちゃんがリーダーとして少年たちを引率していたのですが、夜になって少年たちが空腹を訴えると、「食べ物を探してくる」と言い残して、おっちゃんはその場を去りました。 「ワシが戻るまでここを動くなよ」とも言っていたのですが、夜が明けてもおっちゃんは戻ってこず、少年たちだけで「進撃をしよう」と、先へ進むことになりました。 しかし、敵の鉄砲隊には歯が立たず、少年たちの白虎隊二番隊は、数が半分ほどになって敗走続きをみる

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飯盛山

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前々回のお話に出てきた、会津武家屋敷の入口です。 家老だった西郷頼母のお屋敷がメインになっていて、建物の中に入ることはできませんが、昔のおトイレやお風呂がそのまま保存されていて、興味深かったです。 飯盛山の入口です。石段をまっすぐ上ったところに「白虎隊十九士のお墓」があります。 石段の手前に白虎隊記念館があって、さりげなく「らくな参拝順路」と書かれています。じゃあ、こちらから……ということで、記念館を見学したあとは厳島神社のほうへまわりました。 鳥居の手前の右側には、子育地蔵尊のお堂があって、4体のお地蔵さんが祀られていました。左側には可愛らしい弁天様像がありました。 明治の初期に厳島神社となったそうで、その前は正宗寺というお寺だったそうです。今でも仏様の「気」を色濃く放っていました。 すぐそばには「戸ノ口堰洞穴」がありました。(奥に見えるほら穴です)用水堰、と案内板に書かれていました。白虎隊士たちがここへ逃げてくる時に潜った洞穴でもあるそうです。 さざえ堂という変わった建物もありました。 内部はこのように、斜めになった床を上って行くようになっています。 ところどころに小さなスペースがあったりもして、 てっぺんはこんな感じで、床がアーチ状になっていました。 上まで行くと下るわけですが、上りと下りの通路は別になっていて、一方通行です。 絵が飾られていたり、神棚もありました。 神社とさざえ堂のほうから行くと、石段の大部分をパスできるので本当に楽でした。こうして「白虎隊霊場」に着きました。 霊場の一角にあるこの道から自刃の場へ行きます。 スペースが確保されているこの場所以外は一般のお墓でした。 「白虎隊士石像がのぞんでいる方向が鶴ヶ城です」と書かれていて、どれどれ? と見てみると…… 町が遠くてよくわかりません。現地ではどこがお城なのか、見つけることができませんでした。 で、帰ってきて、写真を拡大してやっと見つけました。〇で囲んでいるのがお城です。もう本当に、すっごーーーく遠いです。手前でガンガン町が燃えいたら、煙などで見えにくいということがよくわかりました。 左側石段の奥に並んでいるのが白虎隊士のお墓です。 正面から見るとこんな感じです。 会津藩の子どもたちには「什の掟(じゅうのおきて)」というものがあったそうです。 私は知らなかったのですが、白虎隊記念館で知りました。 同じ町に住む6歳から9歳までの藩士の子どもたち続きをみる

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悲劇の白虎隊、自刃の理由

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霊場と名付けられている広場のような場所に入ると、並んだお墓の前に白虎隊士が見えました。 全員、白い装束を着ています。 白の裃(かみしも)姿なのです。 あれ? いろんな資料で見た服装は紺色のような、濃い色じゃなかった? と思った私は、どうして白い装束を身につけているのか聞いてみました。 すると、自決する時は白装束と決まっている、それは武士としての作法なのに、その作法を守れなかったから……というようなことを言います。 自決が急に決まったため、準備が何もできず、薄汚れた服で切腹したことが、武士として少し引っかかっているようです。 「だから、今、これを着ているんだ」とリーダーらしき男の子が笑っていました。 まだ少年ですが、切腹の作法を教え込まれていたみたいで、それを守れなかったことがほんのちょっぴり心残りのようでした。 なんて真面目な子どもたちなのだろう、という印象を持ちました。 通説でいうと、「お城が燃えている! 会津が負けたんだ、もう終わりだ……ここで死のう」と、絶望して自決をしたことになっています。 〝お城が落ちたから〟死を選んだ……でも、実際にはお城は燃えていません。 つまり、勘違い、早とちりで死んだわけで……本人たちがそこをどのように思っているのか聞いてみました。(敬語を使わないとは何事だ、けしからん、と思われるかもしれませんが、少年たちはとてもフレンドリーで気さくな感じだったので、普通に会話をしております) 「お城が燃えているように見えたん?」 「そう見えた。お城が落ちた、と思った」 「お城が落ちたから、会津の負け、敵に辱めを受けたくない、だから死のう、と思ったん?」 「…………」 リーダーの子は一瞬、口を閉ざしました。 「下山しても周囲は敵ばかりだから、それならここで潔く死のうって、そういうことやったん?」と重ねて聞くと、 「そうじゃない」とハッキリ否定をします。 「え? 違うの?」 リーダーの男の子が話してくれたのは……こういうことでした。 お城が燃えている(ように見えた)のを目にした時、その炎の中で、自分たちのお殿様は切腹をしているはず、と思ったそうです。 お城が炎上しているのは、旗色が悪くなったお殿様が「もはやこれまで」と潔く負けを認め、切腹をして、敵にお城を渡さぬよう会津藩がみずから城に火を放った、と考えたらしいです。 仮に、敵が放った火でお城が燃えていたとしても…… お殿様は敵に捕らえられるのをよしとせず、凛々しく御腹をお召しになっているはず! と、全員がキッパリとそう思ったと言うのです。 自分たちのお殿様は武士の鑑のようなお方であり、偉大な人物であると信じていたので、どちらが火を放ったにせよ、切腹しているに違いない、という確信があったそうです。 そのお殿様に殉じて自決をするのは藩士として当たり前のことで……殉死しない、という選択肢はなかった、迷いはなかった、と言っていました。 お城が炎上 = お殿様が切腹 → お殿様が潔く御腹を召しているのに、自分たちは切腹せず、生き長らえるために降伏をして、のこのこと山を降りる……ことは絶対にありえない、という図式です続きをみる

