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Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
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⑯与那国島の海底遺跡近くにある森の小道

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与那国島には、南の島のことを知りたくて行ったので、「御嶽も行くべきかなぁ」と思った時に、めったに自分からは出て来ない守護霊が、そこでキッパリと言いました。 「行く必要はない」と。 守護霊というのは、少々の失敗は良い経験になる、ということで出しゃばったりしません。 ああしなさい、こうしなさい、と指図をすると、本人の人生ではなくなり、守護霊が作る人生になってしまうからです。 私の守護霊もそのルールに忠実で、私から質問をして答えてもいい時は答えを言いますが、答えれば私のためにならないと判断した時は答えてくれません。 というか、守護霊の役割を知っているので、私もほとんど頼ることはないです。 守護霊が言うには、御嶽は霊が多い、神が降りてこられるところは少ない、この島は大きな神と繋がることができる貴重な島である、とのことです。 せっかく飛行機を乗り継いではるばる与那国島まで行って、しかも滞在する時間は限られているのに、神々と会わずに霊を見に行くのはもったいない、とアドバイスをくれたのです。 おかげさまで迷うことなく、御嶽見学を予定から外しました。 では、と次の目的地を、海底遺跡に一番近い場所、「新川鼻」という岬にしたのですが、そこへ行く道がありません。 マップには、途中まで道が描かれているものの、プッツリと途切れているのです。 しかし、その先に道がまったくないとも思えず……きっと、けもの道のような小さな道があるに違いない、と考えて行ってみました。 結果から言うと、描かれていた道は、ややジャングルのような森を入って行くコースでした。 ここから入ります。道を入った時は小雨が降っていて、晴れないなぁ、おかしいな、と思いつつ歩きました。 続きをみる

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⑰与那国島で海の神様に聞いた話

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遺跡は宮殿とかそのような特別な建物の跡ではなく、人々が暮らしていた場所だったらしいです。 「遺跡があったところから下が、人々の暮らす場所だったのなら、私が今いるここは、大昔は小高い丘か山だったってことでしょうか?」 「そうだ」 そうか〜、大昔はここから古代の町が一望できたんだな〜、と海の彼方を見ていたら、神様が言いました。 「そこは特別だから、島の神でも龍でも呼べば来る」 「えっ! 本当ですか!」 さっそく、島の神様を呼んでみました。 スッと現れてくれた神様はエレガントな雰囲気の女性で、変わった冠をかぶっています。 冠の上部に挿してあるのは木の細い枝ではなく、木片? を細工したような飾りです。 初めて見る冠です。 そして、やっぱりサラサラふわふわした例の薄い生地のドレスを着ています。 この島も、島の神様は女神様なんだなぁ〜、と思っていると、 「島の神はみな女性である」と、海の神様が言います。 たしかに久高島の神様も、島の神様かどうかハッキリと確認はしていませんが、沖縄本島の大石林山で見た神様も女性でした。 石垣島の美崎御嶽では、優しい守り人の後ろにおぼろげに女性が見えていたのですが、あれは石垣島の島の神様だったのだな、と思いました。 そこからは地球の話になりました。 いろいろと質問を重ねて聞いたものをまとめますと……。 地球という星ができて間もない頃、微惑星や隕石の衝突が続いていた地表は非常に高温で、火山の噴火などもたくさんあって、とても生物が住める環境ではなかったそうです。 しかし、その時期に、神々はすでに待機していた、と言います。 やがて大気中に存在していた水蒸気が凝結して、雨となり、地表に降り注ぎます。 その結果、海洋が形成されます。 海と大陸ができた時に、神様も、海の神様と大陸の神様とに分かれたそうです。 神様に性別はありませんから、海の神様も大陸の神様も、姿は自由に選べますし、変えることもできます。 だけど……この地球は「男性と女性」「続きをみる

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⑱与那国島で新たにわかった龍の真実と金刀比羅宮

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ジャングルのような森を出て、次に行ったのは「立神岩西展望台」です。ここから歩いて登ります。この少し前は晴れていたのですが、また雲が出てきました。 300メートルくらい歩いたかな~、と記憶しているのですが自信はありません~。 車でも行けるんじゃない? と思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、展望台までこの幅のままでした。すれ違うことができないので、やめておいたほうがいいと思います。  向こう~~~のほうに見える、あれが立神岩のようです。ちょっと遠いですね。 ズームしてみました。この島のすごいところは、本当にどこからでも大きな海の神様と繋がれます。ここでもお話ができました。 反対側を見ると、崖のところに高エネルギーの場所がありました。 この先端部分です。うわー、行きたいっ! ちょっとそこに立ってみたい、と思いましたが、私の前には手すりがあります。「どんなエネルギーなのかな?」と、じーっと見ていたら……。 神様に「来るなよ」と、笑いながら言われました。 「そんな危険なことはしませんよ〜」と言いつつ、ふと見ると、手すりのすぐ向こうには人が歩いた跡があります。(下の写真です) 一瞬、手すりを越えて行こうかな、と思いましたが、この時は強い風が吹いていて、雨もポツポツ落ちていました。 神様が来るなよ、と言うのですから、危険なのだろうとあきらめました。 風がなくて、お天気も良かったら、どのようなエネルギーなのか確認しに行っていたかもしれません。  そこから車で少し行くと、「立神岩展望台」があります。 車のドアを開けて、空を見上げると、「傘はいらないな〜」と思う小雨でした。 濡れてもたいしたことないという霧雨のような降り方だったのです。 カメラだけを持ち、車を降りて10歩ほど行ったところで、いきなりスコールがきました。バケツをひっくり返したような土砂降りの雨とともに、猛烈な暴風が襲ってきたのです。 いきなりです。  ありえない天気の変化に驚きましたが、引き返して車のドアを開け、傘を出して、というあれこれするのが面倒くさく……展望台はすぐ目の前だし、サッと行って写真だけ撮ってくればいいか、と走りました。展望台に上って2枚の写真を撮り、車に戻る、そのわずか1〜2分の間に、全身がずぶ濡れです。服を着てプールに飛び込んだような濡れ具合で、車の中で着替える時に、なかなか脱げず苦労しました。頭もシャンプー直後のように、髪の毛から水滴がポタポタと落ちていました。穂高さんにお天気の回復を頼んだのに、穂高さんが見当たらないなぁ、変だな、ということは少し前から思っていたのですが、どうやら穂高さんはいない様子です。 こちらがずぶ濡れになってまで写した貴重な  展望台からの眺めです。 く~。 撮った意味あったのかな~、と思ってしまう1枚です。 その展望台を車の中から写しました。 目の前の石垣の向こうは道がちょっと下にくだっていますから、展望台は階段を登って中に入ります。 展望台に入れば雨はしのげるだろうと思ったのですが……甘かったです。 暴風が吹き荒れているので、屋根はあってないようなものでした。 幸い車にスーツケースを積んでいたため、下着からシャツ、ジーンズまですべて着替えて、次の「東崎展望台」に行きました。 さっきの雨は何やったん? と思うほど、お天気は回復しています。また霧雨しとしと状態に戻りました。 駐車場からウンチがたくさん落ちていて、馬でもいるのかな? と思ったら……。 あ! あそこにいるのは牛! 牛がこちらに気づきました。 じっと見ています。 よいしょ、っと向きを変えて…… さらに見つめています。ん?よーく見たら、右側に白黒模様のもう1頭が見えています。怖がらせるのも悪いし、というか、走って来られたら怖いので、刺激しないよう先へは行きませんでした。 ここでももちろん、海の神様にお話が聞けるので、さきほどのスコールについて聞いてみました。私が空を見た印象では、どうやらこの地域を自分のテリトリーとして守っている、特別な龍はいないようなのです。中国大陸のほうから気ままにやって来る龍、海の上を自由自在に行き来する海洋の龍が、ランダムに飛んでいます。ですから、穂高さんがやって来て晴れるように段取りをしても、中国から来た龍が雨にしたり、海洋の龍が晴れるように天気を動かしても、別の海洋の龍や大陸の龍が来てまた雨にしたり、と複雑にあれこれやっているようでした。(この日は何回か、空が明るくなって日が射していたのです) イタズラのし合いっこみたいな感じで、面白がっているのかな、遊んでいるのかな、と思い、それを神様に言ったところ……。さきほどの激しいスコールは龍同士でケンカをしたからだ、と言うのです!えーーーーーーーーっ!!!!!!!! 「神様! それは一体、どういうことなのでしょう? 龍は神獣なのにケンカをするのでしょうか?」と、お聞きすると、〝神に仕えている龍〟は戦ったり、争ったり、縄張り争いはしない、と言います。しかし、神仏に仕えていない自然霊のままの龍はケンカをするそうで、以外と気性が荒いみたいです。へえぇぇぇぇーーーーーー!!!!!!! そうなんだーーーっ!!!!! と、この島では驚きの連続です。一生分のビックリマークをここで全部使い果たしてしまいそうです。でも、よくよく考えてみれば、自然霊という存在はそういう性質なのです。神仏に仕えて「善」の続きをみる

