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Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
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ほんのり心が暖かくなったお話

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5~6歳の女の子とお父さんが2人でバスに乗っていました。 女の子がお父さんに話しかけます。 「かなえちゃん、おるやろ?」 お父さんはスマホをさわりながら返事をします。 「は? 誰?」 「か・な・え・ちゃん! 知らんのーっっっ!?」 なんで知らんの? って言うか、知らんってどういうことよ! お父さん! という勢いです。 お父さんはスマホに一生懸命ですから、淡々と答えます。 「知らん」 女の子は、仕方ないなぁ、教えたるわ、という感じで言います。 「かなえちゃんな、お掃除してくれるんや」 「へー」 ほー。 かなえちゃんはお掃除が好きなのか〜、幼稚園児で人の分までお掃除するとは出来た子だな、と思いつつ聞いていました。 「なつこちゃんは? 知ってるやろ?」 「知らん」 「えー! 知らんのーっっっ!?」 お父さんが知らないのは仕方ないよ〜、そこはお母さんと違うからね〜、と、もちろんそんなことは口に出さず、心の中で思っていると、女の子はまじまじとお父さんの顔を見ていました。 そして、あかんわ、お父さん、話にならへん、と思ったのか、外国人が首をすくめるようなポーズをして、窓の外に目をやってしまいました。 きゃー! 待って待って、話、終わり? そこで終わり?  と、私は心の中で大騒ぎです。 なつこちゃんって、どんな子なん? 教えて〜! と念を送りましたが、テレパシーは通じず……無情にも話はそこで終了しました。 なつこちゃん、謎のままです。 バスが終点に着いて、乗客はみんなぞろぞろと降りて行きます。 そんな中、高齢の女性が2人、座ったままでした。 全員が降りてからゆっくり降りようと考えているようで、立ち上がりません。 女の子はお父さんの後ろについて、2人をチラチラ見ながら降車口まで行きましたが、いきなりダダーッとその2人のそばに走って行きました。 そして、「あのー、ここは終点ですよ?」と、耳もとでささやくように小声で声をかけていました。 大きな声だと恥をかかせると思ったのでしょうね。 女の子って男の子と違うんだなぁ、と思いました。 息子にはなかった女の子の可愛らしさがあって、見ていてほのぼのと楽しかったです。 こちらは半年くらい前のお話です。 男子高校生が2人乗ってきました。 私は一番後ろの席に座っていたのですが、私の隣に2人が腰を下ろしました。 座ると同時に2人は話を始めます。 「なぁ? 〇〇くんのおばちゃんがマネする人、誰やった?」 「ああ、あれやろ? ベロ、ベーッって出す人やろ?」 「そうそう、誰やった?」 「誰やったかな〜?」 隣で聞いていた私はピンときました。 それは……ジーン・シモンズなのでは! ジーン・シモンズは、アメリカのロックバンド〝キッス〟のメンバーです。(ちょっと古いので若い方はご存じないかもしれません〜) デーモン小暮さんみたいなメイクをして、ベーッと舌を出したポーズが世界的に有名な人です。 誰だったか聞かれたほうの男の子は、し続きをみる

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摂末社の神様が入られるパターンの一つ

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Aという神社やお寺で聞いたこと、そこで学んだこと、A神社もしくはA寺にいらっしゃる神様や仏様によって新たに知った真理……それらのものはすべて、A神社・A寺院のご紹介という形で書いてきました。 タイトルは「A神社、もしくはA寺」です。 その中にいろんな情報を詰め込んできました。 具体的に言いますと、たとえば玉置神社で学んだこと、新しく聞いた真理、へぇ~っと驚く情報などは、玉置神社内で起こったこととして、「玉置神社」というタイトルで書いてきました。 本でもブログでもそうしてきました。 ですから、その神社仏閣のところを読まなかったら、情報は伝わらないようになっていました。 いただく質問にも、「その答えはあの神社をご紹介した時に書いてるんですよ〜」というものがあります。 神社仏閣紹介の中に書いた情報だから気づきにくいのかもしれない、と思っていました。 そんな時に、「書店で、私が参拝に行けるところだけ拾い読みしました。遠いところは行けないので」と書かれたメッセージをいただいて、「あ、そうか、自分が行かないであろう遠くの神社仏閣の紹介は、読まない人が多いのかもしれない」ということに気づきました。 そこで、神社やお寺で新たに知った大事なエッセンス、お伝えしておきたいことは、〝なるべく〟別にして書くことにしました。 さて、そこで、摂末社(境内社)についてです。 摂社、末社は大きく2つに分けると(例外もあります)、神社側が新たに祀る、もしくは勧請して祀る(どちらも神社が新しく作る)ものと、その地域にもともとあったお社の神様を移したものとがあります。 その摂末社に神様が実際に入るか入らないかは、勧請の仕方や神様をお呼びする能力に左右されますが、勧請されたり移転される側の神様の意思も大きいです。 ですから、必ず入っ続きをみる