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白虎隊の生き残り

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※このお話は前回のお話と2話セットになっています。ひとつ前の記事からお読み下さると、流れがわかりやすいかと思います。 白虎隊の少年に自刃の詳しい理由を聞いて、その純粋な忠誠心に感動しましたが、実は白虎隊には、1人だけ生き残った人がいました。 飯沼貞吉さんという方です。 自決した当時の貞吉さんは、年齢を偽って白虎隊に入っていたため、まだ15歳でした。 飯盛山でみんなと一緒に死のうと、貞吉さんも刀をのどに突きたてます。 しかし、急所を外したのか致命傷にはならなかったようで、通りがかった人に救出されています。 貞吉さんは新政府軍に捕らわれましたが、長州藩士に引き取られ、その後、逓信省の通信技師として各地に勤務し、日清戦争にも従軍して、昭和6年にその生涯を閉じています。 貞吉さんは白虎隊についてずっと何も語らなかったそうです。 晩年になって、重い口を開いた……と伝わっています。 それは、死に損なった自分を恥と思う気持ちがあったからでは? と多くの人が推察していますが……。 私が思うに……もちろん、そのお気持ちもあったのでしょうが、真実を言えなかった……のではないでしょうか。 本当の理由を言うと、少年たちは殿様を思って潔く自刃したのに、当のお殿様は切腹をせずに降伏した……と、主君を言外に非難することになるからです。 それだけは武士として、会津藩士として、できなかったでしょうから、相当苦しまれたことと思います。 晩年になって貞吉さんが重い口を開いたのは、白虎隊の少年たちの忠誠心を、主君を批判することなく後世に伝えたい、と考えたからかもしれません。 貞吉さんのお話によると、自刃の場では、このまま敵軍に突入して玉砕しようと唱える者と、入城を目指すべきであると主張する者とで、激論が交わされた、ということです。 敵に生け捕られることを避けようと、一同は自刃を決意した、と伝わっています。 この激論が交わされたのは死の直前ではなく、もっと早い時間……お城が燃えていると見誤る前のことではないか、と私は思っています。 本当の理由を世間続きをみる

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錦天満宮

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商店街の中にある神社です。鳥居の先端が隣りのビルに刺さっていて珍しいです。 神様の雰囲気がよく出ている社殿です。 本殿の前には2種類のからくりおみくじがあります。 社殿の正面はこのようになっていて…… 少し奥から見せてもらうとこんな感じです。 獅子舞おみくじです。 そばに行くと動くので楽しいです。 こちらが神主さんのからくりおみくじです。 ちゃんと背筋を伸ばしたままの、神職さん特有のお辞儀をしています。 奥のお社に向かって拝礼をしてくれます。そして、くるりとこちらを向くのですが…… うわぁ……神主さん……。すみません……若干、顔が……怖いですぅ~。 「あ、これはこれは、失礼な言動をしたにもかかわらず、ご丁寧にありがとうございます」と、こちらも思わず頭を下げたという、そんなからくりおみくじでした。 本殿の脇になります。 続きをみる

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市比賣神社

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本の中で、説明をするのに苦労した入口です。(^_^;) 写真で見ていただくと、一発ですね。 マンションの下を通り抜けると、このようになっています。 手水舎です。 榊が入っています。 正面に見えているのが本殿で、 扉がガラスになっていました。 鈴が可愛らしいです。 本殿の脇を奥に行くと…… お稲荷さんがおられました。あっ! 小さな植物が…… このような植物を見ると、「頑張って~」とエールを送らずにはいられません。 お稲荷さんのお社です。 右の狛狐像は空席でした。 有名な「天之真名井(あめのまない)」です。 姫みくじが……すごいです。 じっと見ていたら、私もおみくじを引かなければ、という気持ちになり続きをみる

