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Channel: 桜井識子オフィシャルブログ「~さくら識日記~」Powered by Ameba
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成田山大阪別院明王院の護摩供

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※前回の記事に追記をしています。 成田山大阪別院明王院にしょっちゅう参拝をされているという方が(古くからの読者さんです)、詳しい情報を下さいました。(読者さん、ありがとうございます!) 明王院の護摩供は、どの時間であっても「祈祷をお願いする人」が1人もいない場合は、護摩を焚くお坊さんのみで読経はないそうです。 しかし、それでも、お火加持は行われるということで、なぜ私の時に行われなかったのかは不明です、と書かれていました。 護摩供で、祈祷をお願いする人が1人でもいたら(私が体験した最終の15時30分も含めすべての護摩供で、です)、その場合は、複数の僧侶が参列し、九條錫杖教、仏説不動教、般若心経、不動慈救呪、諸仏真言などが読経される、そうです。お火加持はもちろん、梵天払いも行われる、とのことです。 つまり、護摩供に参加させてもらっても、祈祷をお願いする人がまったくいなければ、読経はないのですね。 運良く祈祷をお願いする人がいたら、複数のお坊さんによる読経を聞かせていただける、というわけです。 読経を聞くために、自分で祈祷をお願いするという方法もある、ということにもなります。 その方によりますと、 『本堂での最終の護摩のあとの、16時すぎの護摩、祈祷ですが、通常は行われていません。祈祷希望の方がいても、最終の護摩のあとは、通常は翌朝にまわされます』 とのことです。 私が16時半頃に参加させてもらった夕方の勤行(?)では、護続きをみる

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白老八幡神社 ~北海道白老郡~

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質問が山ほどたまっていて、そのお答えを書かねば、と思ってはいるのですが……。 先日、記録ノートを整理してみたら、皆様にご紹介できる神社仏閣で、まだ書いていないところが、67寺社ありました。 毎日書いても2ヶ月かかるほど……たまっています……。 非常にショックだったのは、書こうと思って探した十和田神社の記録がどこにもなかったことです……。 ううう。 たぶん、音声で記録を取り、なんらかのミスでそれを消去してしまったのだと思います。 ノートに記録をする前に……。 自分では記録を終えた、と完全に勘違いをしていました。  十和田神社……遠かったのに~。 十和田神社から少し山を登った境内社に、昔人間だった神様がいて、面白い会話をしたのですが、記録がなければ正しく書けませんから、お蔵入りです。 また行かなくては! と思っています。 きっと、「もう1回来なさい」ということなのでしょう。 面白かった境内社です。 サクサク書かないからこういうことになるのね、と反省しました。 ということで、本日は北海道の神社をご紹介します。 「白老八幡神社」の文字を見て、おじいさんの神様がいるのかな〜、と思って行ってみました。 白老は土地の名前だったんですね〜。 この神社で祝詞を唱えたら、男性の神様が可愛い白ヘビを連れているお姿が見えました。子犬を連れているような感じで立っていたため、ペット? と思いました。 白ヘビは短めで、小さく、男性の神様の横に、ちょこんといます。 そして、神様も白ヘビもとっても機嫌がよくて、ニコニコ、ニコニコしています。 最初に見た時は、イナバの白うさぎの神様かと思いました。しかし、連れているのはヘビだしなぁ、おかしいな〜、と。 神様がその白ヘビを可愛がっている、大切に思っている気持ちがとっても濃いのです。 狛犬の感じが北海道以外とちょっと違うんですね〜。真ん中分けのヘアスタイルみたいです。(今はセンター分けって言うんですね) 可愛いです。 おっと、話がそれてしまいました。そこで神様に質問をしてみました。 「神様? その白ヘビはペットなのでしょうか?」 「違う」 え? 違うの? と思っていたら…… 「弁財天が置いていった」と言うのです。 「???」 意味がわかりません。 詳しく聞くと、弁天さんがここを去る時に、眷属の白ヘビを1体置いていった、というのです。 で、自分がここに来たから(代わりに? と続きをみる

