※前々回の続きです。 えらく間が空いてしまったため、「えっと? なんの話だった?」と思われる方が多いと思いますので、(ひ~、すみません) サクサクっと書きますね。 以前にも一度、書いたことがあるのですが、神仏には肉体がありません。 ですから、人間に直接声をかけることができません。 でも、歓迎の気持ちを、どうしても伝えておきたいという時があります。 けれど……歓迎のサインを知らないという人、 もしくは、歓迎のサインは知っているけれど、謙虚なため「違うかも?」と考えてしまう人、 このような人には、神職さんやお坊さんを使って、歓迎を示すことがあるのです。 ハッキリと気づかせてやりたい、という時もそうです。 ただしこれは、無意識にでも、神仏の思いを受け取れる神職さんやお坊さん、関係者がいる神社仏閣だけです。 神仏の歓迎の気持ちを、相手に伝える役目をしている……ということを、ちゃんとわかっている方がいる神社仏閣ですね。 「イライラを参拝者にぶつけたりする人を、なぜ、神仏はそばに置いておくのでしょうか?」という質問をいただきました。 見えない世界では、人間の意思は自由であり、尊重されるべきものである、というルールがあります。 何をどう考えるのかは、その人の自由なのです。 ですから、どの宗教を信仰するのかも自由ですし、そのことについて、神仏は何も言いません。 イライラと人に当たったりするのも、その人が「したい」と思うのは自由なわけです。 その件について書い続きをみる
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