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⑲西表島の祖納地区の御嶽にて

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西表島を車で走っていると、このような看板があって、 「うわ〜、私が今いるのは西表島なんだなぁ」と感動しました。 この島も原始感が強いです。 手付かずの自然(亜熱帯性の植物だそうです)が、なんとも不思議な「気」を発していて、古代の地球を連想させてくれます。この島の「気」は独特なもので、石垣島と近いのに、島の雰囲気は違っていました。 とりあえず、島の一番奥(北西部)に行ってみました。案内図を見てもらうと、おわかりになるかと思いますが、西表島はぐるっと1周できないのです。南西1/3の部分には道がありません。 一番奥のところへ行って、そこから東へとまわり、南下しようと考えたのです。 この時、私の西表島に関する知識はゼロに近く、マップを見ながら、もしくは車で走っていて、直感で「ここだ!」と思ったところを見よう、と決めていました。 こう書くと、直感がえらい優れている人のように聞こえるかもしれませんが……違うんです。 事前に調べる時間がなくて、行き当たりばったりと言うか、一発勝負、出たとこ勝負で取材です。(←たまにこれで大失敗をしています) 島の奥から少し北上すると、漁港と集落がありました。 〝車のナビ〟をチラリと何気なく見たら、御嶽のマークがあります。 あれ? こんなところに御嶽がある〜、と思いましたが、私としては海の神様に会いたかったので、そのまま通り過ぎました。 しかし、磁力にぎゅいーんと引っ張られる感覚があって、通り過ぎたあともいつまでも気になって仕方がありません。 そこで一旦、路肩に停車をして調べてみました。 スマホでグーグルマップを見ても、ネットで検索をしても、その御嶽の情報はどこにもありませんでした。 きっと小さな小さな御嶽で、地元の人しか知らないのだろう、行かなくてもいいかな、と先へ進もうとしたら、突然、猛烈におトイレに行きたくなりました。 ( ̄ー ̄;  …………。 時間的にもうちょっと大丈夫のはずなのに、なんでこんなに急に? と思いましたが、待ったなしの状態なので先ほどの御嶽近くまで戻りました。 そこには公衆トイレがあるからです。 「ふぅ」と、おトイレを済ませると……御嶽はすぐそこで……行ってみました。 失礼ながら、軽〜い気持ちで訪れた御嶽でしたが、敷地に入ると「うわぁ〜!」と驚くほどの神聖度でした。 拝殿は閉まっていたので、奥へと進むと……土地の「気」が古くて、歴史のある御嶽のように思いました。 拝殿の後ろにはイビがあって、その横に奥へ行く小道があります。 小道の奥には石段があって、その上にも祈る場所がありました。が、こちらはノロが祈るイビとは種類が違います。行かないほうがいいと思います。 イビの前で、「言葉が違うとは思いますが」と前置きをして祝詞を唱えていたら……。 この御嶽で祭祀をしていた歴代のノロ(西表島での呼び方がわからないのと、沖縄を含めた南の島でこのお役目をされていた方の呼び方を統一したいので、以後はノロと書かせていただきます)が、ワラワラと出てきました。 14〜15人いました。 全員女性です。 紺色の上着に鉢巻をした民族衣装の人もいれば、白い服を着た人もいます。 「ここは、神様がいるところでしょうか? それとも、祈るところでしょうか?」と聞くと、 「祈る場所である」と全員が口々に答えます。 祈る場所であり、それによって神様が降臨すると言うのです。 神様は木に降りるという続きをみる

