何年か前に出版社の担当者さんと話をしていて、「行きつけの神社ってどうなのでしょう?」と聞かれたことがあります。 当時、私の中で「行きつけ」という単語が付くのは、「飲み屋」か「お店」だったので、発想が面白いな~と思いました。 行きつけの神社仏閣がある……いいですね。 昔で言えば、おじいさんやおばあさんが、村の小さなお堂に毎日手を合わせに行く、という感じでしょうか。 イメージすると、ほのぼの~とします。 このような信仰は神仏に本当に喜んでもらえます。(毎日じゃなくても、週1でも、月1でも、たとえ年に1回でも〝通う〟ということは、真摯な信仰をその神仏に向けている、ということだからです) せっせと通うことで、ご縁をもらえるでしょうし、行くたびにあれこれ話をする、プラス、しょっちゅう自分を見せに行くので、神仏にすべてをわかってもらえます。 体調から人間関係、経済的なこと、ものの考え方まで……すべてです。 このように、自分を熟知してくれている神仏は頼りになります。 さらに、顔見知り状態ですから、神様はもちろん、眷属にも「おぉ、また来たか♪」と参拝を喜ばれます。 続きをみる
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