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神泉苑

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御池通のほうから入ると「善女龍王社」がこのように見えます。 正面から行くと…… こんな感じです。 門しか見えませんが、アップにしてみました。 善女龍王社の前にあるのは、日本で唯一の「恵方社」です。毎年、その年の良い方角に、お社の向きを変えるそうです。 法成橋を越えた左側には、 本堂があります。神社っぽく感じられますが、神泉苑はお寺なのですね。 二条城側の池の風景です。御池通から行くと、奥まったところ、という感じです。 つつじが美しい季節だったので、華やかな雰囲気がありました。 境内に入ったところで見たスズメです。 砂浴びをしていました。 ここには1羽だけ変わった鳩がいます。 薄い茶色です。 他の鳩たちは全員こんな色です。 ずっと灯籠の上に止まっていました。 カモもいます。 キレイですね~。 鯉と一緒に泳いでいました。 鯉は黒い色ばかりで……黒しかいないのだな、とあちこち見学をし、ふたたび法成橋に来ると、 あっ!色のついた鯉がいる~!きゃ~、お願い、こっちに来て~、と思っていたら、来てくれました。 角度によっては黄金色に見える鯉と、 錦鯉です。 亀ものんびりしています。 そろそろ帰ろうかな、と思っているとアヒルも登場しました。 3羽いました。 続きをみる

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若一神社

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平清盛公がここにお住まいになってたんですね~。 まずは入口から撮りました。 角度を変えるとこんな感じです。 清盛公の石像がありました。 こちらは入ってすぐの、左側にある境内社の鳥居です。 2社並んでいて、お稲荷さんがおられました。 ほのぼの系の優しいお稲荷さんです。とても親切にしてくれました。 境内にある楠です。 清盛公ゆかりの御神水です。 奥のほうから見た境内全景です。左の建物が本殿です。 道を挟んだ向かい側には、このような場所がありました。お稲荷さんが教えてくれなかったら、ここには上がっていませんでした。 そこから続きをみる

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お稲荷さんの宿る場所

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今年になって、新しくご加護を下さるようになったお稲荷さんが、たま~にうちにやって来られます。 事情がかなり複雑で、参拝に行ってご縁をいただいたのですが、お稲荷さんご自身が「書かなくていい」とおっしゃるので、今はまだ書けない状態です。 いつか許可がもらえたら、詳しく書こうとは思いますが、このお稲荷さんが我が家に来られるときは団体で来ます。 メインの大きな神様であるお稲荷さんと、眷属が何体かついて来るのです。 つまり、団体でドッと来られるのですが……来られた時に宿る場所となっているのは、たまたま飾っていた未使用の絵馬です。 こちらです。 上の写真は、宿る場所となる前に撮影したものです。 竹ひごで吊るすタイプの絵馬なので珍しく、写真に残しておこう、と思って写真を撮りました。 その絵馬が……。 お稲荷さんが来るようになると……。 このように、なぜか、垂れ下がってしまいました。 次元が違うので、神様や眷属が大勢乗っても重量はないため、重たいはずがないのですが……不思議です。 神様も眷属もお帰りになって、何も宿っていない時でも、この状態のままになりました。続きをみる

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絵馬について

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質問を多くいただきましたので、ついでに……と言っては何ですが、絵馬について補足をしておきたいと思います。 絵馬は、必ず神社の境内で……つまり、買ったその場で書いて、掛けて帰らないといけない、というわけではありません。 絵柄によっては素敵な縁起物になりますから、持って帰っても全然差し支えないです。 絵馬にはその神社のありがたい波動が入っています。 縁起物として家に飾っておくと、部屋の「気」を福々しくしてくれますのでおすすめです。 ただ、このように縁起物として扱う場合、ひとつだけ、気をつけなければいけない注意点があります。 それは、「願い事を書かない」ということです。 どうしてかと言いますと、自分の念が、その絵馬にこもってしまうためです。 見えない世界では、絵馬には願望(念)を保持する機能があるそうです。 これは神田明神の将門神様に教えてもらいました。(その話も今度書きますね。書かなければいけないことが山積みです) ですから、常時、お願い事を書いた絵馬を家の中に飾っておくのは、あまり良いこととは言えないのです。 さらに、前回我が家の例でお知らせしましたように、新品の絵馬には神様や眷属が宿ってくれる可能性があります。 あちこちに書いてきましたが、神棚がないおうちでも、神様が「この者を守ってやりたい」と思えば、来てくれることがあるわけです。 しかし、絵馬に願い事が書かれていたら、神様も眷属もその絵馬には宿れません。 神様や眷属が守ってくれる、または、たまに見回りに来てくれるという、ものすごい幸運をゲットしても、どこかに宿るところがなければ、神様も眷属もそのままス~ッとお帰りになります。 そのために縁起物を飾っておくといいですよ~、と著書に書きましたが、願い事が書かれた絵馬だったら、その幸運を捨てることになってしまうのです。 ちなみに『神様が教えてくれた金運のはなし』という本にそのへん続きをみる