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⑳西表島の聖域の浜と三離御嶽

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ノロ(見えない世界のノロです)の女性に教えてもらった、聖域であるという浜は祖納地区にあります。 前回書いた御嶽からすぐの場所で、車で3〜4分、徒歩で行くと12〜3分程度でしょうか。 マップで確認をしてみたら、浜の名前は書かれていませんでしたので、名称はわからないです。   私は車で行ったのですが、入り組んだすごく細い道を通るので、おすすめはできません。 浜の入口となる道路の終点は駐車できるのが2台、無理をすれば3台いけるかな〜? というスペースしかないので、こちらの意味からも、もしも行かれるという方は徒歩がよろしいかと思います。 道路の行き止まりからこのような道を入って行きます。 本当に浜辺に出られるのか……ちょっと不安になりました。 藪を抜けたらこの場所に出ました。 何の変哲もない浜のように見えますが、聖域度が高いです。 説明が難しいのですが、この場所の聖域とはノロの人たちの感覚で言う聖域で、ノロの人たちが思う種類の聖域です。ですから、この浜の近くには、かなり強力なパワーを持つ御嶽があると思われます。 この岩をぐるっとまわって向こうに行きます。 浜全体が同じ濃度の聖域ではなくて、すごいのはこのあたりの岩場です。 岩にも特徴があります。 岩の間に大昔の祈る場所があって…… 神様が宿れる(降臨できる)岩場となっています。 私が来た方向です。向こうの突き出た岩場のところから浜に出ました。 よく見ると、岩の模様が美しくて、 長く観察しても全然飽きません。 海の中にも大きな岩があります。 空中に突き出ているこの岩に登って裏側へも行ってみました。 この岩場の海水は、海の〝聖水〟となっています。塩が入っている分、浄化する力も強いです。 水が透明で、見た目にも美しい聖水です。 「すごいな〜」としばらく岩場の周辺を観察しましたが、やはり最初にご挨拶をしたいのは海の神様なので、先に海の神様を呼んでみました。すると、与那国島で会った神格の高い大きな海の神様が出て来られました。神様のお話では、私の背後に南の島のあちこちのノロがたくさん集まっている、とのことです。そのノロの人々が興味津々で私のすることをじっと見ていると言います。「そ、それは……私をよく思っていないから、でしょうか? 」神様によると、昔の離島の住民は外部から人がやってくると、侵略されるかもしれない、島の文化を壊されるかもしれない、病気だの悪霊だの良くないものを持ち込まれる可能性がある、と不安に思ったそうです。守り人も昔の人間が少なからずいるため、「島民以外の人間は島の神様を敬わない失礼なやつらが多い、けしからん!」という意識があるそうです。それで無条件に反発をする守り人もいるし、御嶽に足を踏み入れたら烈火のごとく怒る守り人もいるのだそうです。なるほど、と思った私はそこで、祖納の御嶽で話したような内容を、私の背後にいるノロの方々に向かってお話をしました。「御嶽の仕組みを知らない人は、わからないせいでズカズカ入ってしまうことがあると思います。私も沖縄に行った時は御嶽の仕組みをまったく知りませんでした。だから御嶽で、してはいけないことをしてしまったかもしれません。失礼があったようにも思います。今思うと、守り人に対して申し訳ないことを致しました。しかし、あらかじめ、ちゃんとしたシステムを教えてもらっていたら失礼もなかったと思います。御嶽のことを紹介するというお役目、お伝えをするお役目を私にさせていただけないでしょうか」そう言って頭を下げると、ノロの集団の上に1名、女性が現れました。明らかに他のノロとは違っていて、どうやらこの方は古い時代の人のようです。神様修行もされているみたいです。ノロの親分と言いますか、ノロ全員をまとめる代表的な立場の方に見え続きをみる

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㉑サンゴのお話

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少し前に、サンゴは持ち帰ってはダメですよ〜、ということを書きました。 その後、「知らずに持ち帰ってしまいました」というメッセージが多く届き、その数にびっくりしました。 皆さん、まったく悪気なく、というか、むしろ南の島が大好きだからという好意的な気持ちで「記念に……」と持ち帰られています。 えっと、まず、ご存知の方もおられると思いますが、サンゴの石(死骸)の持ち帰りは禁止されています。 これはそのことをお知らせしている、沖縄県のホームページです。 http://www.pref.okinawa.jp/site/norin/suisan/gyogyo/sango.html 内容をよく読むと、 「2 折れて海域に落ちているもので(生死は問いません。)、原形をとどめているもの(砂状、れき状、石状等の死サンゴは、除きます。)も採捕禁止です。」 と書かれています。 法的な面から言うと、原形をとどめていない、砂状、れき状、石状等の死サンゴは問題ないと思います。 しかし……別の意味で、やめておくことをご提案致します。 祖納の浜で、サンゴには精霊が宿っていることがある、だから神聖なのだ、と教わりました。 小さな精霊が宿っている南の島のサンゴは、〝その島に〟いるべきものです。 もちろんサンゴ石の全部に精霊が入っているわけではなく、その数はそんなに多くはありません。 与那国島の浜で、私はいくつかのサンゴ石を手に取って見ましたが、私が見たものの中には精霊が宿っているサンゴはありませんでした。 ですから、サンゴ石のかけらは、ほとんどが心配ないと思って大丈夫です。 けれど……もし……、もしも精霊が入っているサンゴ石だったら、その精霊は島に帰りたがります。 いただいたメッセージの中には、サンゴを持ち帰った直後から体調が悪くなり大変な目にあいました、と書かれているものがありました。 サンゴを持ち帰った場合、たたりとか、呪いなどで、体調が悪くなるのではありません。 「島に帰りたい!」と思った精霊が、 「島に戻してほしい」 「そのことに気づいてほしい」と、障りを与えるのです。 これはご先祖様と一緒です。 良いことを起こす方法では人間は深く考えないからです。 障りがあると、どうして? 何が原因? ああだろうか、こうだろうかと、いろいろ考えを巡らせます。 そこで、あ! おじいちゃんの年忌を忘れていたわ〜、と気づくわけです。 ご先祖様も精霊も本来なら障りなど与えたくないのです。 しかし、それではわかってもらえない、何とかして気づいてもらうにはこの方法しかない、という苦渋の決断なのですね。 過去にサンゴを持ち帰って、その直後に何の障りもありませんでした、という方は、精霊が宿っていないサンゴを持って帰ったと思われます。 ですので、この方は大丈夫です。 そのまま持っていても問題ありません。(原形をとどめていない、砂状、れき状、石状等の死サンゴの場合です) サンゴを持ち帰っ続きをみる