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上川神社 〜北海道旭川市〜

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新刊の取材で、大雪山に登ろうと思っていた私は旭川まで行ったのですが……旭川の繁華街ですら、まだ積雪していた状態を見て、これは無理だ、と登山はすっぱりあきらめました。 札幌より、もっと寒いのですね、旭川は。(旭川の冬は鼻毛が凍ることもあるそうです。読者の方が教えてくれました) で、せっかく旭川まで行ったので、市内の神社を参拝したいと思い、上川神社を訪れたのでした。 早朝でしたが、ちらほらと参拝客がいて、かなり高齢の女性(90歳前後だと思われます)が私の前にいました。 腰か足を悪くされてるのか、少しずつ少しずつゆっくりと歩いていました。 それでも1人で参拝できるということは、元気な証拠であり、神様の恩恵をいただいているのだろうと思います。 大正時代に建てられた社殿は新しくて立派です。 ここにおられる神様は、このあたり一帯を広く守っている土地の神様です。 氏神様というと狭い範囲になってしまうので、氏神様ではありません。 でも、大地の神様ほど大きくはなく、やはり土地の神様という言葉が一番しっくりきます。 正確に言うと、広大な範囲の土地の神様、でしょうか。 もともとこの地を守っていた、と言っておられました。 祝詞を唱えた時に見えたのは、烏帽子をかぶって直衣を着ている男性のお姿だったので、最初はこちらがご祭神かと思いました。 これはあとから判明したのですが、直衣を着ている姿の神様は、境内社である旭川天満宮の神様でした。 ちょうどその時に、幼い子どもを2人連れた若いお母さんが参拝に来ました。 3歳と5歳くらいの2人の子どもがお母さんにそれぞれ10円をもらって、小さな手でお賽銭箱に入れていました。 それからペチペチと柏手を打って手を合わせていました。 「可愛くていいですね〜」と神様に言うと、神様は、 「ここに参拝に来る者は皆、この子どもたちのように可愛い」と言います。 それはさきほど会った高齢の女性のことであり、1人で参拝していたおじさんも、私のように遠くから突然来た人でも、自分を慕うすべての参拝者が可愛いのだそうです。 神社に来て、神様を信じて一心に手を合わせる人、その人たち皆んなが可愛くて仕方がない、願いを叶えてやりたい、しっかり守ってやりたい……そんな気持ちと愛情を持った神様です。 前回の記事で書きましたように、境内社である天満宮の神様に来てもらえるよう、神様みずからが太宰府までお願いに行っています。 (神社が勧請をする時に、です) それはなぜかと言うと、可愛い旭川の人々のため、だそうです。 この神様は学業方面がちょっぴり苦手だそうで(願いを叶えることです)、天満宮の神様には何としてでも来てもらいたい、と思ったと言います。 学業方面の願掛けを手伝ってもらうためです。 神様がじきじきに頭を下げに行っていますから、天満宮からはそこそこ位の高い神様が来ていました。 天満宮の神様は大変おっとりとした良い性格の神様です。 本殿で見えたのはどうしてかと言うと、この天満宮の神様もご祭神と一緒に本殿にいるからです。 ご祭神の神様が、天満宮の神様を本殿に招いているのです。 小さなお社ではなく、この本殿で一緒に仕事をしましょう、ということらしいです。 太宰府からはるばる旭川まで来てもらってかたじけない、といったところでしょうか。 本当に優しい神様です。 そして2柱の神様はとっても仲良しです。 ですから、天満宮の神様にお願いをするのも本殿で大丈夫です。 本殿内でしっかり聞いておられます。 神様のほうは「ワッハッハ!」と豪快に笑い、ちょこちょこ冗談も言います。 そんな感じでお話をしていると、「こっちだ、ここ、ここ」と神様が示すので、その方向を見ると! なんとっ! キタキツネがーーーーーーーー! キタキツ続きをみる

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お稲荷さんの尻尾

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お稲荷さんはほとんどがキツネのお姿で見えます。 神格が高くなるとキツネ姿ではなくなりますが、それまではさまざまな色の、さまざまな大きさのキツネのお姿です。 そんなお稲荷さんですが、まれ〜に尻尾の数が多いものがいます。 神様系……つまり、神社でご祭神や眷属としているお稲荷さんでは滅多に見ませんが、私は伏見稲荷のお塚信仰の場で、この尻尾の多いお稲荷さんを見たことがあります。 どちらかと言うと自然霊のキツネですが、出合うことはまれです。 自然霊とは、神様系でも仏様系でもなく、でも力を持っていて、妖精とか妖怪とか、そのあたりの存在になります。 善の方向(神仏の世界)にも悪の方向(魑魅魍魎・悪霊の世界)にも行けるのが特徴です。 尻尾の数が多いキツネも、善と悪、どちらにもいけるようになっています。 さて、そこで、その尻尾です。 伏見稲荷の、お塚信仰の場で見たお稲荷さんは、尻尾自体が数本あるものでした。 つまり、同じ尻尾が何本かあるのです。 しかし、北海道の千歳神社で見たお稲荷さんは違っていて、尻尾1本が割れて分かれていました。 少し大きめの尻尾の半分あたりから先が分かれていて、ふわふわとそよいでいるのです。    言葉で説明するのが難しいです。 尻尾の長いニワトリがいますが、あの尻尾に近い……感じでしょうか、絵的には。 私も初めて見たので、驚きました。 自然霊のキツネだったということで、妖狐とか霊狐とか呼ばれる類だと思います。 詳しいことは千歳神社の記事で書くとして、神仏の世界にはまだまだ未知の存在がたくさんいるようです。 奥深いです。 そのような存在を知るために日本全国あちこちをまわってみたいな、と思いました。 *~*~*~*~*~*~*~*~ お稲荷さんつながりで、「聖地・高野山で教えてもらった もっと! 神仏のご縁をもらうコツ続きをみる

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千歳神社 〜北海道〜

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千歳神社です。 神社のお名前から、最初はごく普通の氏神様かと思いました。 注意書きを読むと、手水舎は使用不可とのこと。ではここで手を清めなければ、と右手に行くと……。 拡大しないと見えないかもしれませんが、年配のご夫婦がたくさんの空のペットボトルに水をくんでいます。後ろに並んでいる女性も、空の容器を持っています。水にごりやくがあるのかな~? と思いながら、順番を待って手を清めました。私が手を清めている間にも新しく別のご夫婦が来て、焼酎? のペットボトル4~5ℓ容器を10個  持って来ていました。 手水舎です。屋根のところが壊れていました。 ここでもやっぱり雪が積もっています。 ←関西では……と言いそうになって慌てて口を押える私。 ここに立った時に、あ、お稲荷さんだ~、とわかりました。 鳥居をくぐると狛狐像がありました。赤い鳥居ではないので、わかりにくいかと思いますが、お稲荷さんです。 最初は普通のお稲荷さんだろうと思いました。 伏見から勧請されて来たのかな? と。 ご挨拶をしたあとで、「伏見から来られたのですか?」とお聞きすると、予想に反して「違う」という答えが返ってきました。 「え? 違うのですか?」 「違う」 だったら、どこから来られているのだろう? と、お姿をよーく見たら、尻尾がたなびいています。 前回ご紹介したように、少し大きめの尻尾の半分あたりから先が分かれていて、ふわふわとそよいでいるのです。 尻尾の長いニワトリのような感じです。 私も初めて見たので、驚きました。 私はこれまでに、あちこちのお稲荷さんを見てきました。 お稲荷さんはこんな感じ、という感覚があるのですが、ここのお稲荷さんは感覚的に違っていました。 「もともと、この土地にいらっしゃったのですね?」続きをみる

