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Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
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お不動さんの真言とご縁の話

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真言についてこれから書くことは、私の個人的見解です。 仏教としての知識を身につけたいとお考えの方は、お寺に言ってお話を聞いたり、僧侶の方が書かれたものを読むことをおすすめ致します。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 真言は、お寺の勤行で唱えられているのを聞いて覚える、お寺でお坊さんに教えてもらう、お寺のお不動さんの前に書かれているものを見て授かる(これはお不動さんから直接もらったと考えていいです)という方法のいずれかでいただきます。 ネットで簡単に調べることができますが、調べて覚えた真言に力はありません。 ですから、まだ真言を持っていない、という方はどこかのお寺に言って、お不動さんにいただくといいです。 お寺に行ったらそこに真言が書かれていた、やった、真言を授かることができた……と、この場合、ご縁もいただけているのかというと、残念ながらそれは別のお話になります。 前回書きましたように、ご縁がもらえるかどうかは、お不動さん次第です。 真言はもらえても、ご縁はまだ……という場合があります。 真言と同時にご縁までもらえているという、ラッキーな人も中にはいます。 私は、役行者の真言を、仏様の聖域で修験者の方が勤行しているのを聞いて、いただくことができました。 しかし、まだ、役行者ご本人からご縁はいただいておりません。 ご縁はいただいてなくても、真言は効力を発揮して、私を助けてくれています。 ですから、真言をいただけるということは、それだけでも大変ありがたいことなのです。 「ご縁も欲しかったんだけど〜」と不満に思うのはちょっと違うのですね。 1回の参拝でご縁はもらえてないかも? と思った時は、せっせと通うといいです。(通う頻度に決まりはありませんから、自分が通える範囲で大丈夫です) 仏様にいただいた真言は、仏様を呼ばなくても、唱えるだけで力を発揮してくれます。 その具体例ですが、私はある民間信仰の場所に行ったことがあります。 そこには中途半端に修行をしているもの(あちらの世界の話です)が多くいました。 神様でも仏様でもない存在で、信仰の場所なのだけれど神仏がいないところで、中途半端なことをしていますから、「本格的にやばいなぁ」という雰囲気でした。 そのままそっと帰ろうとしたのですが、何名かの修行なかばのものたちが私に気づきました。 こちらにす〜っと寄ってきます。 ついてこられては困るので、そこからはお不動さんの真言を延々と唱え続けました。 小高い山でしたので、下の駐車場までかなり歩きましたが、途切れないように気合を入れて唱え続けました。 この時はお不動さん本人を呼んでいません。 真言の力だけを借りたのです。 唱え続けていると、真言は私の体のまわりをくるくるとらせん状に回るような感じでバリアとなってくれました。 中途半端に修行をしているものたちは、私に乗っかるどころかそばにも寄れませんでした。 このように真言を唱えて助けてもらっても、お不動さんは呼んでいない、という場合がよくあります。 つまり真言だけでも助けてもらえるのです。 そして、真言を唱えることが、イコ続きをみる

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