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㉒ノロに認定される、ということは

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※このシリーズ、21回くらいで終わる予定でしたが、すみません、あと4〜5回続きます。 違うお話を読みたいと思われている方はもう少しだけお待ち下さい〜。 ノロの代表の女性に、「お前をノロと認めよう」と、認定してもらったところまでを書きました。 そのおかげで、三離御嶽で会った守り人には「御嶽に入ってもよい」と特別扱いをしてもらえ、お話を聞くことができました。 詳細は省きますが、車のタイヤが側溝に落ちる寸前で助けてもらったりもしました。 その日の夜のことです。 思いっきり熟睡していた私は、誰かがくすくすと笑う声でぼんやりと目が覚めました。 ふと気づくと、私の顔を笑いながらのぞきこんでいる人がいます。 誰だろう? と思っていると、「寝てる?」と、その人が声をかけてきました。 そこでぱっちり目を開けてみると……。 私の周りには、女性が20人ほどいます。 「え? な、なにごと !? 」とびっくり仰天です。 20人の女性はノロ? のようで、たき火を囲んでいます。 3次元で見える世界はホテルの一室ですが、空間が重なっていて、ノロの女性たちがいるのはどこかの御嶽です。 イビの前でたき火をしているのです。 たき火を囲んで全員が輪になっており、私にも入るようにと勧めてきます。 輪に加わると、1人1人が順番に余興をしているところでした。 歌ったり、踊ったり、出し物はいろいろです。 全員がとっても楽しんでいて、余興の自分の順番が早く来ないかな、とみんなワクワクしています。 私の隣の人の番になり、その人はいきなり「じゃんけんぽーん!」と私に向かって言います。 とっさのことで私が天に向かってグーを突き出すと、その人もグーを出し「おあいこだね〜、おあいこだから、次の出し物は識子さんだよ」と言うのです。 「は? せっかく自分の番だったのに? しかも次は私の番って決まってるのに、なんでじゃんけんしたん? もったいなくない?」と、私が目を真ん丸にして聞くと、なぜかみんな、大爆笑をします。 そこにいる全員が友好的で、すべてのことが楽しくて仕方ないといった雰囲気なのです。 どうやら私を歓迎する宴のようでした。 その後、トークタイムとなり、いろいろな話をしていると、誰かが「離婚して、1人になって寂しくない?」と私に聞きました。 「寂しい? いやいや、全然! 1人は気楽だし、自由だし」と答え、「あ、でも、力仕事とか、パソコンでトラブルがあった時は元夫がすぐに来れないから、そこが不便かな〜」と言うと、 「これからは時代がどんどん進むから、大丈夫になるよ」と言われました。 そうか、AIとかロボットとか、いろいろと進化していくんだろうなぁ〜、と思ったところで、ハッキリくっきりと覚醒した私は現実界に引き戻されました。 その理由は……ラップ音です。 部屋中に鳴り響いていたからです。 威嚇するような、ビシ! バシ! という音ではなく、柔らかい、パタ! パタ! という音で、音量もそんなに大きくありませんでしたが、〝ラップ音〟です。 時計を見ると、夜中の2時半をまわったところでした。 ノロの仲間にしてもらったので、歓迎をされていることはわかります。 しかし……歓迎の宴をしているその時間が問題です。 丑三つ時なのです。 そして、部屋に響くラップ音……。 成仏していない幽霊の証拠です。 続きをみる

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㉓ノロ認定の取り消し

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幽霊であるノロの人、御嶽の守り人たちに歓迎されてはじめて、「ああ、こういうことだったのか」と、南の島の信仰のいろいろなことがやっと詳しく見えてきました。 とにかく認定を取り消してもらうことが先決なので、朝イチで朝食を食べて、すぐに出発しました。 取り消してもらえなかったらどうしよう、と不安だった私は、祖納の浜に行く途中にある「古見岳」という、神様がいそうな山に寄り道をしました。 登山口を入って歩いて行くと、川があります。 川幅が広くて浅そうに見えるのですが、ところどころ深くなっており、ジーンズをたくし上げても濡れるかも……という川でした。 冬に渡るのはきついかな、とそこで神様にご挨拶をすると、山岳系の神様が山から降りて来られました。 ああ、良かった、神様がいてくれて、と思い、事情を詳しく説明をすると、「約束を返してから、もう一度ここに来なさい」と言います。 霊との約束を返したあとで、禊(みそぎ)をして帰るとよい、とのことでした。 神様によると……私の後ろには、ぞろぞろと48人の女性(ノロだけではないそうです)がついていて、プラス、まだ子どもの女の子も1人いる、とのことです。 「そんなにたくさんの人が! ですか!」  (と言ったあとで、心の中で、ひ〜え〜!  と叫びました。声に出すと霊の人に聞こえてしまって失礼なので、心の中で、です) 「このまま東京に戻っていたら、この人たちを連れて帰っていたのでしょうか?」 そう質問をすると、霊は島から出ないけれど(西表島だけでなく、他の南の島の霊もいたそうです)、 南の島の霊のネットワークのようなものを身につけたまま帰ることになっていた、と言われました。 そのネットワークをつけたままで遠く離れると、霊とのつながりに引っ張られるため、体調を悪くしたり、病気になったりするそうです。 そこまで聞いて、一刻も早く祖納の浜へ行かなければ、と古見岳をあとにしました。 祖納の浜に向かいながら、もしも……「すまぬが、認定は取り消せない」と言われたら……と考えました。 そうなったら、移住するしか方法はないなぁ、ということも真剣に考えました。 これは霊の人たちが悪いわけではなく、認定しようと言われて、よく知らないままに受け入れた自分の責任です。 必要なものを持参して浜を訪れると、前日よりも潮が満ちていてビビりました。 やっばー!  聖なる場所へ行けなかったらアウトだ、と急いで奥へ行くと海水の高さはギリギリでした。続きをみる