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直感と神様アンテナの向き

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今まで、いろいろな神社やお寺をご紹介してきました。 この先も、神社仏閣で見たもの、聞いたことは、すべてそのまま、正直にお伝えしていこうと思っています。 真実をお伝えするという、そこにブレはないのですが、ただ、一点、最近とても悩んでいることがあります。 私が見た神様と違う神様を感じたという読者の方がいた場合、その方は私の書いたものを読んで嫌な気持ちになるのではないか? ということです。 いただくお手紙やメッセージに、「なんとなくわかるようになってきました」と書かれているものが、最近多く届きます。 神様や仏様をこのように感じました、 神社仏閣での良い「気」をこのように感じて癒されました、 こんなふうに神様仏様に歓迎してもらいました、 このようなごりやくをいただきました、などなど、ご自分の体験を書いて下さっている方が多いです。 読んでいると私も同じ気持ちになって、ウキウキわくわくして、「良かった〜」と、心から嬉しく思います。 ブログを見に来て下さい、と書かれていたら、お邪魔して読ませてもらっています。 そこにもたくさんの体験が綴られていて、楽しいひとときを過ごさせてもらっています。 そんな中に、私がすでに参拝して見てきた神社で、ご祭神とは違う神様を、ご祭神として書かれている方もいらっしゃいます。 そのような文章を目にした時に、どうしよう……と真剣に悩みます。 たとえば、Aという神社で、「厳しい龍の神様だな〜」と感じた方がいたとして、私が「女の神様でした」と書いたら、その方は自分の霊能力、霊感を否定された気持ちになるのではないか……と思うのです。 僕は間違っていたのか? 僕の能力はまだまだなのか? と考えてしまうと、悲しい気持ちになるかもしれません。 どちらか一方だけが正しい、と思ってしまうと、もう一方は間違いである、という発想になってしまいます。 「識子さんのほうが間違っている」と思っていただければ、まったく問題はないのですが、自分が間違っている、と考えてしまうと、傷つくのではないか……その神様のことを書くと私は人を傷つけるのではないか……とそのように悩みます。 そこで、ちょっとそのへんについて書いておこうと思います。 さきほどのたとえ話で言うと、Aという神社には、龍が眷属としているのかもしれません。 無意識に眷属とつながっている場合、その眷属にご縁をもらっている可能性があります。 神社では、境内社(摂社・末社)の神様も眷属も、気に入った人に特別目をかける、ということがたまにあるからです。 ご祭神だけがそうするわけではないのですね。 もしもその龍が可愛がって下さっているのだったら続きをみる

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悪意を持って憑く霊

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霊についての相談が書かれたメッセージがたまに届きます。 そこで、霊についてちょっと書いておこうと思います。 (霊を怖いと思われる方、自分の身に置き換えて考えるという方は不安になる可能性があります。読まないで下さい) 霊はある日突然、乗っかってきます。 成仏できなくて、その方法がわからない、成仏させてほしいとついてくる霊がいますが、こちらはまだいいほうです。 ひょいっと軽く憑くので、ひょいっと軽く離れます。 この霊だったら、以前に本に書いた方法で離れてくれるものが多いですし、神社仏閣に行って神様仏様にお願いすると祓ってもらえます。(詳細は「神様、福運を招くコツはありますか?」に書いています) 厄介なのは悪意を持って憑いている霊、力を持っている悪霊です。 これは福祉用具専門相談員をしていた時に、Aさんという女性の利用者さんから聞いた話です。 Aさんの知人にBさんという女性がいました。 AさんとBさんは山あいに建つ同じ団地に住んでいましたが、Bさんは道を隔てて少し離れた山のふもとにあった古い民家を買いました。 しばらくは何もなかったそうですが、Bさんの一人娘さんが病気になりました。 すぐに手術をしたらしく、Aさんが病院で見た時はそんなに状態が悪いようには見えず、順調に回復しているのだろうと思っていたそうです。 それがあっという間に病が進行して、娘さんは亡くなりました。 「お葬式をだして、49日を過ぎた頃やったかな? たしか半年も経ってへんで」とAさんが言っていましたが、今度はBさんの夫が認知症で施設に入ったそうです。 それまでまったく認知症の症状はなく、誰もが「えーっ!?」と驚いたそうです。 お葬式の時はあんなにしっかりしていたのに? と。 一人娘を失ったからショックで病気になったのだろう、お気の毒に……と周囲の人は同情したそうです。 不幸が重なったBさんでしたが、それから働きに出たそうです。 フルタイムで働いていて、Bさんの楽しみはAさんを含めた友達数人と時々カラオケに行くことでした。 ある日、BさんはAさんのお宅に遊びに来て、身の上話などをしました。 つらい出来事を乗り越えて、やっとなんとか生きる気力が湧いてきた、みたいな話をしたそうです。 1週間後がお給料日で、今回は残業をしたから少し多めにもらえる、それでカラオケもたくさん行ける、楽しみで仕方がない、と言って帰ったそうです。 「立ち直れて良か続きをみる

