ある意味、前回の続きです。 いただくお手紙やメッセージによく書かれているのは、「私には神仏の声は聞こえませんが……」という言葉です。 これはマイナスの意味で書いているのではなく、 「神仏の声は聞こえませんが、歓迎のサインをいただきました」とか、 「神仏の声は聞こえませんが、境内で癒やされました」とか、そういう感じで使われています。 お手紙やメールを読むと、謙虚な人、純真な人ほど、この言葉を使っています。 でも、神仏の声をいつか聞きたい、と思っているのなら、この言葉は封印したほうがいいです。 神仏はどの人にも、ちゃんと語りかけています。 聞こえないとわかっているから声はかけない、ということはありません。 魂が聞いているからです。 かけられた言葉を魂はしっかり覚えていますから、あちらの世界に帰った時に思い出してみて下さい。 たとえば、車で事故を起こしそうになって、神様に物理的に助けてもらったことがある、でも声は聞こえなかった、という時も、神様はちゃんと声をかけているのです。 「その声が……まだ聞こえないのです」と思われた方、その思考は捨てたほうがいいです。 というのは、自分で「聞こえない」と、届いている声を拒否しているからです。 神仏とのコミュニケーションには段階があります。 昨日までまったくわからない、聞こえない、見えない、という状態だったのに、 今日、いきなりわかるようになって、聞こえる、見える、となることはありませ続きをみる
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