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㉔南の島とお地蔵さん

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ノロの認定を取り消してもらったあと、海岸を歩きながら代表の女性と少しお話をしました。 そこで「どうして、多くの人が霊のままなのですか?」と質問をしてみました。 南の島の人々は信仰の違いで、もともと〝成仏する〟という考えをほとんど持っていなかったそうです。 そのため、本人がこのままでもいいと思っている霊もいるし、成仏の仕方がわからないから霊のまま、という人もいるとのことです。 どうして幽霊が御嶽にいるのか、そこを説明しますと……。 亡くなってすぐに御嶽に行き、そのままそこで過ごしていて成仏するチャンスを失っているパターンが多い、ということでした。 霊本人は、そろそろ向こうの世界に行かなければいけないと、うすうす気がついているけれど、 「御嶽を守らなければ!」「ここにいなければ!」 という念で凝り固まっていて(責任感とか使命感とかそういう念です)、その念がずっしりとした重石となり、上に昇って行くことができないそうです。 私が出会った石垣島の「天川御嶽」の守り人の老人がまさにこのタイプだと教えてくれました。 そうか、あのおじいさんはそんなに強い使命感を持って、あの御嶽にいたのか……と思うと、議論をしたことが申し訳なく、「悪いことをしてしまいました」と、代表の女性に謝罪しました。 すると、代表の女性はにっこりと微笑んで、あれはあれで良かったのだ、と言います。 頭痛でガンガンに攻めてきたおじいさんでしたが、「こいつ(私ですね)の言うことにも一理ある」と思ったその後で、おじいさんは深く考えていたそうです。 物事を一方からしか見ていなかったことに気づき、反省をし、考えを改めたところで……おじいさんのガチガチに固まっていた念は、少しずつ溶けてゆるんでいったそうです。 念を柔らかくゆるませることができたため、最終的におじいさんはその念を手放すことができた、とのことでした。 今は成仏をして、天川御嶽にはいないそうです。 いずれおじいさん本人が、自分で気づいて成仏をしていたのでしょうが、「礼を言う」と代表の人がお礼を言ってくれました。 おじいさんは魂のメンテが済むと、その先は自分で選べます。 輪廻転生の道に行く、しばらく霊界で過ごす、霊界で仕事をする……天川御嶽に戻って御嶽を信仰している人々を守る、という道も考えられます。(成仏をすれば、観光客にイライラと障りを与えることはなくなり、一段高い場所から守る存在になります) 成仏したことを聞いて、ああ、良かった〜、と心底そう思いました。 そこで……。 差し出がましいかな、出しゃばりすぎかも? と思いながらも、さらに聞いてみました。 「他の霊の人たちを、成仏させてあげなくてもいいのでしょうか?」 代表の人はちょっと困った顔をして、成仏させてやりたくてもやり方がわからない、と言います。 「あの〜、非常に差し出がましくて……余計なお世話だと思うのですが……もしも、成仏をしたいという霊がいるのなら、私、強いお地蔵さんの知り合いがいるんです」 「???」 「お地蔵さんにお願いをすれば、向こうの世界に連れて行ってもらえます。成仏できます」 「それは……どうすればよいのか?」 「霊の人に、成仏する意味を説明していただけますか? 霊をやめれば、好意を持っている人間に知らず知らずの間に障りを与えてしまうこともなくなるし、良いほうの力を使って御嶽や地元の人々を守ることができます。そのことを霊の方々に理解してもらって、では成仏しようかな、と心の準備ができた人がいましたら、その方々をここに集めて下さい。お地蔵さんを呼ばせていただきます」 私が、南の島はすごいな〜、と思ったのは、見えない世界における特殊性です。 普通は、成仏した人の声や神様修行をしている人の声は、幽霊には届きません。 幽霊からすると、声が聞こえないだけでなく、姿も見えないのです。 幽霊という存在からは上のほうは見えない、聞こえない、となっています。(中には例外もあるのですが、一般的にはそうです) しかし、不思議なことに、南の島の「ノロネットワーク」「御嶽ネットワーク」では声が届くのです! なんでだろう? どうしてかな? と仕組みを知りたかったのですが、そんな状況ではなかったのと、多分、代表の女性からすると当たり前のことで、質問をされても困る、となるかもしれないので自粛しました。 ネットワークがすでに切れてしまった私には見えませんでしたが、海岸にはたくさんの幽霊が集まっていたようです。 そこで、お地蔵さんの姿かたちを説明し、お地蔵さんが来たらどうすればいいのかを伝えました。 私が強いご縁をもらっているのは恐山のお地蔵さんです。 恐山におられるお地蔵さんは、お地蔵さんとは思えないほど強大なパワーをお持ちです。 そのお地蔵さんを恐山からお呼びすると、とても大きな体でやって来られました。続きをみる

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㉕御嶽とは

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これは私が実際に現地に行って、多くの御嶽に入らせてもらい、自分の目で見て、さまざまな体験もして、南の島のあちこちで見えない世界の人にもお話を聞いて、知ったことを書いております。 個人的見解になります。 そこをご理解いただいた上でお読み下さいますようお願い申し上げます。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 御嶽は、ひとことで言えば、〝守られている場所〟です。 本土の神社やお寺と同じように考えるのは間違いであり、その仕組みはまったく違っています。 癒されるとか、恩恵がもらえるとか、パワーやエネルギーを充電してもらえるとか、そのような場所ではないのです。 見えない世界で御嶽を守る人は、成仏した人もいれば、幽霊もいます。 その方々が〝真剣〟に、〝全力〟で守っている……それが御嶽です。 守っている理由は「神聖なところだから」です。 この「神聖」という言葉は、私たち本土の人間が思う意味とは少し違っています。 (私だけかもしれませんが)神聖というと、神様仏様がいるような、神がかった素晴らしく清らかで、波動の高いキラキラした場所、と思ってしまいますが、御嶽で言う「神聖」はそうではなく、どちらかと言うと「聖廟」とか、「御陵」とか、そっち方面の雰囲気を指しています。 亡くなって長い年月が経った人、長い年月に渡ってずっと信仰され続けてきた人の「お墓」にある、聖地化された空気に近いのです。 御嶽は祈りの場所であり、本土にある神社のように、そこに神様が常駐しているわけではありません。 私は、神様が常にいる御嶽もあるのだろうと勘違いをしていました。 さらに、御嶽では簡単に誰でも交信ができるものだと思っていました。 どちらも間違いでした。 神様を〝御嶽に〟降臨させるのは、「ノロが祈って」「ノロが呼ぶ」という手順が必要なのです。 木や岩などに降臨してきた神様に、「ノロが願いを言う」それを「神様に聞いてもらう」というシステムです。 ですから、いくら霊能力があっても、呼ぶ方法がうまく合致しない場合は、御嶽に神様は降りて来てくれません。 そういう仕組みになっている場所だからです。 御嶽は、〝神様〟を信仰しているのですが、神社とは信仰自体がまったく違っています。 大きく異なる点は、神様を降ろすその同じ場所に、ご先祖様が結構な数で集まっている、ということです。 御嶽そのものを守る、御嶽を通して地元民や子孫を守る、というご先祖様方は、ノロだった人もいますし、近所に住んでいた人、南の島出身の人などさまざまです。 全員がその地のご先祖様なのです。 「御嶽を守らなければ」「子孫や地元民を守らなければ」という意識があり、さらに自分の家系のご先祖様もここにいる、という人もいて、それでお墓ではなく御嶽にずっといるみたいです。 さきほども書きましたが、成仏した人も幽霊もいますから、成仏した人のみの御嶽、成仏した人が多いところは気持ち良く感じる御嶽となっていて、障りが出ることはありません。 幽霊のほうが多くいるところは、幽霊側にまったく悪気がなくても、幽霊自体の波動が低いせいで心霊スポットのような感じになっています。 御嶽を訪れて体調が悪くなったという人は「波動の低い霊気にあたったから」で、御嶽の祟りとか、呪いとかそのような恐ろしいものではありません。 もしも、御嶽で何か失礼をしでかして叱られてもその場限りです。 本土に帰ったあとあとまで、追いかけてきて、しつこく叱る、ということはないです。 幽霊は本土までついてきたりしませんが、霊感が強い人は南の島を離れても、しばらくはその影響に悩まされます。 叱られるのはまだいいほうで、見えない世界で入ってはマズいイビにうっかり入ったり、凝縮されたような濃すぎる(適切な言葉がありません)祈りの場に入ってしまうと、守り人に気に入られることがあり、そうなるとあとが大変です。 イビに入ってしまったら、人によって背負わされるものが違うというのは、霊能力がある人は御嶽を守る仲間に誘われる可能性があるからです。 イビの中に入るということは、御嶽を信仰する意思アリ、と見なされます。 自分では「私には霊能力はありません」と思っていても、向こうから見れば、まだ開発されていない眠った能力でも、そこはハッキリとわかります。 その人の性格なども見て、「是非、仲間に来て〜!」と、誘われることもあるのです。 男性は安心かと言うとそうではなく、守り人の仲間に誘われる可能性があります。 南の島の人々は、「仲間」と認めると、垣根を取っ払って、古くからの友人のように、または親兄弟のように、こちらを全面的に信用し、仲良くしてくれます。 受け入れる、と決めたら、とことん受け入れる、それが南の島の見えない世界の方々です。 純真なのです。 記事に書きましたように、御続きをみる