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浄霊・除霊を人に頼む場合

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成仏させてほしい、助けてほしいという霊は、前回の冒頭で書いたような方法でひょいっと離れることが多く、また、気づかずに放っておいても「この人は助けてくれない」とわかれば、自分から違う人のところへ行きます。 目的が「成仏したい」なので、助けてくれる人を探してさまよう、というわけです。 このような霊ではなく、問題なのはガッツリ憑いた霊です。 私のところに届くメッセージでは、声が聞こえる……話しかけてくる、という場合が少なからずあります。 話し声が聞こえるかどうかは、その人の霊感の具合によりますから、聞こえない人もいます。 病院で検査をしてもどこも悪くない、でも原因不明の体の不調が長く続くとか(体調不良の場合は生霊も考えられます) 、前回で書いたお宅のように不幸な出来事が続く、運気が急にどん底まで落ちて回復しないとか、悪霊によって起こされる現象はいろいろあります。 話しかけてくる悪霊が離れてくれない、こんなに不幸が続くのは何か悪意を持って憑いている霊がいるんじゃないか……となった時に、まず考えるのは、誰かに祓ってもらいたい、ではないでしょうか。 霊能者に祓ってもらえば一発で離れてくれる、とお考えになるかと思います。 しかし、霊能者もピンからキリまでいます。 本物のすごい力を持った人だったら、一発で祓ってくれます。 祓ったあとに結界を張ってくれたりして、その後のケアまでしてくれる人もいるかもしれません。 しかし、それはほんのひとにぎりの霊能者です。 霊能者という看板を掲げている人が全員そうではない、というのが現実です。 中途半端な能力の人もいますし、能力がほんのわずかしかない人、中にはまったくない人もいたりします。 そのような人のところへ行って、施術(術を施されるという意味で使っています)をしてもらうのは、実は大変怖いことだと知っておいたほうがいいです。 施術を受けてから体調が悪くなって元に戻らないという人がいます。 それも1人や2人じゃないです。 霊能者本人は気づいていないかもしれませんが、見えない世界で作用する、わけのわからない術をかけてしまってることがあります。 そんな術をかけられたら、ほどくのが大変なのです。 霊に憑依されていないにもかかわらず、鑑定で「霊が憑いています、除霊しましょう」と言われたら、誰もが「お願いします」と言ってしまうと思います。 本当は何も憑いていないのに、変な除霊術をされてしまって、それで体調が悪くなったら、治すにはその術をほどかなくてはなりません。 術をほどく能力がある人を探さなければなりません。 自分の体に何かをさせる、それが見えない世界に作用するものである、というのは、実はものすごく恐ろしいことなのですね。 憑いている霊を成仏させましょう……ということで浄霊をしていても、全然効かない、まったく説得に応じない霊もいるわけです続きをみる

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なぜお坊さんのお墓に行ったのか…その一部始終

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これはもうずいぶん前の、某神社でのお話です。 有名ではない神社なので、私も現地に行くまで存在を知りませんでした。 参拝する人が誰もいないのでは? と思ってしまうような、さびれた感じがしている古い神社でした。 社殿を見ると、神様(最初はそう思ったのでこう書いています)が、鬼のような姿をしています。 初めて見る姿の神様で、珍しいな、と思いました。 神仏習合の時代からある神社ですから、金剛力士のような仏様がそのまま残っているのかな? とも思いました。 そのような神社があるのか、と聞かれれば、まだ参拝したことはありませんが、その神社は雰囲気的にありそうだったのです。 非常に変わった雰囲気の神社だったからです。 珍しいので、まじまじと見せてもらいましたが、どう見ても金剛力士のような仏様ではなく〝鬼〟なのです。 上半身が裸で、足は裸足、顔はそのまま鬼です。 下から見上げていたのでツノは見えませんでした。 鬼がご祭神とかあるのかな〜? おかしいな、と思いつつも、話しかけてみました。 しかし、どんなに話しかけても鬼は知らん顔、完全に無視の状態でした。 境内には神様の波動がまったくなく、変だな、と思いながら参拝を終えました。 そこから車でちょっと走った場所に、お寺の墓地があります。 一種独特の雰囲気を持った場所で、入口付近では墓地だと気づかない人が多いと思います。 そこで車を降りて奥のほうへ歩いて行くと、お墓があるのです。 さきほどの神社が神仏習合時代だったときに、神社の管理をしていたお寺の、歴代の僧侶のお墓となっています。 ずら〜っと並んでいます。 古い時代の墓石があったので、刻まれている文字が読めないかな~と、見ていたら、初代のお坊さんが出てこられました。 昔の人だからか、とても背が低くて、145センチくらい……もしかしたら140センチくらいだったかもしれません。 「〇〇神社へ行ったか?」と聞いてきます。 「はい」 「鬼が見えただろう?」 「見えました!」 「あの鬼はワシが退治して封じ込めたのだ」 えっ!   そんなんあり? 〝神続きをみる

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霊を祓ってもらった私の体験

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私の上に乗っかったお坊さんが離れなくて、「やばい、本格的にこれはやばい」と、真っ青になったところまでを、前回、書きました。 霊が離れてくれない……このような時にお願いをするのは、お不動さんが一番です。 私にご縁を下さっているお不動さん(山の神様からこっそりうかがった「幸運」を呼び込むツボ、という本に詳しく書いています)に、「助けて下さい!」とお願いをすると、ひゅっと、すぐに来てくれました。 「お坊さんが私から離れてくれないのです、どうか、祓って下さい。お願いします」 そう言って、真言を唱えました。 こういう場合、いつも〝9回〟真言を唱えるように言われます。 あちこちのお寺で聞く真言、つまり、僧侶の方が通常唱える回数は、3回です。 祈祷の時や修行をされている時は違うと思いますが、一般的に唱える場合は3回みたいです。 それを9回、と言われるということは、3回×3回? それで9回? と私は思っているのですが、理由はわかりません。 いつも「お不動さん、助けて下さいー!」というシチュエーションで呼んで、〝9回〟と言われています。 理由を悠長に聞いている場合ではありませんから、とにかく言われるままに必死で唱えています。 実は、このお坊さんに乗っかられた体験以外にも、危ないものに乗っかられたことが何回かあって、その時は、9回唱えている間にお不動さんが祓ってくれました。 しかし、驚くことに今回のこのお坊さんは、9回では離れませんでした。 生前に仏様に仕えていたから仏の波動に強いのか、真言に慣れているのか、そこは不明でしたが、べったりついたままです。 離れない!!  と、思うと、くらくらとめまいがしました。 すると、お不動さんが、 「もう一度9回唱えよ」と言います。 もう必死で、大声を出して唱えました。 そして、最後の1回を唱え終わった瞬間に、お不動さんがお坊さんを火で焼きました。 焼かれたお坊さんは、ギャーッと言って私から離れ、その離れた瞬間に、お不動さんが車の空間から外に出してくれました。 後方でお坊さんが燃えているのが見えました。 ちなみにお坊さんは、燃えて消滅するのではなく、燃え尽きるともとの霊になって、お墓に戻ります。 錯覚を利用した術のようなものです。 ただし、相手が悪霊・魑魅魍魎(ちみもうりょう)だと、本当に焼いて消滅させます。 もうひとつ、祓ってもらって命拾いをした体験をお話します。 高続きをみる