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絵馬の書き方と飾り方

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「あれ? 識子さん、宿るものの話のはず……ですよね? 期待して来たんですけど~」という声が聞こえてきそうですが……。 絵馬の書き方を、ですね、神田明神の将門さん神様にお聞きしておりまして……。 まぁ、でも、神田明神のお話を書く時に書けばいいか、と思っていたのですが、「いや、待て、これが良くないのかも?」と気づきました。 日々、たくさんの質問をいただいておりますが、中には「あー、すみません、それはもう書いているんです~」というものが少なくありません。 でもそれは、ちゃんとしたタイトルで書いているのではなく、まったく関係がないブログ記事や、全然違う話題の本の中に、サラッと書いていたりするのです。 ですから、見つけにくいのは当然で、書いた本人ですら、時々「えっと……どこに書いたっけ?」となります。 話題が絵馬になっている今、聞いた話もついでにここで書くべきだな~と思うので書いておきます。 あ! その前に! 絵馬の、家での飾り方についてもちょっと……書き加えておきます。 絵馬は基本、〝立てて〟飾ります。 べたーっと台の上に平置きにしたら縁起物になりません。 一番いいのは、神社で絵馬を掛けているように紐で吊り下げて、絵馬自体が風で動けるように、余裕を持たせた状態です。 壁に押しピンを刺して、そこに紐を引っ掛けるとか、そういう飾り方です。 「購入してから自宅に戻って飾るまで、床につけないほうがいいのでしょうか?」と、悩まれる方がいらっしゃるかもしれません。 つけないほうがいいです。 「旅の途中で買うと、それって、すごーく難しいんですけど~ 」となると思いますが、ずっとリュックなどに入れておき、座るときもリュックは椅子や膝の上に乗せ、床には置かないようにすれば大丈夫です。 「リュックの中で、他のものとぐちゃぐちゃになって、神社で入れてもらった外袋の紙がシワシワのクシャクシャになるんですけど~」 ……というのは、まったく問題ありません。 「一緒に入れてたペットボトルの水滴で、外袋の紙が濡れてしまいました。絵馬にも染みています」 ……というのも、全然構わないです。 床に置きさえしなければ大丈夫なのです。 ちなみに、ペットがいるお宅でもお稲荷さんをはじめ、神様や眷属は来てくれますから、こちらも心配はいりません。 さて、神田明神で聞いた絵馬のお話です。 神田明神の境内は現在、工事中で、前回お邪魔した時と境内が変わっていました。 授与所の前にベンチがあって、そこに座って「ふ~」と休憩をしていたら、目の前に絵馬掛け所がありました。 見るとはなしに見ていると、なにやら上手なイラストが描かれたものがたくさんあります。 みなさんプロ? というクオリティの絵があっちにもこっちにも掛けてありました。 すごいなぁ、とさまざまなイラストを見ていると……将門さん神様がこう言いました。 「絵馬に願いを書くのは、絵のほうがいいぞ」と。 「え? そうなんですか?」 将門さん神様によると、神様は絵馬に書かれた〝字〟をいちいち読んでいるのではなく、絵馬に乗っている念と言いますか、絵馬に保存されている願望を見る(感じる・知る)のだそうです。 絵を描くのは、字を書くよりも時間がかかるため、本人の心の内が強く記憶される、こもる、と言います。 「字」は、さらさらさら~っと書いておしまい、なのでアッサリとした薄い念しか乗っていないそうです。続きをみる