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旅に出ています

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昨日(と言っても、日付け変更線を越えたので、こちらはまだ21日の夜ですが)、羽田空港で見た、スズメくんです。 空港のターミナルビルに迷い込んで、首をかしげながら、トコトコと歩いていました。 こんなに小さくて、しかも鳥なのに、「うわ、ここどこー? 迷子になってもうたー、どないしょー」という念を強く放ちながら歩いていました。 私は椅子に座って、必死でスマホを操作していたのですが、その念をキャッチして「ん?」と顔を上げたら、スズメくんがいました。 下の写真は「困ったなぁ、モー」という後ろ姿です。 哀愁が漂っています。 「足がツルツル滑って、歩きにくいわ〜」とも思ってたようです。続きをみる

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田舎町のレジにて

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海外でのお話です。 ツアー旅行ではまったく感じたことがなく、また、そこそこの都会を一人で旅行をしていても、めったに感じることはない人種差別ですが、ものすごい田舎に一人で行くと、たま~に差別をされます。 バスの運転手から、ひどい人種差別を受けていた中国人の若い女性の旅行者を見たことがありますし、駅のイートインで差別をされていた、こちらも若い女性のアジア人(国籍はわかりませんでした)を見たこともあります。 差別をするのは白人で、高齢者が多いです。 自分がされた時は「考え方が違うから、仕方ないな~」と、気にしないようにしています。 その話はとりあえず、横に置いといて……。 昨日、高速道路を途中で降りて、トイレ休憩をするためにスーパーに入りました。 ものすごい田舎町でしたが、スーパーは巨大です。 私が並んだレジの女性は40代前半の白人さんでした。 アメリカのレジの人はお客さんと気軽に会話をする人が多く、その女性も笑顔で誰とでも明るく話をしていました。 一見さんの外国人である私にも、にこにこと声をかけてくれます。 私はたった一人で海外旅行中ですから、このような対応をしてもらえると本当に嬉しいです。 支払いになって、 「お店のカードを持ってる?」と女性が聞いてきます。 「持っていないです」と答えると、 「オーケー、ちょっと待って」 みたいなジェスチャーをして、レジの下から申し込み用紙と簡易カードが一緒になったものを取り出します。 そして、そのカードをスキャンしてくれました。 トイレ休憩に寄っ続きをみる

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アメリカ行きの機内で

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私の座席(通路側)の、通路を挟んだ2列斜め前に、高齢の女性が座っていました。 若く見積もっても75歳くらい、手や体の雰囲気からすると、80歳かも〜、という女性です。 白髪(はくはつ)が素敵な白人系の人でしたが、親しみをこめて、ここでは「おばあさん」と呼ばせていただきます。 おばあさんは一人で乗っていたので、一人旅のようです。 もしかしたら、息子さんか娘さんが日本で働いていて、会いに来たのかもしれません。 最初はひっそりと座っていたので、存在感はまったくありませんでした。 飛行機が滑走路へと向かって動き出すと……おばあさんはいきなり「カチャ」とシートベルトを外し、すっくと立ち上がりました。 「ええええええっっっっ!」 と、周囲の全員が凍りつきます。 飛行機が動き始めたら、乗客は勝手にシートベルトを外してはいけないのは常識で、ましてや立ち上がるなんて……「コラー!」と厳重注意をされる行為だと思います。(やったことがないので推測です) 立ち上がったおばあさんは通路に出て、頭上の荷物入れ、オーバーヘッドビンを開けようとします。 しつこいですが、飛行機はすでに滑走路に向かって動いているのです。 離陸1〜2分前です。 「!」 周囲の乗客全員の頭の上に、特大のビックリマークが一斉に現れたような雰囲気になりました。 全員が、「いや、おばあさん。今、それしたらアカンから」と、ツッコミを入れていたと思います。 「何かを取り出したいとしても、離陸後、ベルトサインが消えてからにしないと~」と、みんな言っていたはずです。 心の中で。 おばあさんはオーバーヘッドビンを開けると、手を伸ばして自分のバッグを取ろうとしました。 しかし、オーバーヘッドビンが深い作りの飛行機だったため、奥まで手が届きません。 次の瞬間、おばあさんは「よいしょ」と、座席の上にあがりました。 「ひ~~~~~え~~~~~!」 周囲の乗客は肝を冷やします。 その行動はただでさえ危険なのです、高齢者ですから。 座席のような不安定な、高いものの上に立つだけでも危ないのに……離陸寸前のこんな時に……。 「誰か~、キャビンアテンダントの人、気づいて~!」と、全員が祈ったのではないかと思います。 おばあさんはオーバーヘッドビンのフチを左手でつかみ、右手でバッグを取り出すと、バッグから何かを出しています。 そうです、座席の上に立ったままで、です。 転んだらどうしよう! と周囲続きをみる

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微妙に気になる

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たぶん、そんなに大したことではないと思うのですが……ビミョーに気になっています。 滞在しているホテルは、今日で5泊目になります。 つまり、5回お風呂に入ったわけです。 入るたびに、「あー、気になるぅー!」と、ついつい言ってしまいます。 もしかして、気になるのは私だけ? と、思ったので、皆様はどう思われるのか、ちょっと見ていただきたいです。 何が軽く気になっているのかと言いますと……。 コレです。 カラン(蛇口)が〜。ほんの続きをみる

