昨日は八幡宮に参拝したのですが、その境内に立派な稲荷社がありました。 そこには古くから祀られていて、大切にされている、神格の高いお稲荷さんがいました。 しかも境内社のお稲荷さんです。 勧請のお話を聞くと、おとといの説明(前回の記事で書いたお話です。前回の記事は〝稲荷神社〟のお稲荷さんに聞きました)からもう一歩踏み込んだ話をしてくれました。 さびれた神社で、境内社の他の神々がすべて勧請元に帰っても、お稲荷さんだけ残っているのは、やはり「勧請」という「契約」のせいだそうです。 「クサリでしばるようなものだから、それが解けないんですよね?」と、聞いたことを確認すると……。 そのような契約である、ということは、実は、お稲荷さんのほうには最初からわかっている、と言います。 人間のほうはわかっていない者が多いようだが、と、このお稲荷さんは言っていました。 けれど、お稲荷さんのほうは、勧請される前に、全員わかっているのです。 勧請をする人の力量や、勧請の仕方、やり方、それでその勧請がどのようなものになるのかが、変わってくるらしいです。 半永久的に境内社に結びつけられてしまう、という勧請の仕方もあるそうです。 でも、お稲荷さんは「それでもいい」と思って、了承し、そこに行きます。 人間のほうは、詳しくわかっていない人が多いため、ただの勧請をしているとしか思っていません。 ガッチリ半永久的に結びつける、というものもあるのです。 お稲荷さんのほうは勧請される際に、それがちゃんとわかっていて、契約する前に、〝拒否〟することもできるそうです。 けれど「よし、それでもいい、行こう!」というお稲荷さんのほうが多いです。 境内社に入って、自分がそこの神社のために奉仕をしよう、働こう、と思うのですね。 「どうしてでしょうか?」と質問をすると、お稲荷さんという眷属がたくさんいることを言われました。 とても数が続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』