パリのモンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院でのお話です。 フランスはマリアさんをおもに信仰している教会が多く、マリアさんの像が祭壇の中心にあったり、ドームの内部にマリアさんの絵が大きく描かれていたりします。 そんな教会が多いなか、サクレ・クール寺院はキリストの絵がドームの内側にとても大きく描かれていました。 この教会に行ったのは、旅も終わりに近い頃でした。 私の海外旅行は個人の一人旅ですから、旅の終盤になると結構、疲れています。 言葉で苦労をするし、レンタカーは緊張しっぱなしでの運転だし、日本も恋しいし……そんな気分で、この教会に行きました。 椅子に座って、キリストにご挨拶をしてお呼びすると、キリストは上から静かに降りて来られました。 私のほうは疲れていますから、何か質問をしようとか、会話をしようという気力がなく、ただただキリストのお姿をぼーっと見ていました。 キリストの愛のエネルギーは、やっぱりものすごい力を持っていて、どんどん愛の癒しで自分が満たされていくのを感じました。 あたたかく優しい愛にくるまれていると、心地よく眠くなります。 マックスにまで充電してもらったら、温泉に入ったあとのような、ほっこり、ほかほかとした、心身ともにあたたかい感じ、満足感でいっぱいになりました。 教会に入った時とはまったく違う、「あ~、幸せ~」みたいな気持ちになれたのです。 しんどさも寂しさも疲れも、そういうものが全部癒されて消えていました。 そこから先は気分がスッキリ爽やか、晴れやかになり、ラクになりました。 このサクレ・クール寺院で「へぇぇぇー!」と思ったのは、大天狗さんとお稲荷さんです。 フランスには、日本から大天狗さん(大山阿夫利神社の眷属です)とお稲荷さんがついて来てくれていました。 この教会でなにげに、ふと、大天狗さんとお稲荷さんは……どこにいるのだろう? と見ると……なんと、おふた方は、教会の外で待っていました! 大天狗さんは入口のところで、大きなお姿のままで腕組みをしており、お稲荷さんも少し大きいお姿で凛としたポーズでカッコよく座っていました。 中には入らないんだ~ と知りました。 違う宗教の教会だから遠慮したのでは? と思うのは人間の心理で、神仏は変な遠慮はしません。 なにが一番の理由かと言いますと、大天狗さんもお稲荷さんも、私の〝キリストへの信仰〟を邪魔しないように、という配慮なのです。 「思う存分、キリストを信仰してこい。ここで待っている」という感じでしょうか。 神仏はこのように大変心が広いです。 信仰に浮気はない、ということを、ずっと書いてきましたが、こういうことなのですね。 キリストのほうも、「外に大天狗と稲荷を待たせているではないか。違う神を信仰するとはけしからん。私の愛はお前には与えられない」などと、せせこましいことは絶対に言いません。 信仰は自由である、そして、いくつ持ってもいい、ということを神仏ならどなたも知っておられます。 そこに嫉妬とか、気分を害するとか、そういうことは一切ないのですね。 神仏はそのような低い感情を持っていません。 私の信仰の自由を尊重するために、思いっきりキリストを信仰できるように、教会の外で待ってくれた大天狗さんとお稲荷さんに、心から感謝をしました。 モンマ続きをみる
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