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牛頭天王の眷属が宿る場所と注意点

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京都の八坂神社にいる、牛頭天王の眷属がたま~~~~~~~~~~~~に、見回りに来てくれることになりました。(←どんだけたまにやねん、ですね ←私のお決まりのフレーズです  ) めったに来てくれない、という表現のほうが正しいように思いますが、まぁ、それは置いといて……。 牛頭天王の眷属の場合は、縁起物に宿っていただくことができません。 というのは、牛頭天王の存在する世界が違うからです。 専用のおふだが必須なので、八坂神社で購入しました。 さて、このおふだを置く場所ですが……。 眷属が居心地悪く思わないようにして差し上げるためには、他のさまざまなものと離す必要があります。 我が家を例にしますと、それはもう、たくさんの縁起物や神社のもの、お寺のもの、キリスト教のものなどがあって、場所の確保が大変です。 空いているのはこんなところしかありません……。 インターホンの上です。左右の押しピンは、おふだが倒れないように壁に刺しています。 「えっ!  いいんですか? そんな場所で?」 ……と思われるかもしれませんが、「構わない」とオーケーをいただいております。 ちなみにおふだの底辺は、私の目の位置よりも高いです。 これは牛頭天王のおふだを神棚に入れる場合も同じです。 神棚の上にあるのが牛頭天王のお社1社のみでしたら問題ありませんが、3社のお社で、他の神様が入っている場合、牛頭天王の眷属は入ってくれないです。 居心地が悪いからです。 居心地悪く思うのは、他の神様が、ではなく、牛頭天王側になります。 せっかく来てもらえたとしても、この状態の神棚には入ってくれませんから、長居はせず、帰ってしまわれます。 存在する世界が違うのと、窮屈な思いをとても嫌われるので、そこは仕方がないです。 ですから、牛頭天王の眷属に来ていただく、長く滞在していただくためには、専用の独立した場所を確保します。 特別に立派な神棚などを作らなくても、我が家のようにインターホンの上で問題ありません。 要は、他の神仏関係と距離を取ればいいのです。 そうすれば牛頭天王の眷属に気持ちよく滞在してもらえますし、見回りに来られても、気持ちよく来てもらって、気持ちよく帰っていただくことができます。難しく考えなくても、他から離れた場所で、高い位置だったらオーケーです。あ、それと、見回りに立ち寄っていただく場合、宿っていただくのはおふだですが、お供え物などは一切いらないです。 眷属のほうも期待していませんし、ましてや欲しがったりすることも決してありません。 何が食べるかわからないお供え物になる可能性がないこともないため続きをみる

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座敷わらしの宿る場所

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私のうちに、2回ほど座敷わらしが遊びに来ました。 京都の座敷わらしの、女の子です。 我が家には、お稲荷さんが来たり、たま~~~~~~~~~~~~~~~に牛頭天王の眷属が来たり、縁起物がたくさんあったりするため、座敷わらしにとって、とても興味のある家のようです。 それで見に来たみたいですが、文字通り、遊びに来ただけですから、ずっと滞在しているわけではありません。 その座敷わらしですが、来ていた時にどこに宿っていたかと言いますと……この置物です。 ひとめ見てわかるように、左側の木像です。 この木像は今年の2月に、神社で買ったばかりの新しいものです。 購入した時は左の木像も右と同じ色をしていて、白っぽかったです。 白っぽいと威厳がないな~、などと失礼なことを考えたのでよく覚えています。 その白木の像が、座敷わらしがたった2回宿っただけで、この変化です。 精霊の存在はやっぱりすごいですね。 今回、座敷わらしが実際にうちにきてくれたおかげで、わかったことがあります。 もしかしたら、全国の人にこれを伝えてほしくて、それで座敷わらしの代表の子が我が家に来たのかもしれない、と思っています。 新たに判明したのは、座敷わらしも牛頭天王と同じく、〝独立した場所〟を好む、ということです。 座敷わらしの女の子は来てすぐに、周辺にあった縁起物を、手でバサバサーッとよけて落とそうとしたり、蹴散らしたりしていました。 自分がいるスペースは広々と確保しておきたいみたいです。 この時、お稲荷さんが眷属とともに、たまたま来ていて絵馬に宿っていたのですが、「こりゃ、かなわん、場所を移動してくれ」と、困った様子で言うので、絵馬は別の場所に移しました。 近くにあった縁起物もすべて移動しました。 ついでに言っておきますと、お稲荷さんが家に来てくれたからと言って、私と会話をすることはありません。 来て、しばらく居て……気がつくと帰っています。 お稲荷さんと眷属は、私と話をするために来るわけではなく、私を守ったり、なにか良い方向に導くために来ています。(本来の居場所から出かけていて、お仕事の一環として立ち寄った、という感じですから、屋敷神として家の神棚にいてくれる優しい神様とは雰囲気が違います) ですから、そのようなお仕事の最中に、私が自分の家の神様のような気分でベラベラしゃべりかけるのは……ちょっと違う、というわけです。 お稲荷さんの都合で来て、お稲荷さんの都合で帰るのを、私は「あ、来られてるな~」と、黙って見るだけです。 家に来られた時は、そういう感じなのに、「場所を移動してくれ」続きをみる

