※前回の続きです。 前回の〝たとえ話〟で、お伝えしたかったのは、 「納骨しないことを軽く考えないほうがいいですよ」 「もしも納骨をしないのであれば、どうか慎重になさって下さい」ということです。 私が実際に見聞きして、判明したことを、順番にたとえ話で説明しますね。 まず、息子さんは納骨してもらえないことを恨んではいません。 両親の悲しみ、喪失感が、痛いほどわかるからです。 遺骨をそばに置いておきたい! という両親の思い(愛情)を尊重し、成仏を我慢します。 両親のどちらかが亡くなって、そばに来た時に、一緒に行けばいいか、と考えます。 「それまで、待つとしよう」と大らかに、かまえているのです。 納骨しないことに関して、息子さんに「恨む」とか、「悲しむ」などの、マイナスの念はありません。 けれど、「成仏を我慢させている」という、大きな負担を強いることは知っておいたほうがいいです。 「死んだらどうなるの?」という本に詳しく書きましたが、遺骨を家に置いておくのは、故人にとっていいこととは言えないのです。 納骨しないのは、行くべきところへ行く準備ができている故人を、先に進めない状態にしばりつけるのと同じです。 つまり、成仏界に入れない状態、成仏する一歩手前のままにさせておく…… 言い方を変えれば、死んだ時のままでいさせる、ということなのです。 さまよう幽霊になったりはしませんが、成仏寸前なのに地上にいるという、中途半端な存在にしています。 そのつらさは人間にはわかりませんが、けっこうつらくてしんどい状態です。 納骨が遅れると、成仏界に入るのが遅れますから、成仏界に入ったところからその遅れを取り戻さなくてはなりません。 その時点で、すでに何回かの年忌が過ぎていると、年忌の大きなサポートをのがしています。 サポートがない分、自分で頑張らなくてはいけない、という負担もかけています。 ですから、できれば四十九日が過ぎたら、一刻も早く納骨してあげたほうがいいです。 さて、ここで、 納骨をしないで遺骨を家に置いていると、生きている人間のほうに影響はないのかと言いますと…… あることが判明しました。 遺骨というのは、いくら焼却していても、ご遺体の一部です。 その遺骨が家にあると、微妙に少~~~~~~~~~しずつ、空間がひずんでいきます。 ごくごく、わずかなひずみですから、3年や5年では大きな変化はありません。 けれど、5年を過ぎ、8年あたりになると、敏感な人は、ひずみの影響で体調を崩します。 たとえ話で言うと、夫はそれで病気になりました。(あくまでもたとえ話のお話です) 家の空間がひずんでいるため、病気の進行が早まり、夫もあっという間に亡くなります。 亡くなった夫は、人間界からあちらの世界に行って、そこで初めて気づきます。 息子を早く納骨してあげるべきだったのだ、と。 かわいそうな状態で我慢している息子を見て、夫は涙ながらに、妻であるAさんに知らせます。 「息子を一刻も早く納骨してやってくれ」 しかし、Aさんには夫の声が聞こえないため、まったく気づきません。 それどころか、夫の遺骨も家に置くようにしました。 夫は、Aさんのそばで、毎日必死で語りかけます。 大事な息子が死んだ時のまま固続きをみる
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