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豊川稲荷東京別院 元夫の場合

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文庫化について、ちょっとお伝えしておいたほうがいいのかな~、と思うことがあるので、書かせていただきます。 今回、4社ほど加筆をしております。 高いお金を出して単行本を買ったのに、その4社分が読めないなんて……早く買って損をした、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。 4社分だけを有料メルマガにしてほしい、電子化してほしいというご要望もありました。 以前に一度書いたような気もするのですが、発売した本には版権という権利の問題があって、私が勝手にあれこれすることができません。 私が書いたものだから、私が自由に使ってもいいと思われるでしょうが、加筆の4社分を販売してもいいのは、版権を持っている出版社さんだけです。 本は1冊1冊契約書を交わします。 そこには、いくら著者だからといって、私が勝手にしてはいけないことが書かれています。 書いたのは私ですが、原稿をお渡しして、本になった時点で私に権利があるのではない、ということを、どうかわかっていただきたいです。 この本は長い間、売り切れ状態でした。 重版するかどうかの判断は私の原稿を担当している編集者さんが決めるわけではなく、営業の方が決めます。(どの出版社さんもそうです) 私の担当編集者さんが、この本をもっと多くの人に読んでもらいたいと思ってくれても、重版を決めるのは営業部なので、してくれなければそのまま絶版です。 それで、なんとか文庫化できないか……と、上に掛け合って下さったのです。 販売戦略、という計画的なものではなく、この本をこのまま絶版にさせたくない、ということで担当編集者さんが苦労をして、文庫化の決裁をもらって下さいました。 そのありがたい担当者さんに、「加筆して下さい」と依頼をされて、「いいえ、書きません」とは言えないです。 高い単行本を買った読者に悲しい思いをさせないで下さい、文庫化をしなければいいじゃないですか、と思われるかもしれません。 そのお気持ちは本当によくわかります。 重ねて言いますが、この本は、長い間売り切れ状態でした。 「買いたいけれどどこに行っても置いていないのです」「〇〇書店や××書店など、さんざん探しまわりましたがありませんでした」「どうか、増刷してもらえませんか」 というメッセージを多くいただいておりましたので、この本に書かれた神仏を必要とされる方に、どんな形でもいいからお届けしたいな~、という気持ちがずっとありました。 最近、新しく読者になって下さった方もいらっしゃいますから、2年前の売り出した時に買わなかった人のことはしりません、とは、どうしても割り切れないです。 ですから、文庫本化していただけるのは、ものすごくありがたいです。 実際、「ほしかったので嬉しいです」「楽しみです」というメッセージも届いております。 新しく読者になって下さった方にも、本に書いている京都の神社仏閣から、ご加護をいっぱいもらっていただきたいです。 けれど…… 古くからの大切な読者の方に、損をしたと思わせてしまったことも事実で、そこは大変申し訳なく、また、心苦しく思います。 誠に申し訳ございません。 いろいろな事情があることを、どうかご理解下さいますよう、切にお願い申し上げます。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 東京に来て、豊川稲荷に参拝した時のお話をずいぶん前に書きました。 出直してこい、と言われた時のことです。 あれから、元夫とたまたま赤坂近くに行く用事があったので、早めに出かけて一緒に参拝しました。 元夫は初参拝です。 「ここはなんの神様?」と聞くので、 「ここはお寺やから、仏様。手を叩いたらあかんよ」と先に注意しておき、ダキニ天さんの説明をしました。 本殿では中に入らず、ご挨拶だけにして、奥の院へと行きます。 元夫はよくしゃべる人なので、ここでもずっとしゃべりっぱなしです。 「はいはい、なるほどなるほど、そうなんや~」と聞いていると、意識を、見えない世界と私の上にだけ置く、ということができないため、眷属の様子がわかりません。 どんな感じで見ているのかな~、と思いつつ、奥の院に上がらせていただきました。 ここでは、さすがの元夫も凛とした空気を感じたようで、「ここ、すごいな。神様がおる! って感じやな」と言います。 そうやろそうやろ、ダキニ天さんは力が強いからね、と、ダキニ天さんのお姿を教えるために掛けてある仏画を指し示しました。 元夫はじーっと見て、「へ~、キツネに続きをみる

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パワーがある宗教的なもの

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私の家にはたくさんのスピリチュアルなものがあります。 神社仏閣のおふだやお守り、護符、清め塩・清め砂、神楽鈴や熊手、未使用の絵馬、各種置物などの縁起物……。 参拝した神様や仏様のお力が強いとつい、購入してしまいます。 さらに、神社やお寺のものとは場所を別に確保しなければいけないものが2つあって、「もう置く場所がありません」というくらい、満員御礼状態となっています。 話は変わって、フランスのある教会に、非常~~~に強いパワーを持ったマリア像がありました。 ここにはもう一生来ないだろう、と思った私は、「これは絶対に買っておくべき!」と、その像を購入しました。 日本に帰った直後はスーツケースの中を片付ける気力がなく、しばらくの間、放置していました。 かなり時間がたってから、「そろそろ片付けなきゃ」と、スーツケースの中身を出し、その時にマリア像をテレビ台の下の棚に、〝とりあえず〟置きました。 先にスーツケースの中を全部片付けたかったからです。 で……バタバタしているうちに、マリア像のことはすっかり忘れてしまって、そのまま何日かがたってしまいました。 その頃から、なんだか体調が悪いなぁ、という日々が続きました。 病院に行くほどではないけれど、なにかどこか調子が悪い……軽く吐き気がしたり、体が重たかったりダルかったり、横にならずにはいられないほどの倦怠感があったりしたのです。 おかしいなぁ、と思いつつ生活をしていて、ある日、ふとテレビ台の下の棚を見るとマリア像があります。 このマリア像はパワーがすごいから治してくれるかも? と思い、マリア像を取ろうと、下の棚のスペースに手を入れると……。 ぐわーんぐわーん、と猛烈なめまいがしました。 そのスペースの空間が歪んでいたのです。 「あ、やば!」と、慌ててマリア像を取り出しました。 実はマリア像のすぐ奥には、神社で購入した狛犬像を2体、置いていたのです。 この狛犬像もパワーがあるものです。 宗教が違うものはごっちゃにしないほうがいいですよ、ということは何回か書いているので、「知ってますよ~」という方がいらっしゃると思いますが、私がうっかりそれをやってしまっていたのでした。  宗教のもので、続きをみる