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縁起物に宿っているかどうかを知る方法

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※縁起物について、たくさんの質問をいただいておりますが、すべてにお答えできないことをどうかご了承下さい……。 このシリーズ(?)を始めて一番多くいただいた質問は、タイトルに書いていますように、どうすれば宿ったことがわかるのか、その方法を知りたい、というものです。 我が家の絵馬のようにずっしりと重たくなってくれれば一目瞭然なのですが、これは眷属も含めた大勢の……団体で乗らないと無理なような気がします。 木像の色が変わることにしても、神様か眷属か精霊かで、色合いとか濃さなどが微妙に変わってくると思います。 そこでご提案をしたいのは、飾った当時の写真を撮っておく、ということです。 私の場合、絵馬はたまたま撮影していました。 竹ひごで吊るすタイプが珍しかったからです。 もしかしたら、月日が経過することによって、竹ひごが折れてしまうかもしれず、「記念に撮っておこう」と思ったのです。 団体で来るのは特殊な理由があるからで、普通は1柱の神様、もしくは眷属が来ます。 その場合、重量はないようなものですから、変化があったとしても微妙です。 わずか~~~~~~~~~~~~~~~~~~~に重くなっている? 程度だと思ったほうがいいです。 その場合、写真さえ事前に撮っておけば、小さな変化でも見逃さずに済みます。 座敷わらしが宿った木像2体は、購入した時に写真を撮っておりません。 もしも私が、まだ座敷わらしを見ることができなくて、木像の色の変化もかすかで気づかないくらいだったとしたら……来ていることがわからなかったと思います。 でも、これも、飾った時の写真さえ撮っておけば、微妙な色の変化がわかります。 ということで、宿った物体に〝変化が起こる場合〟、飾った直後の写真撮影をしておくと、あとでその変化に気づくことができます。 しかし……宿った物体に必ずしも変化が起こる、というわけではありません。 色も変わらず、重さも変わらず、見た目はずっと同じ状態、というほうが多いと思います。 そうなると、わかる方法はないのか……というと、ちゃんとあります。 ただし、宿っている神様か眷属か精霊が、自分が宿っていることを本人に「伝えたい」場合のみです。 高級霊は「守ってやっているんだぞ!」と恩着せがましく言ったりしませんし、「感謝の念を持て! 感謝しろ!」などと言うこともありません。 そんなことを考えることもないです。 ですから、存在がわかるように大きくアピールすることはありません。 「守っているから安心しなさい」「不安にならずともよい」という意味で、本人が心穏やかに過ごせるよう、存在を伝えることはありますが、そのような場合でも、さりげな~くしか知らせてはくれません。 本人が気づかなければ、それはそれでよい、というお考えなのです。(気づかないから帰る、ということはありませんので、ご安心下さい) 気づくためには、「神様側があれこれして教えてくれるはず」と神様に丸投げをして、受け身で待つのではなく、自分でさりげない、小さなサインを見つけるしかありません。 というわけで、この先がまたまた長く続きをみる

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縁起物に宿っているという小さなサイン

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前回の続きです〜。 たとえば、絵馬だったら、何気なく目をやった時に一瞬揺れたりします。 風もないのに、です。 事あるごとに何回も揺れるのではなく、たぶん1回きりです。 あっても2回程度です。 ゆらっと一瞬揺れるだけなので、「あれ? 気のせい? 錯覚?」で終わってしまって、そのようなことがサインであると知っていなければ、気づかないかもしれません。 風がびゅうびゅう吹いたりしない家の中なのに、絵馬の位置が微妙にズレている、となったら、来ていることをさりげなく知らせています。 「ワシがいることを知っといてほしいねん」という、性質の明るい、陽気な神様や眷属が来た場合は、絵馬がひっくり返ったりするかもしれません。 神様や眷属が来ると、「はて?」と、首をかしげてしまうような不思議な出来事、不思議な現象が起こることもあります。 うちに来るお稲荷さんの実例でお話をしますと……ある日のことでした。 「役所が閉まる~、間に合わない!」とバタバタして家を出て、玄関の鍵をかけようとした時です。 エレベーターがスーッと上がって来て、我が家のある……(仮に10階としておきます)10階で、ドアが開きました。 「???」です。 エレベーターはうちの玄関のほぼ真ん前にありますが、「誰もいないのになんで開いたん?」と思いました。 あ、そうか、1階で乗ろうとした人が10階のボタンを押し、そのあとで、「しまった、郵便物を取らなきゃ」と気づいて、それで乗らなかったのだろうな、と考えました。 で、玄関の鍵をガチャガチャとかけていたら、当然のことながらエレベーターのドアはスーッと閉まりました。 「うわぁ、1階に降りて行かれると困る~」と心の中で叫び(エレベーターは1基しかないので下に行ってしまうとまた上がってくるのに時間がかかります)、 鍵をかけ終えてから、さて、とエレベーターのほうを向くと、エレベーターはそのままそこに停止しています。 ラッキー♪ と思った次の瞬間でした。 なんと! エレベーターのドアが! 誰も何もしていないのに、再びスーッと開いたのです! は? (  ゚ ▽ ゚ ;)   か、風? 風かな? 風がボタンを押したん? と思いました。 いや、それもありえない話ですけど……(うちは風が通らない構造のマンションですし、風なんかまったく吹いていない日だったのです)、もしも、もーしーも、百歩譲って風がボタンを押したとしたら、上向きか、下向きのボタンが点灯するはずです。 しかしボタンは点灯していなくて、ただ、スーッとドアが開いたのです。 不思議なことがあるもんだ~、と思っていたら、お稲荷さんが初めてうちに来たのがこの日だったのでした。 ちなみにこの時、お稲荷さんや眷属は姿を現していません。 不思議な現象だけが起こったのです。 ちょうど私が出かける時に来られたみたいでした。 そして、これはまた、別の日の話ですが、この日も「待ち合わせに間に合わない! ひー!」とバタバタしていて、玄関を出ました。 すると、下からエレベーターが上がって来ています。 「うちの下の階の人が乗って1階に下りた場合、再び上がってくるまでに時間がかかるなー、やばいな、電車に乗り遅れそうだな」と、思いつつ鍵をかけて続きをみる

