このブログについて、ちゃんとお断りをしておいたほうがいいのかな? と思ったので、ちょっと書いておきますね。 スピリチュアルな内容が主となっているブログですが、たま~に日記的なことを書くこともあります。 取材の報告とか、元夫や息子のお話とか、オシャレなランチとか(これはいまだに達成できておりませんが)、いろんなことを書きたくて、タイトルを「ひっそりとスピリチュアルしています」から「さくら識日記」に変更しました。(ええ、そうなんです、一応〝日記〟なんですよ~) ですので、そのようなコンセプトのブログなのね~、と思っていただけるとありがたいです。 スピリチュアルではない記事もたまにあります。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 「亡くなられる方を目の前にして、その方に、して差し上げられることは……何かあるのでしょうか?」という質問をいただきました。 医療関係者の方からです。 目の前で、亡くなっていく方を、ただ見ていることしかできないのだろうか……と苦悩されているご様子でした。 同じような悩みは介護職の方にも、看取りをするご家族の方にもあると思います。 いよいよという時、たとえば1日中、じっとそばでただ見守るしかできないのだろうか、という苦悩ですね。 人間はもうすぐあちらの世界に帰る、となると、体から魂が時々抜けます。 体から抜けて、親しかった人にお別れを言いに行ったり、お世話になった人に最後のご挨拶をしに行ったりします。 そのような状態にまでなると、体は眠っていても、意識がなくても、魂は肉体に話しかけられた言葉を聞いています。 しっかり理解しているのです。 認知症の方も、脳の働きと魂は別ですから、話しかけられたことは正しく理解しています。 亡くなりゆく方には、優しく耳もとでお話をしてあげるといいです。 お礼を言うことは、それはそれでとても大切です。 しかし、亡くなりゆく方には魂に話しかけているので、1回言えば本人の心にちゃんと届きます。 あちらの世界に帰ろうとしている魂は、たとえ1回きりでも、大事なことを言われれば、決して忘れたりしません。 繰り返し繰り返ししつこく言わなくても大丈夫なのですね。 私がご提案したいのは、あちらの世界に帰ろうとしている本人が、穏やかになる、安心できる、そういう言葉をかけてあげることです。 それが一番喜ばれます。 無宗教の人や、死後の世界はないと思っている人は、まだ亡くなっていませんから、意識は元気だった時のままです。 亡くなりつつある自分の状況がわかりません。 体が2つある(ように見える)、その状態を恐怖に感じている人や、わけがわからなくてパニックになっている人も中にはいます。 肉体は目をつぶって静かに横たわったままですから、見た目は静かに逝こうとしているように見えます。 しかし、〝魂の本人〟は、亡くなることをとても怖がっていて、周囲の人に抱きついたり、魂が体から抜けていることでパニックになってあちこち歩き回ったり、誰かれかまわず話かけ続きをみる
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