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お不動さんを探す

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 私は自分が体験したまま、見たまま、聞いたままを書いています。 仏様に関することなのですが、仏教の教義、および、僧侶の方の見解とは異なっている部分があります。 そこをご理解いただいたうえで、お読み下さいますようお願い申し上げます。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 成仏させてほしいという〝幽霊〟を祓う、自宅でできる方法は、「神様、福運を招くコツはありますか?」という本に書きました。 この本では、神社仏閣に〝行って〟祓ってもらう方法もざっと書いています。 今回はそれらの話とは違って、ご縁をいただいているお不動さんに、憑いた〝その場で〟祓ってもらう、守ってもらう方法のお話です。 幽霊関係では、お不動さんが頼りになります。 高野山で空海さんに教えてもらったのですが、お不動さんなら生き霊も〝はがせる〟そうです。(このお話は、「聖地・高野山で教えてもらった もっと! 神仏のご縁をもらうコツ」という本に書いています) 幽霊も生き霊も、お不動さんだったら大丈夫というわけです。 私はこれまで、お不動さんに縁をもらう大切さをさりげなく、でも、結構しつこく書いてきました。 最新刊では、山に入る前に、お不動さんの真言をもらっておいて下さいね、お不動さんの真言は持って行って下さいね、と、こちらも「しつこいなぁ、識子さん」と思われるくらい書いています。 自分の身を守るためには、本当に大切な……必要なことなのです。 さて、そこで、ではご縁をもらうにはどこに行ったらいいのか? が、最初の質問になるかと思います。 私がご縁をいただいているお不動さんについては、「山の神様からこっそりうかがった「幸運」を呼び込むツボ」という本に詳しく書きました。 このお不動さんは力が〝強烈に〟強いですし、面倒見もいいです。 「え〜、でも、識子さんが本に書いてたくさんの人が行ったら、縁をもらう人がいっぱいできて、守りが薄くなるのではないですか?」 と、思われた方がいらっしゃるかと思いますが、大丈夫です。 仏様は、守れる人数が何人だけ、などという制限はありません。 持っている力の量は一定である、と、3次元的な考え方をしてしまうと、その量を人数で割る、ということになるわけで……参拝者が多いところはご加護が薄い、という発想になってしまいます。 仏様は人間とは違いますし、存在する世界が違います。 仏様と信仰をする人との関係は常に1対1であり続きをみる

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お不動さんにご縁をいただくありがたさ

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へび君がイマイチなので助っ人登場です 前回の記事で、自分に合ったお不動さんを見つけるところまで書きました。(抜けていた大切なことを追記しています) 自分と合う、好きだと思えるこのお不動さんに、ぜひ! ご縁いただきたいところですが、ご縁をもらうのは仏様の意思になります。 向こうから与えていただくものなのです。 ですから、「ご縁を私に下さい」「ご縁がほしいです」と、こちらから催促するのはちょっと違うのですね。 催促をすると、欲張りな心が前面に出てしまいますから、逆効果です。 ここはもう、真心でぶつかるしか方法はありません。(私もそうしています) ご縁をもらうことに関しては、霊感があるとか、霊能力があるとか、そんなことは一切関係ありません。 仏様が見ているのは信仰心やその人の人柄です。 私は神様にも仏様にも、心の底から湧き上がる「大好き!」という感情を、そのままお見せしています。 境内に入る前から、ワクワク、ウキウキしていて、それは「大好きな人に会いに行く」という感覚です。 神仏は、恐れ敬わなければいけない存在ですが、だからと言って、ビクビクしたり、よそよそしい態度でお話したり、距離を置いたりしなくてもいいのです。 失礼のないように……そこさえ気をつければ、あとは、お慕いする気持ち全開で構いません。 神仏を心から信頼している、深く信仰している、そのような気持ちが丸わかり状態のほうが好まれます。 さらにそこで、「何かあった時にここに来ることをお許し下さい、その時はどうかお助け下さい」(ご縁をもらうことが前提ではなく、ご縁がないことが前提で、あくまでも自分からお寺に来ます、という言い方です)と、真心こめて、一生懸命にお話をすれば、ほとんどの場合、ご縁はいただけるのではないかと思います。 ご縁は、1回目で下さる神仏もいますが、何回か通ってやっと下さる神仏もいます。 そこに決まりはなく、これは神仏によります。 ですから、このお不動さんが好きだな〜と思ったら、何回か参拝に行くといいです。 行けば行くほど、ますます厚いご加護がいただけますし、ご縁もいただけることと思います。 ご縁がいただけたら、緊急時に呼ぶと、お不動さんが来てくれます。 自分とお不動さんに道ができていますから、お守りを持つ必要はありません。 ただし、緊急ではない時に呼ぶのはルール違反です。 たとえば、お願いを叶えてほしいとか、腹が立ったからあの人をなんとかしてほしい、などです。 お不動さんを呼ぶ、ということは、〝仏様〟に対して、自分のところまで来い、と呼びつけることになります。 失礼がないように慎重にしなくてはいけません。 くだらないことで何回も呼びつけていると、その行為はお不動さんを子分扱い、家来扱いにしているということで……そのうち来てくれなくなると思います。 危険な時は、これはもう、続きをみる

