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Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
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信仰の種から咲く花とは

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※ある意味、前回の続きです。 人間の感覚で思う不幸は、必ずしも、〝本当の不幸〟ではないことがある、ということを前回書きました。 でも、〝本当の不幸〟なのか、そうではないのか…… 人間である私たちがサクッと判断するのは困難です。 〝不幸だと思えること〟が起こった時に、多くの人が考えるのは、「神様が守ってくれているはずなのに、どうしてこんな不幸が起きるの?」ではないでしょうか。 私は最初の結婚をしていた時に、最初の夫だった人の不倫が発覚しました。 離婚するまでの間、神様に「不倫をやめさせてほしい」と懇願しました。 願いは聞いてもらえず、神様に八つ当たりをしたり、神様に文句を言ったりしました。 神様が守ってくれないのはどうして? とまで思いました。 けれど、母は、前回書いたように、2回続けて骨折しても、それを神様のせいにすることはありませんでした。 「また折れちゃった~」ですませ、「神様はどうして守ってくれなかったの?」とは、一切言わないし、まったく思っていないのです。 これは母の姉妹、全員がそうです。 母は4姉妹ですが、4人の人生には、これまでにいろんなことがありました。 不幸と思えることが起こったり、不運に見舞われたり…… けれど、4人とも、「神様が守ってくれなかった」「なぜ助けてくれなかったのだろう」などと言うことはなく、たぶん、4人とも、そのようなことは1回も考えたことがないのだろうと思います。 そのようなニュアンスの言葉を聞いたことがないのです。 4人とも、神様が見えたり、声が聞こえたりしないのに、です。 不幸と思えること、不運と思えることを、神様のせいにしないのですね。 これは、祖父母からもらった「信仰の種」が芽を出し、美しく咲いている花(信仰)のおかげだと思います。 不幸と思える続きをみる

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