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車のお話

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ただいま、お出かけをしております。 どこかへ行く時はレンタカーを借りて移動することが多いのですが、今回、日本で借りたのが久しぶりで……。 前回借りたのはセドナとハワイ島、その前はフランスでしたから、しばらく左ハンドルのレンタカーだったのです。 驚くことに、今日、ウィンカーを出すつもりで……ワイパーをバフバフいわせてしまいました。 しかも3回も。 ( ̄ー ̄; 日本で30年以上も運転をしているというのに……。 考えられないです……。 海外で運転する時は、右側通行ですから、ぼ~っとしていたり、ついうっかりすると、無意識に左側の車線に入ってしまいます。 その時、もしも前から車が来ていたら正面衝突です。 ですから、朝、車に乗った時に「右、右」と自分に10回くらい言い聞かせます。 1時間に1回は、「右だからね! 右、右」と脳に焼き付けていました。 右側通行の場合、右折は間違うことはありませんが、左折が危険なのです。 大きな交差点だったら、反対車線に対向車が信号待ちで停まっているので、そちら側に突っ込むことはまずありません。 しかし、小さな交差点や、小道から出る時などは、「自分が入るのは右車線!」と意識していなければ、スッと左に入ってしまうのです。 セドナでもハワイ島でもフランスでも、右、右、としつこく脳にインプットしたおかげで、1回小さなうっかりがあっただけで(そんだけ努力してあったんかい! って話ですね)危険なことは一切なく、無事に運転できました。 日本に戻ってウィンカーとワイパーを間違えるということは、その時の強力インプットがちゃんと脳に残っているんですねぇ。 脳はしっかり学習したことは、簡単には忘れないんだな~、と思いました。 ……と、良い方向で話をしておりますが、実は、「なんて融通がきかない脳なんだ……」と自分ながら思いました。 ワイパーをバフバフ動かした3回目は、本気で苦笑しました。 話は変わって、今回のお出かけで初めて知ったことがあります。 道路工事などで、片側交互通行って、ありますよね? 交通整理員さんが旗を振続きをみる

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写真に撮ってみました

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旗の色のお話、まだ続いています。昨日、お話した県の、隣の県に入ったところでも通行規制がありました。 ちょっとアップにしてみますと……。ここの県の「通ってよし!」の色は、明るい緑色です。 さらにその隣の県です。3つ目の県ですが、やっぱり緑色でした。この写真、ワイパーの隙間で撮ったつもりが……。思いっきり動いているところでシャッターを押してしまいました。どんくさー これもアップにしてみると……。このお兄さんは、反対の旗を脇に挟んでいます。やや濃い緑色です。 隣接するこの3つの県は、みんな緑色でした。(他にもいくつか工事中のところがありましたが、もれなく緑でした) 私は、県によって違うのだろうと推測しているのですが、もしかしたら、工事をする会社によって違うのかも? ということも、チラッと思いました。 福岡や関西続きをみる

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地獄谷遊歩道 (宮城県大崎市)

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※昨日、更新をするべく夜遅くまで必死で頑張ったのですが、意外と作業に時間がかかりました。というわけで、少し遅れて本日の更新となりましたことをご了承下さい。 m(_ _ )m レンタカーで長い距離を移動している途中に「鬼首かんけつ泉」という場所があることを知り、「間欠泉を一度、見てみたいな~」ということで行ってみました。残念ながら、この日はお休みでした。 「鬼首かんけつ泉」への小道に入るすぐ手前には、このような興味深い看板がありました。 〝自己責任〟で見る地獄谷……なんだかすごい場所のようです。これは、行ってみるべきなのでは、と思いました。 駐車場から降りていく入口にあったマップです。遊歩道になっているようです。のんびりハイキングを楽しんでいるイラストがいいですね。あいにくのお天気でしたが、ちょっと歩いてみるか~、という気持ちで行きました。 ここを降りていきます。 ハイキングコースなんだな~、と歩いていると、 川べりに出ました。 少し行くと、先のほうが湯気でけむっています。 河原に下りるところがあったので、川の水が暖かいのかな? と水に手を浸してみました。すると、なんと!40度~41度の、ちょうどいい温度になっていました!結構、流れている川だったので、この温度はすごいです。 「紫地獄」です。 ずっと熱湯が吹き出しています。 その動画です。 説明を読むと……ここで温泉卵ができる、と書かれています。この看板の端にザルが掛けられていますし、 看板の裏にも置かれていました。この溜まったところで茹でるんですね~。く~、知っていたら生卵を持ってきてたのに~  と思いました。温泉卵……チャレンジしたかったです。 このような感じで遊歩道が続いています。 遊歩道の脇でも、あちこちで熱湯がボコボコいっていました。 こんな感じのボコボコいう地獄が、あちこちにあるところなんだな、と思いました。 これは青く見えた温泉です。 ここが「まんだら地獄」です。最初に見た時は、滝が流れているのかと思ったのですが、よく見ると上部から熱湯が噴き出していて、それが流れています。 左側から勢いよく吹き出す瞬間をたまたま撮影できま続きをみる

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仏様と願掛け

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仏様のシステムについては、『「神様アンテナ」を磨く方法』という本に書きました。 この本を読まれた方でしょうか、願掛けについて悩まれているようで、お手紙で質問をいただきました。 同じ悩みを持たれている方がいらっしゃるかも? と思ったので、ちょっと書いてみようと思います。 お釈迦様も空海さんも1人です。 あっちのお寺にもこっちのお寺にも、全国各地のお寺に空海さん像があります。 しかし、仏像の数だけ、空海さんが見えない世界にうじゃうじゃといるわけではありません。 お釈迦様もそうですし、お不動さんや観音様などの仏様もそうです。 では、たとえば、お釈迦様にお願いをしたい時、同じ1人のお釈迦様に道が繋がっているわけだから、どのお寺に行っても願掛けは同じものをしなければいけないのか……というと、そうではありません。 こっちのお寺のお釈迦様には健康をお願いして、違うお寺のお釈迦様には家内安全をお願いしてもまったく問題ないのです。 さきほど書きましたように、仏像からの道は同じお釈迦様に繋がっています。 道が繋がっていますから、お釈迦様本人がこの道を通って仏像に顔を出すことができます。 顔を出した〝仏像〟によって、お釈迦様の性質は全然違ったものになります。 まったくの別人、というくらい違う場合もあります。 仏様のシステムは、これはこれで理解しておいて、ちょっと横に置き、「仏像自体は別々のお釈迦様である」ととらえたほうがわかりやすいです。 A釈迦如来像から顔を出しているお釈迦様が、B釈迦如来像を別人であるかの続きをみる

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