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桃の種

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ブログを書く時に、どの話にしようかと悩むことがあります。 神社仏閣・パワースポット紹介はたまりにたまっていますし、新たにわかったいろいろなスピ関係のお話もたくさんあります。 フランスやハワイ島で出会った神仏もお伝えしなければいけませんし、さらに……答えきれない数の質問が来ていて、そちらも時々お答えしなければと思っています。 このように書くべきことが山積みの場合、「この中からどれを書こう……」と迷います。 あれこれ迷っていると、ひとつのことがス~ッと浮かんできて、それが思考のど真ん中に居座ることがあります。 う~ん、私はこのお話ではなく違うものにしたいんだけど……と思っても、その話が頭から離れません。 このような場合、日本のどこかにその話をとても必要としている人がいるみたいです。 私を守護する方々の中に「長宴さん」というお坊さんがいるのですが、その方が提案・アドバイスをしてくれています。 もちろん私は、自分の意思を尊重・優先して、このアドバイスを無視しても一向に構わないのですが、素直に従って書いています。 これから書くお話がそうなのですが、ああ、そうか、今、桃の季節だからだ~、ということに気づきました。(過去に書こうとした時が一度あって、しかし冬だったために桃が手に入らない時期で……書くのは今じゃないかも? と思ってやめたのです) 話は3~4年前にさかのぼります。 奈良県立美術館に「大古事記展」を見に行きました。 お目あては石上神宮の神宝である国宝の「七支刀(しちしとう・ ななつさやのたち )」でした。 本物が見られるというので、奈良まで出かけて行ったのです。 大古事記展では、メインの七支刀だけでなく、古代のいろいろなものが展示されていました。 一部をご紹介しますと……。 「卜骨」という、鹿の肩甲骨です。 骨に穴をあけ、焼いて、そのできた亀裂によって吉凶を占うというものです。 占いに使う骨は薄くて割やすいものだろうと思っていたので、厚みのある立体的な骨を見て驚きました。 「大神神社」の大黒さんの神像もありました。 今、調べてみたら「大国主大神木続きをみる

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邪気を祓う桃の種

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※前回の続きです。 千年以上の時を超えた桃の種を、じいぃぃぃぃーっと見つめたおしていると、種が、ですね、主張をしてくるのです。 「気」で。 私らただのお供えものではなかった、と。 祭祀に使ったのでは? 占いに使ったのでは? とも言われていますが、桃は「邪気を祓う」と古くから伝わっているものですから、そっち方面で使用したのではないかと思いました。 古来中国では、桃には魔を祓う力があると考えられ、それが西王母信仰と結びついて、不老不死をもたらす実となったようです。 桃に関連した魔除けの風習が中国には多く残っていて、旧暦の元旦に、桃の木でできた魔除けのおふだを門に掲げるという桃符(とうふ)もそのひとつです。 古事記にも黄泉の国からの追手を桃の実で退けるお話がありますから、魔除けパワーは本当にあるのではないかと思いました。 そこで、私は次の夏に、せっせと桃を食べ、種を集めました。 集めた種は天日で乾燥をさせます。 実をそぎ落として種だけの状態にする段階で、あっさりと、パカ、と割れる種が多く、そういう時は心底、「ンモー!」となりました。 パカ、と簡単に割れるので、絶望感を味わうことが多いです。 皆様が、ガーン!  とならないよう、先に言っておきます。 種類によるのか、現代の桃は根性がないのか、そのへん詳しくないので、よくわかりませんが、種は本当によく割れます。 それから、「え? 種が小さすぎじゃない? これって……桃?」という桃もあって、大古事記展で見たものと全然違う種だったこともあります。 結局、小さかったり割れまくったりして、数個しか手に入りませんでした。 その次の夏もまた、同様にやって数個確保しました。 天日で乾かすのも、結構日にちがかかります。 こうして乾燥させた桃の種ですが……結論から言いますと、たしかに邪気を祓います。 祓うというよりも……吸い込んで閉じ込めるのです。 でも、そんなに強力ではありません。 盛り塩と同じくらいです。 置いている、その場所のみを浄化してくれます。 効果は盛り塩とほぼ変わりませんが、決定的に違う部分があります。 まず塩のほうは、邪気が塩に溜まってくると塩自体が良くないものに変化し始めて、良くない「気」を放ち始めます。 日々、どんよりと重たくなっていきますから、塩はこまめに取り替えなければなりません。 しかし、桃の種は邪気を閉じ込続きをみる