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お不動さんの真言とご縁の話

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真言についてこれから書くことは、私の個人的見解です。 仏教としての知識を身につけたいとお考えの方は、お寺に言ってお話を聞いたり、僧侶の方が書かれたものを読むことをおすすめ致します。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 真言は、お寺の勤行で唱えられているのを聞いて覚える、お寺でお坊さんに教えてもらう、お寺のお不動さんの前に書かれているものを見て授かる(これはお不動さんから直接もらったと考えていいです)という方法のいずれかでいただきます。 ネットで簡単に調べることができますが、調べて覚えた真言に力はありません。 ですから、まだ真言を持っていない、という方はどこかのお寺に言って、お不動さんにいただくといいです。 お寺に行ったらそこに真言が書かれていた、やった、真言を授かることができた……と、この場合、ご縁もいただけているのかというと、残念ながらそれは別のお話になります。 前回書きましたように、ご縁がもらえるかどうかは、お不動さん次第です。 真言はもらえても、ご縁はまだ……という場合があります。 真言と同時にご縁までもらえているという、ラッキーな人も中にはいます。 私は、役行者の真言を、仏様の聖域で修験者の方が勤行しているのを聞いて、いただくことができました。 しかし、まだ、役行者ご本人からご縁はいただいておりません。 ご縁はいただいてなくても、真言は効力を発揮して、私を助けてくれています。 ですから、真言をいただけるということは、それだけでも大変ありがたいことなのです。 「ご縁も欲しかったんだけど〜」と不満に思うのはちょっと違うのですね。 1回の参拝でご縁はもらえてないかも? と思った時は、せっせと通うといいです。(通う頻度に決まりはありませんから、自分が通える範囲で大丈夫です) 仏様にいただいた真言は、仏様を呼ばなくても、唱えるだけで力を発揮してくれます。 その具体例ですが、私はある民間信仰の場所に行ったことがあります。 そこには中途半端に修行をしているもの(あちらの世界の話です)が多くいました。 神様でも仏様でもない存在で、信仰の場所なのだけれど神仏がいないところで、中途半端なことをしていますから、「本格的にやばいなぁ」という雰囲気でした。 そのままそっと帰ろうとしたのですが、何名かの修行なかばのものたちが私に気づきました。 こちらにす〜っと寄ってきます。 ついてこられては困るので、そこからはお不動さんの真言を延々と唱え続けました。 小高い山でしたので、下の駐車場までかなり歩きましたが、途切れないように気合を入れて唱え続けました。 この時はお不動さん本人を呼んでいません。 真言の力だけを借りたのです。 唱え続けていると、真言は私の体のまわりをくるくるとらせん状に回るような感じでバリアとなってくれました。 中途半端に修行をしているものたちは、私に乗っかるどころかそばにも寄れませんでした。 このように真言を唱えて助けてもらっても、お不動さんは呼んでいない、という場合がよくあります。 つまり真言だけでも助けてもらえるのです。 そして、真言を唱えることが、イコ続きをみる

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お不動さんの真言の種類と音

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前回の記事に関して多くの情報をいただきました。 お寺によっては、真言を書いた紙、冊子、カードをくれるところがあるそうです。 何通かは同じお寺の情報でしたが、全然別のお寺について書かれたメッセージも数通ありましたので、真言を書いたものをくれるお寺は意外と多いのかもしれません。 「この場合、授かったと考えてよいのでしょうか?」という質問でした。 ①そのお寺でお坊さんと一緒に、声に出して真言を唱えた、という場合 覚えられないのでカードをもらって帰ります、とお不動さんにお断りすればいいです。 ②お寺で書いてある紙だけ、冊子だけをもらった場合 〝お不動さんの前で〟その紙を見ながら、一度、〝声に出して〟唱えます。 (小声で構いません)そして、同じくお断りをすれば大丈夫です。 どちらも一度、声に出して唱える、お断りをするのは、〝家で覚える真言〟に力を入れてもらうためです。 (本来は仏様の前で、その場で覚えます) それとこれは、質問をいただいてはじめて「あ、そうか、ここも書かなければ」と気づきました。 真言は祝詞や般若心経とは違いますから、暗記は必須です。 暗記して唱えなければ効果はありません。 書かれた紙を読みながら唱えても効果があるのは、真言以外のもの……祝詞や般若心経などです。 お不動さんの真言は3種類あります。 とても短いもの(小呪・一字呪)一般的な中くらいのもの(中呪・慈救呪)長〜いもの(大呪・火界呪)です。 どれがいいのか、は、これは自分で選ぶのではなく、仏様にいただいたものを使って下さい。 短いと力も小さいように感じるかもしれませんが、そのようなことはありません。 仏様にいただいたものであれば、どの長さの真言でも同じ効力がありますので、ありがたく使わせていただきます。 昨日、ご紹介した暗記できない場合の、イレギュラー版で真言をいただこうとお考えの方は、一般的な中くらいのものを覚えるといいです。 ちなみに私が吉野山のお不動さんにいただいたのは、中くらいのもの 【中呪・慈救呪(ジクジュ)】です。 では慈救呪だったら、みんな同じなのかと言うとそうではなく、真言宗と天台宗で若干音が違います。 私は自分が持っている真言を、小さいところまでしっかりチェックしたことがなかったので、今回、文字でよーく見てみたら、真言宗とも天台宗とも違っていました。 2つを足続きをみる

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行って祓ってもらう ~お寺編~

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なんだかお不動さんシリーズみたいな感じになってしまいましたが、テーマは憑いている霊をどうするか、乗っかられるのをどう防ぐかですので、たくさんの質問をいただいていますが、お不動さんの他の話はちょっと横に置きたいと思います。 ここまで書いてきたのは、仏様に来ていただく、というお話でした。 ご縁をもらっていない、真言も授かっていないという場合、強い仏様のところ(お寺)に行ってお願いをします。 その仏様がお不動さんだったら、スパッと祓ってくれます。 (注:お不動さんにもよります。お不動さん本体と道が繋がっていなかったり、仏様の稼働システムが壊れていて、お不動さんがその像に来ても動けないことがあります。ですから、全部のお不動さんが必ず祓えるというわけではありません。【神様アンテナを磨く方法】という本に、道が繋がることの説明を書いています) お寺のどこかに真言が書かれていたら、真言を唱えると、より効果的です。 自分の口から出す仏様の言葉、それにより、仏様の波動と自分が同調して、仏様の波動を身にまとえるからです。 私がお不動さん本人に言われたように、9回唱えるとさらに効果が高まると思います。 強烈な悪霊、仏に強い霊(少し前に書いたお坊さんの霊などです)、が乗っかっているかもしれないので、9回唱えたら、一旦休み……それから、もう一度9回唱えれば、大丈夫なのではないかと思います。 強いお不動さんだったら、波動の低いものはその場にいられませんから、何もしなくても離れることがありますし、祈祷や護摩供に参加する、という方法もいいと思います。 ご心配されている方が数名おられましたが、窓口となるお不動さんを変えても全然問題ありません。 その場合、来てくれるお不動さんも微妙に変わります。(窓口の仏像の性質を帯びるからです) 引っ越しをされて、遠く離れたところに住んでも、ご縁を下さったお不動さんは来てくれます。 いただいたご縁は一生もの、だからです。 たとえ、その先、1回も参拝できなかったとしても、ご縁が薄くなることはありません。 いろいろな仏様がいるお寺で、お不動さんだけに手を合わせるのは、また、お不動さんだけの真言を唱え続きをみる

