ここのところ、ちょこちょこ時間を見つけては、強行軍であちこちにお出かけをしていました。 現在は、両親の顔を見に実家に来ていて、のんびりムードでリラックスしております。 さて、そんなお出かけ強行軍の中で、先日、素晴らしい体験をしましたので、そのご報告です。 ところは会津若松市です。 どこから書くのが一番いいかな、と考え……まずは私の予備知識、それから会津若松市に行って得た情報、そして結末、という順序が一番理解してもらいやすいと思いますので、ちょっと長くなりますが、どうぞお付き合い下さい。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 私は意外と幕末に詳しいです。 というのは、その頃に自分の過去世があるからです。 といっても、その時の過去世のことをすべてハッキリ覚えているわけではなく、断片的に覚えている程度ですが、幕末に関しては自分がいた時代ですから、とても興味があります。 でも、それも、大政奉還あたりまでで、王政復古くらいからは一気に関心が薄れ、なぜか明治維新に至ってはまったく興味がありません。 ですから、江戸城無血開城や戊辰戦争などは、教科書に2~3行書かれていたその程度のことしか知識がなく、白虎隊の名前も、一応、知ってはいますが……。 「まだ若い、少年の隊士たちが、新政府軍に敗れて飯盛山で集団で自決した」というこれだけしか知らないです。 そんな状態だったので、会津藩には特別な思いなどもありませんでした。(大河ドラマ「八重の桜」も見ていないです) たまたま会津若松市を通過することになり、マップを見ていたら「会津武家屋敷」という文字がありました。 「武家屋敷を何軒か保存しているのだろうな」と、単純に武家屋敷を見たくて寄ってみると、予想に反して、ここは軽いテーマパーク色を帯びた施設となっていました。 資料館もありますから、私のように会津藩について深く知らない人が行くと、基礎を学べるようになっています。 深く知らないといっても……幕末に藩主の松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職をしていて、尊王攘夷派弾圧を行なったこと……そこはよく知っています。 新撰組の親分、という印象でした。 その松平容保は明治26年まで生きていて、続きをみる
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