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東京散歩 豊川稲荷東京別院〜日本橋

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元夫が豊川稲荷東京別院のダキニ天さんにえらい気に入られているお話を以前に書きました。 あれからも、「そんなんあり?」というツキの良さが続き、小金にも恵まれ続け、そばで見ている私は……いや、本人もそうなのですが、「ひ~! ビビる~!」というツキ具合です。 少し前になりますが、「お礼に行きたい」と言うので、私も付き合いました。 元夫は相変わらずダキニ天さんを、キツネの女の〝神様〟と呼び、本堂の中で高らかに柏手も打っていました。 「パンパンしたらあかんよ……」と言うと、 「あ、そっか……」とあとは静かにお礼を言っていました。 ご挨拶をしたあとで、本堂内にある授与所を見ると、絵馬がありました。 元夫はいきなり、「俺、ここで人生初の絵馬を書く!」と宣言をすると、絵馬を購入していました。 そんなことを言うのは珍しいな、と思って見ていたら(ちなみに元夫は興味がないみたいで、私のブログを読んでいません)……授与所のお坊さんが絵馬を手渡す前に火打ち石で清めていました。 カチッカチッと勢いよく石を打つと、火花がパパッと飛びます。 おぉ~、小さいけれど火の浄化だなぁ、と見ていて、そういえば読者の方がたしか、火打ち石で清めてくれますよ、と随分前に教えてくれてたっけ~、ということも思い出しました。 ここは私も是非、火打ち石でカチカチしていただきたい! と、私はこちらを購入しました。 本堂を出て、元夫が書いた絵馬を絵馬掛け所に掛け、奥の院に行ってそこでもお礼を言い、2人でおみくじを引いて(元夫はますます金運が上がっていく、みたいなことが書かれたものを引いていました)、たくさんの良い「気」もいただいて、ありがたくお寺をあとにしました。 「まだ効果が続いているから、このままでいい」とのことで、元夫は今回はお金を洗っておりません。 豊川稲荷東京別院を出て、さて、これからどこに行く? となったので、「日本橋に行きたい」と提案をしてみました。 と言うのは、「千疋屋のパフェを是非食べてみて下さい」と、読者の方にメッセージをもらったことがあるのです。 甘いものが大好きな私は、すぐさまネットで調べ、「いつか行ってみたいな~」とずっと夢見ていました。 ここのパフェはお高くて、自分で払うのはちょっと……というお値段です。 この時、幸い、元夫に貸しを作っていた私は、「お礼はパフェでいいから」と言って、千疋屋に誘ってみたのです。 元夫は食事をおごるつもりだったのに、パフェでいいと言われ、「じゃあ、行こか」と軽いノリで答えます。 「ここから日本橋って近いん?」と聞かれ、特技がうろ覚えの私は、 「たぶん、すぐそこだった気がする」 などと、適当に返事をしたら……赤坂見附駅からは電車に乗らなければいけない距離でした。 まあ、でも、10分程度なので行ったのですが……。 現地でグーグルマップ検索をすると、「千疋屋総本店 日本橋高島屋店」と出たので、地図に従って高島屋を目指します。 東京にお住まいの皆様はご存知でしょうが、日本橋って……高級感あるんですねぇ……。 この高島屋のあたり、場違い感が半端なかったです! で、高島屋に行くと、2階のお洋服のフロアの一角にお店があって、私が以前ネットで調べていた「総本店」とはどうやら違うようです。 せっかくの、人生初の千疋屋高級パフェですから、ここは是非とも本店で食べたいところです。 すでにエスカレーターで2階に上がり、店内を歩いていましたが、そう言うと、 「え? どういうこと? また今から違うところに行くん?」と、元夫の顔が曇ります。 いや~、気持ちはわかります、だってこの日は猛暑日だったからです。 「総本店も日本橋にあるから、きっと近くやと思うねん」 「は続きをみる

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