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⑩窓口を変えるとは?

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仏様のお話は前回で終わりだったのですが、説明不足のところがございましたので、ちょっとだけ補足しておきます。 ご縁をもらっている仏様がいて、同じ仏様を別のところで参拝しても、自動的に窓口が変わることはないです。 たとえば、私は吉野山のお不動さんにご縁をもらっていますが、成田山新勝寺のお不動さんにお参りもしましたし、ご縁もいただきました。 でも、私の窓口は変わらず吉野山の権現お不動さんです。 これは説明が難しいのですが、自分の中に吉野山のお不動さんがいるからです。 引っ越しをしても、このままにしておけば、窓口は変わりません。 でも、自分の中にいる吉野山のお不動さんを成田山新勝寺のお不動さん(こちらにもご縁をもらっています)に、置き換えたら、窓口が変わります。 お不動さんに「変えます」と宣言する、お不動さんに「変えてください」と頼む、そういうことではなくて、自分の中にある像と言いますか、自分の中にある存在を、どのお不動さんにするか……の問題です。 仏様に最初にご縁をいただく時、自分と合う仏像を探す、ということをお話しました。 あの話と同じです。 「この仏像だ」と思ったお不動さんを……自分の中に置きます。 それからご縁をいただけるように、丁寧に参拝したり、通ったりします。 どの不動明王像を自分の中に置くか……は、自分の意思です。 その置いたお続きをみる

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⑪神様に祓ってもらう場合

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お話は神社へと移ります。 成仏させてほしいという理由でついてきた〝軽い〟霊だったら、神社で購入できる〝清め塩〟が便利です。 お塩をちょっぴりなめる、体にまぶす(あちこちに塗る)、部屋の四隅に撒く、などで離れます。(部屋の窓を開けておきます。清め終えたら閉めます) 神棚があるお宅は神棚にお塩をお供えして、ロウソクを灯し、祓ってもらうようお願いしたあとで、お供えしたお塩を同じように使用出来ます。 これは軽い霊限定です。 ちょっとしっかりめに憑いている場合、手っ取り早いのは憑き物を落とす専門の神社に行くことです。 本でご紹介した、三峯神社や武蔵御嶽神社などです。(「神さまと繋がる神社仏閣めぐり」という本に書いています) この2社には、憑き物を祓う専門の眷属がいるのです。(他にもあるのかもしれませんが、とりあえず、確実に知っているこの2社を書いています) この2社だったら、祈祷をお願いして、祈祷の最中に自分でも心の中でお願いをするといいです。 関西だったら伏見稲荷へ行けば、膨大な眷属の中に、憑き物を落とす専門がいると思われます。 ただし、お稲荷さんの眷属……キツネは、霊を追いかけ回すオオカミと違って、霊と戦うらしいので、戦いに勝つまでは家の中で音がするとか、そういうことがあるかもしれません。 伏見稲荷の眷属にお願いをする場合は、稲荷山に登って、自分で〝神様に〟お願いをします。 神様がその願いに合った眷属をつけてくれます。 憑き物専門ではない神社の場合は、憑き物に対する体制が整っていませんから、神職さんにしていただく祈祷は種類が違います。 以前にも書きましたが、晴れ着を着たお宮参りや七五三、商売繁盛、安産祈願などの人と一緒に、浄霊・除霊をお願いするのは、ちょっと違う……ということは、感覚的にお分かりになるのではないかと思います。 では、普通の神社に行く場合、どうすればいいのか……と言うと、直接、自分で神様にお願いをすれば大丈夫です。 見分けが難しいかもしれませんが、強い神様だったら、霊を簡単にはがしてくれます。(小さい神様でも、はがせるとは思いますが、続きをみる

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⑫家に住みついた霊をはがすのは難しい

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自分に乗っかっている霊をどうはがすか、を前回までに書きました。 しかし霊は、直接乗っているだけではなく、家の中に住みついている、という場合もあります。 家族の誰かがどこかで拾ってきた、 その家を訪ねてきた誰かが、背中に乗っけていた霊をその家で落としていった、 もともと、その家に住みついていた、 などが主な理由です。 これも、成仏させてほしい、という軽い霊だったら、本に書いたおにぎり作戦が使えますし、清め塩も使えます。 清め塩を撒けば、「うわ! 塩撒きよったわ、こいつ! やってられへんわ」と出ていきます。 困るのは、タチの悪い霊です。 悪霊は、目的が成仏ではないので除霊が難しいのです。 なかなか離れてくれません。 放っておけば、体や精神、運などに悪影響が出てきます。 霊で厄介なのは、このパターンです。 人に頼んで祓ってもらうのは、リスクが大きい、ということはすでに書きました。 自分の体に、見えない世界の術をかけさせるのは怖い、というお話です。 家も同じです。 家に結界を張るとか、悪霊をどうこうするとか、もしも能力の低い人だったら、家の空間が歪んでしまいます。 正しい結界は、誰にでも張れるものではありません。 ちゃんと能力がある人でなければ、見えない世界の空間がぐちゃぐちゃにされてしまうのです。 そうなると、逆に悪霊を呼び込んだりもするので、見えない世界に作用する何かをさせる、というのは本当に怖いことだと知っておいたほうがいいです。 もしも、もっと悪い状態になって、「元に戻して」と言っても、その程度の能力の人は、ぐちゃぐちゃになった空間を元に戻すことはできませんから、新たに人を探さなければなりません。 他人が張った結界をほどける、さらに修復できる、そのような高い能力をもった誰かを探すの続きをみる

