前回、前々回の続きです。 ものすごーくさびれてしまって、参拝者が全然来なくなった神社は、境内社なども壊れているところが多いです。 修理もされず打ち捨てられている……という状況になっているのです。 そのような状態になると(参拝する人もいませんし)、境内社の神々は勧請元に帰ります。 しかし、お稲荷さんだけは残っている……という神社が少なくないのです。 なぜ、お稲荷さんだけは残っているのか、ということを、昨日、参拝者の多いお稲荷さんに聞いてきました。 そのお稲荷さんによりますと……。 勧請は言ってみれば「契約」、一種の「約束」だそうです。 契約をして行くわけです。 その契約はある程度、しばりが強いみたいです。 力がある神様は、自分で帰ることができます。 契約をナシにできるわけです。 そのお稲荷さんが例として言っていたのは、契約はクサリで結ばれるようなものなので、それをパキーンと割れば、帰られるというわけです。 力があればそれができます。 でも、境内社のお稲荷さんはほぼ全員が眷属です。 眷属でも神格が高ければ、クサリをパキーンと割って帰ることができます。 けれど、パキーンと割るほどの力がまだついていない、そういう眷属は、お社が壊れても、参拝者がまったくいなくなっても帰られないのです。 自分で契約を割れないから、いるしかない……のですね。 私は、前々から、境内社には2種類あるな、と思っていました。 「帰りたくても、勧請されているから帰れないんだな」と思うところと、勧請されているというのに帰ってしまって空っぽになっているところがあるのです。 勧請は、「ここにいてくださいね」「はい、いいですよ」ということで、その神様(眷属)をしばる、という契約です。 それをパキーンと割れれば帰れますし、割れなかったら帰れない、のですね。 どうやら、勧請のやり方によって左右されるみたいです。 あ、でも、クサ続きをみる
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