※前回の続きです。 それ以来、よい知らせの時は、この細~~~く長~~~く伸びる炎を時々見ました。 断っておきますが、よい知らせの時に、「いつも」「必ず」こうなるわけではありません。 炎がこんなふうにならなかったといって、悪い結果になる、というわけでもありません。 なる時もあれば、ならない時もあります。 状況が八方ふさがりの時に、苦しくて悲しくて「つらいです」と涙ながらに手を合わせていたら、この炎になったこともあります。(まだ見えない、聞こえない時です) その時は仏様でしたが、ハグをしてくれるような、背中を優しく撫でてくれるような、そんな感覚がありました。 神仏が励ましてくれる時も、目に見えるサインとしてこの炎になることがあるのです。 ほとんどの神社はロウソクを灯していませんから、ロウソクサインを経験したい場合、行くのはお寺です。 あとは自分で灯明できる小さな神社です。 で、ここがポイントなのですが、「ロウソクの炎で教えて下さい」と要求すると、炎はほとんど動きません。 これも何回かやったことがあります。(まだ見えない、聞こえない時です) 願掛けが叶う時でも、悩みが好転する時でも、見事に炎は動きませんでした。 これは、私が思うに…… 神仏にすれば、「ロウソクの炎で教えて下さい」と言われて、言われるとおりに炎で答えたら、 手を合わせている人は、「教えて下さい」と言うと、どこの神社仏閣でも、「必ず」答えがもらえるんだ、と思ってしまうかもしれません。 そう思い込んでしまうと、別の神仏のところでも、「ロウソクの炎で教えて下さい」と言う可能性があります。 でも、そこの神仏は答えないタイプかもしれないのです。 となると、答えなかったために炎が動かないのに、「ロウソクが動かない……悪い状況になるんだ……」と勘違いをしてしまいます。 勘違いした結果、「悪い状況になるのなら予防策をしよう」と、しなくていい余計なことをするかもしれません。 というわけで、「ロウソクの炎で教えて下さい」とお願いしたほうが、答えはもらえないと思ったほうがいいです。 続きをみる
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