最新刊に「閻魔王庁ものがたり」というお話を書きました。 書く前に非常に悩んだことがあります。 それは、ものすごーーーく真面目な人や、霊格が高い人は、小さな間違いを犯しただけで、地獄に行くと勘違いをするのでは? 死ぬことを怖いと思ってしまうのでは? ということです。 メッセージやお手紙を拝見すると、過去の行為を後悔している方が少なからずおられます。 してしまった行為は、もう取り消すことができません。 地獄の下のほうに行くべきところを、反省室で済むかもしれないですよ、それはこれからの生き方次第ですよ、ということを、少し前に書きました。 それは慰めでもなんでもなくて、真理です。 人間は、誰もが完璧ではありません。 完璧ではないから、まだ人間をしているわけです。 深く考えずにうっかり悪いことをしてしまうかもしれませんし、「魔」が乗っているために悪いことをする場合もあります。 なんであの時、あんなことをしたのだろう、と、あとになって苦しみながら反省をする人も多いです。 抽象的に書いたのでは、理解がいまひとつかもしれませんので、今日は具体的に書こうと思います。 同じような苦しみを抱えている方がいらっしゃると思うからです。 出版社さんから転送されてきたお手紙の中にあった1通をご紹介します。 *~*~*~*~*~*~*~*~ その方の人生から先にお話をしますと……。 シングルマザーだったお母様を幼い頃から助けてきています。 働くお母様の負担を減らしてあげるために小さい頃から文句も言わず家事をして、時にはお母様の内職の手伝いもしてきました。 アルバイトで一生懸命に学費を稼ぎ、妹さんを学校にも行かせてあげました。 貧しいけれど幸せだった、と、その環境を恨むことなく、肯定的にとらえています。 結婚はされてなくて、10年前からはお母様の介護を1人でしています。 50代になると、急に仕事も人間関係も行き詰まってしまい、「死にたい」と思うようになりました。 しかし、お母様の介護をしなければいけませんし、自殺は良くない、と知っているので、死にたいという気持ちと戦いながら生きていました。 大変苦しい日々でした。 そんな時に、神仏の愛情やご加護を知ることができました。 つらい生活の合間に、あちこちの神社仏閣を参拝しました。 手を合わせている時に自然と涙が流れたり、歓迎の印をいただいて感激続きをみる
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