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⑬空気を振動させる音と芳香

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「家に悪い霊がいるかもしれない」 「どうやらいるようだ」となった時に、無理やり除霊をすることについて前回書きました。 その方法が難しいとなったら、悪霊のほうが、自分から出ていくように仕向けるといいです。 これはずいぶん前に書いたのですが、お不動さんが私を守るだけで精一杯だと言った、あの強烈に強い悪霊軍団は、キンモクセイの香りで〝自分から〟去っていました。 (そのブログ記事は→コチラ) 霊がひしめき合っているほど、うじゃうじゃといた部屋なのに、見事に1体残らずいなくなっていたのです。 その理由は〝生きた〟爽やかなキンモクセイの香りです。 これは香りが「追い出した」のではなく、その香りが嫌なので、「悪霊のほうが逃げた」のです。 悪霊は〝木に咲く花〟の芳香が嫌いなようです。 ですから、同じように芳香がする〝木に咲く花〟だったら効果があると思います。 木ではない普通の花は、効果が弱いように思いますが、それでも強い香りの花なら効くかもしれません。 アロマオイルは〝生きていない〟ので、嫌がって逃げたりしないです。 しかし、花は、ずっと香りを放ち続けるものではない、というのが難しいところで……。 キンモクセイの季節の、花が咲いている期間、集中的に芳香を家の中に置いて(鉢植えを置くとか)、短期決戦で去らせる方法もいいかもしれません。 窓を開けて外の香りを取り込むだけで逃げていましたから、家の中に香り本体を置くとさらに悪霊は嫌がると思います。 それが24時間、花が落ちてしまうまでの期間ずっと、ですから、一旦逃げて、戻って来たとしても、まだ香りがあるわけです。 また逃げて……もう1回戻って来ても、まだまだ芳香プンプンだったら……もう戻らずに違う場所に行くように思います。 ただ……家の中にキンモクセイの鉢植えを置くのは、ちょっときついかもしれません。(人間側も) 同じく悪霊は、〝振動をともなう音〟が嫌いです。 〝余韻が〟空気をビンビン振動させる、その場の空気を小刻みに動かすような、そんな音です。 お寺でゴォ〜ンとつく鐘の音、が代表的なものになります。 明石の須磨寺ではシンバルのようなものを叩いていたのですが、観音様が、この音で悪いものが落ちる、と言っていました。 シンバルも余韻が、うわんうわん、とすごかったです。 これらの音は、最初の一発の大きな音が良いのではなく(神社仏閣にある和太鼓は別です)、〝余韻〟が効くのです。 そのような音を家で鳴らすとしたら、オススメは金剛鈴です。 私はこれを高野山の仏具店で購入しました。 高野山は「一山(いっさん)境内地」といって、高野山の町のいたるところがお寺の境内となっていま続きをみる

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⑭護符

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※金剛鈴、護符に関する記述はすべて個人的見解です。仏教、および神道の教義とは異なっていると思います。 前回書きました、「金剛鈴」を、どこのお店で購入したのですか、というご質問がありました。 高野山の文房具店を奥之院方面に向かって歩いていると、右手に仏具店があります。 そこには、小さな金剛鈴から(1,000円くらいだったかな〜? お土産用でした。うろ覚えですから、違っているかもしれません)、何万円もする高額なものまでありました。 私が買ったのは4,000円前後だったように記憶しています。(こちらも超うろ覚えです) 高額なものは本格的な金剛鈴で、お手頃な値段のものは持鈴(じれい)という簡易バージョンです。 私のものも持鈴ですが、効き目自体に変わりはありません。 小さなものは振動させる力が小さかったので、中程度のものを買ったのですが、高野山の町で買えば、特に私と同じものを、とこだわらなくても大丈夫です。 空海さんの波動入りという意味では一緒だからです。 「金剛鈴の代わりに仏壇のおりんでもいいですか?」 「音叉はどうでしょう?」 という質問が、どちらも数通ずつ、届きました。 音叉(おんさ)って何だろう? とさっそく調べて、YouTubeで聞いてみました。 残念ながら、動画では空気の振動具合がわかりませんでした。 実際に自分で鳴らしてみないと、その振動がどんな感じなのか、つかめないのです。 ですから、音叉をお持ちの方は、ご自分で試してみるといいと思います。 何回かやってみて、霊が逃げていかないなぁ、と思えば、金剛鈴を買えばいいのです。 おりんは、空間を振動させる……その波紋がちょっと違うんですね。 上に開いている、カップ状のものを叩くからでしょうか。 残念ですが、おりんは効果がないと思います。 悪霊に、家から出て行ってもらうために、護符を貼るのはどうかと言いますと、効果はその護符によります。(護符とは、ペラペラの1枚ものの和紙に、絵や文字が描かれたものです) どこのお寺のものか、何の用途の護符か、力がある護符かどうか、などで違うのと、力があったらあったで、何枚も貼っていいものかどうか、何枚か貼るとしても位置はどこでもいいのか、などいろいろと考えなければいけないことがあったりします。 買ってきた護符1枚のみで、強い悪霊を全部祓える、ということはありません。(本物の強い力を持った霊能者、もしくはお坊さんが処理をした場合を除きます) 護符はそのようにして使用するのではなく、効果があるものを何枚か家のあちこちに貼ります。 すると、悪霊は、「なんかこの家、おりづらいわー、おったらイライラするわー、ンモー」と居心地が悪いので、自分から出て行く、と、そういうものです。 熊野本宮大社は神社ですが、護符(神符)を売っています。 この護符を以前から何回か買って、いろいろと試してみました。 良いものなので、親戚にも配っています。 この護符だったら、家の中に何枚貼っても問題ないです。 位置にこだわる必要もありませんが、向かい合わせに貼ると狛犬効果があるので、続きをみる

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