日本二十六聖人殉教地は、100メートル先という案内ですが、 この坂道を登って行きます。 西坂公園の中にあります。 石段を登るみたいです。 石段を登ったところにマップがありました。 広場に着いて、一直線に目に入ってくるのが、 二十六聖人のブロンズ像です。 26人の中には子どもが2名います。その横が五島さんです。 話を少し戻しまして……。 坂道の下の、メイン道路にあったコインパーキングに車を停めました。 そこから西坂公園に向かおうとしたら、いきなり足の骨がギリギリと痛くなりました。 大腿骨からかかとまで、1本が丸ごと、しかも両方がすごく痛いのです。 どうして痛みがあるのか、謎でした。 私は長く生きていますが、こんなことは人生で初めてです。 坂道を登るのが本気でつらかったです。 時を超えて当時の「場」と同調してしまい、長く歩いたことが苦しく、足が痛い、という念と繋がったようでした。 この二十六聖人は、キリスト教弾圧で処刑された人たちです。 大辞林から引用しますと……。 【日本最初のキリスト教殉教者。1596年秀吉のキリシタン禁圧政策により京都・大坂などで捕らえられ、翌年長崎で処刑された、フランシスコ会宣教師六人・日本人信徒一七人・日本人のイエズス会士三人の計二六人。1862年に列聖された】 近畿で捕らえられて、長崎まで歩かされたそうです。(詳細を書くのはちょっとつらいので、詳しく知りたいな~と思われた方は、「二十六聖人」で検索するといろいろとヒットします) まず、西坂公園では、二十六聖人のブロンズ像を見に行きました。 石段を上がって、広場に出た瞬間に、「ああ、五島さんはここにいるのだな」とわかりました。 五島さんを呼んでみたら、驚くことに、走って出て来ました。 ブロンズ像の中央からやや右あたり……ちょうどブロンズ像の五島さんのところから、ハカマの裾がからまりそうなくらい勢いよく走って来たのです。 ご挨拶をしてゆっくり話をしようとしても、五島さんは、4人ほど成仏していないことを伝えてきます。 4人全員が、五島さんと一緒に処刑されたのではなく、五島さんと一緒だったのは1名だそうです。 残りの3名は、その後、ここで処刑をされた人たちの中にいた、と言うのです。 「え? どういうことですか?」と、思いました。 私は二十六聖人以外にも、ここで処刑された人がいることを知りませんでした。 ですから、その言葉に驚きました。 4名の方々を見ると、たしかに1名は十字架に架けられている姿のままです。 どうやらその方が二十六聖人のひとりのようです。 他の3名は十字架に架けられていません。 痛い、怖い、と泣いている人もいます。 ものすごく苦しかったみたいで、そのつらさと恐怖感、それらの強い念がこの世に縛っているようでした。 広場のすぐ後方にある「日本二十六聖人記念館」に、このあとで入ったのですが、そこで、この「西坂の丘」では二十六聖人以外にも、続きをみる
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