※前回の続きです。 「自分は、今、どの時代に生きていた、誰だったっけ?」と、一瞬わからなくなっている状態は、魂が迷子になっているようなものです。 でも、これは見方を変えると、魂の〝素の状態〟です。 今はどの人生をやっていたんだっけ? と迷う…… ということは、今まで生きてきた、過去世のどれかの人生、どの人物かが、そのまま〝自分〟ではない、〝本来の自分〟ではない、と魂はわかっているのです。 迷子状態の魂は、こちらの世界にいる時の「設定」から離れた、まったくのフリー、〝本来の自分〟です。 ここで気づくのは、過去世のどれもが「自分そのものではなかった」「100パーセントの自分ではなかった」ということです。 多くの人生を生きてきたけれど、どの人物も〝魂の素の状態の自分〟と、同じではなかった、と〝わかる〟のです。 たくさんの過去世がずら~っと並んで見えると、その人生を生きていた時の人物(性格とか生き方)も見えてきます。 ここまで見えたら、「その人物には、たしかに自分の魂が入っていた。でも、それは〝自分〟そのものではない」と、しっかりと〝わかり〟ます。 それぞれの人物は、長所や短所が違いますし、考え方も違います。 生き方そのものも違います。 それはなぜかと言いますと、魂は、たくさんの人生を「経験」する、からです。 ですから、そのうちのどれかひとつの人生が、もしくは、どの人物かのひとりが、自分そのものではないというわけです。 魂は、多くの人物を経験します。 それは、言ってみれば、巨大な木のようなものです。 中心の幹が魂であり、ある時はこっちの葉っぱの人生を経験し、違う時代では違う葉っぱの人生を経験する……。 こうしてたくさんの経験(人生)を、葉っぱとして持ちます。 私で言えば、今の桜井識子も葉っぱのひとつであり、貴重な体験をしているさいちゅうです。 そして、この人生が終わると……もう二度と、桜井識子はありません。 同じ人生はない、のです。 それを思うと、桜井識子としてできることは、今、しっかりしておくべきである、とわかります。 次に生まれた時は、信仰心を持っていないかもしれません。 神仏のありがたみを知らない人生を体験するかもしれないのです。 もちろん、その人生では神仏のお姿は見えないでしょうし、コンタクトもできないでしょう。 となると、神仏が見えたり、会話ができることがどれほどありがたいのか、がわかります。 今、できることをしっかりしなければ! この人生を大事にしなければ! と思います。 皆様も同じです。 現在、仕事がバリバリできる人は、次はできない人を経験するかもしれません。 頭脳明晰で生まれた人は、次はそうではないかもしれませんし、 誰と続きをみる
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