※前回の続きです。 神社に行って、神様に悩みを相談したとします。 「職場のAさんが意地悪なんです。仕事が好きだから会社を辞めたくないのですが、毎日つらくて……苦しいです。辞めたほうがいいのでしょうか?」 この質問に、神様は次のようなメッセージをくれました。 「Aさんは半年後に夫の転勤で引っ越しをする。その準備で3ヶ月後に退職する。もう少しの辛抱である」 前述したように、神様はこれを言葉では言いません。 メッセージをカプセルに詰めて手渡してくれます。 このメッセージは言葉ではありませんから、〝思考〟状態です。 すべてが混ざって、ひとかたまりになっています。 それはどういうことかと言いますと、この単語が先で、この単語があと、というように、言葉として順序があるわけではないのです。 「引っ越しをする」「もう少し」「退職」「3ヶ月」「夫」「準備」「辛抱」「半年」「Aさん」「転勤」 というように、カプセルの中にはすべてが入っていますが、混ざっています。 さきほども言いましたように、変換が高度なのは、これらが「言葉」ではなく、〝思考〟状態だということです。 「準備」は、事前にあれこれと忙しくする〝イメージ〟ですし、 「辛抱」は頑張って耐えるような〝気持ち〟、 「もう少し」はそんなに遠くない未来という〝感覚〟です。 この、イメージ、気持ち、感覚、などが、カプセル内にぎゅっと入っているわけです。 受け取るのが神様だったら、カプセルを開けた瞬間に、即座に理解ができますが、人間が中身を〝正しく〟知るためには、言葉に変換しなければなりません。 言葉に変えて、〝脳〟 という部分で認識しなければ、内容を正確に理解できないからです。 日本人なら日本語に変換し、アメリカ人なら英語に変換します。 ですから、視点を変えて、大きく言い換えれば、神様は何語でも語りかけられる、ということになります。 つまり、どこの国の人間であっても、アメリカにいる神様とコンタクトは可能ですし、世界中どこの国の人でも日本に来れば、日本の神仏とコンタクトができる、というわけです。 これは、神仏のメッセージを〝言葉〟に変換している人の例です。 正直に言いますと、この変換はたいへん高度であ続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』