※前回の続きです。 説明が足りなかったようで、申し訳ございません~。 補足をしますね。 「わかる」という「感覚」についてです。 たとえ話で、スーパーでの床の足のマークや、ドリンクバーのストローを書きました。 蝶々を見て、何も考えずに「嬉しい」となることも書きました。 どちらも「感覚」の説明です。 床の足のマークやストローは、経験から理解している、 つまり、「わかる」能力でわかっているのではなく、「経験があって→それでわかる」。 けれど、蝶々を見て、何も考えずに「嬉しい」のは、直感(スピリチュアル的には直感ではありませんが、便宜的に使っています)なので、 この2つは違うのでは? と思う方がおられるかもしれませんが……同じです。 蝶々も、「歓迎のサインと聞いて・知って→それで『嬉しい』となる」わけですから、理屈は同じかな、と思います。 あ、いや、違うんです。 補足したいのはそこではなくて、「感覚」です。 「わかる」パターンには、2通りあります。 あれがああだから、これがこうなのね、と頭で考えてわかるパターンと、 「!」と一瞬でわかるパターンです。 街なかで母親にバッタリ会ったら、見た瞬間に「お母さんだ!」とわかると思います。 これも「!」と、一瞬でわかるパターンです。 毎日見ている顔だからとか、肉親だからという〝理由〟はここでは関係ありません。 「!」と、一瞬でわかるパターンだということを、ご理解いただきたいのです。 というのは、 神社仏閣で、「わかる」能力で「わかったこと」は……と話を進めていく時に、 何も説明しなかったら、え? 「わかる」能力でわかるってどういうこと? と、 そこで「??続きをみる
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