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水木しげるさんのお墓参り

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少し前ですが、水木しげるさんのお墓参りに行ってきました。 水木さんの長年のファンだったというわけではなく、子どもの頃に『ゲゲゲの鬼太郎』を見ていた、というくらいです。(他の作品は『水木しげるの遠野物語』以外は知りませんし、『ゲゲゲの女房』も見ていないです~) ただ、水木さんは妖怪などの見えない世界にたいへん詳しい、偉大な漫画家さんである、ということは知っています。 見えない世界を描く、ということで、売れるまでは批判されることも多かったのだろうな、つらい思いをなさったこともあるに違いない、と思いました。 水木さんが売れる前の頃は、今よりももっと、見えない世界に対して周りの目は厳しかったのではないかと思います。 墓地はお寺の裏側にありました。お墓は、水木さんが生前に建てたそうです。 正面からではわかりませんが、こんなふうにデザインされているんですね。 素敵だな~、と思いました。 水木さんのお好きなキャラクターが端っこなのでしょうか。 うわ続きをみる

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方位・方角

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私がよく聞かれる質問に、「旅行や引っ越しなどで、方位を気にしていますか?」というものがあります。 「良くない方位は避けていますか?」ということも、たまに聞かれます。 方位・方角については、私は、まったく気にしていないです。 旅行は行きたい場所へ行き、引っ越しも良い物件を見つけたら、そこがどの方位にあたるのか、など考えずに、また調べたりもせずに引っ越しています。 引っ越しに関しては「物件」と「土地」が良いか悪いかは気にしますが、方位は〝私の考えでは〟問題にすることではないからです。 では、方位・方角には吉凶はないのか、と言いますと、東西南北という方角自体にはありません。 この方向に行けば宝くじが当たるとか、出世するとか、個人にとって運勢を上げる方角、 逆にそちらの方向に行けば運が落ちる、人生が悪い方向に傾くといった方角は存在しないのです。 しかし、〝その時〟限定で、そちらのほうへ行くと危ない、ということはあります。 「魔」の落とし穴が開いている場合です。 「魔」の落とし穴を避けたり、発見したりするツールはないそうなので、落ちないようにするには、神仏に深いご縁をもらっておくしか方法はありません。 あとは、守護霊と深く繋がっておく、です。 守護霊からの警告は、本人の心にソフトに働きかけるという……非常にわかりにくいものですから、通常は、自分の意思だと思ってしまい、気づかないことが多いです。 しかし、繋がりが強いと、守護霊は警告を警告として、本人の心に響かせることができます。 歩いている先に「魔」の落とし穴があったとして、 「理由はわからないけれど、急にこの道を歩きたくなくなった」とか、 「なんだか、これ以上進みたくない」とか、 不吉な予感、嫌な感情として、本人が警告を感じられるようにできるのです。 しかし、警告をしても、そのような小さな、不吉な予感みたいなものを気にしない性格の人もいます。 繋がり具合で、警告を警告として感じられない人もいます。 そういう時は、守護霊はなんとかして時間をずらすために、うまく本人の心に働きかけます。 たとえば、目の前にあるコンビニを見た時に「あ、そうだ、マスクを買っておこう。ついでにおトイ続きをみる

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盛り塩と神棚のお塩

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以前に、私は盛り塩をおすすめ致しません~、というお話を書きました。(そのお話は→コチラです) その理由は、こまめに替えなければ意味がないからです。 というか、うっかりそのまま放置してしまうと、盛り塩自体が良くないものに変化します。 盛り塩は澱んだ良くない「気」などを吸います。 吸ったあと、それを消すことができないため、溜めたままになるのです。 ですから、日々どんよりとしていって、ほんの数日で禍々しい物体に変わってしまいます。 それはもう塩ではなく、ベタベタのドロドロした物体、まるでヘドロのようなものになってしまうわけです。(見えない世界でのお話です) せっせとこまめに替えれば、澱んだ「気」を吸ってくれるので、盛り塩もいいと思いますが、しかし、幽霊を祓うとか、追い返すとか、そこまでの強い力はありません。 では、同じ塩である、神棚の塩は? こまめに取り替えないと禍々しいものに変わるのでしょうか? という質問をもらったことがあります。 神棚の塩は、神社に比べると小さいながらも〝神域〟にある塩です。 盛り塩とは種類が違います。 物質は同じ塩なのですが、神棚の塩は神様のために神域に置いている塩であり、神様が管理をしています。(若干、ニュアンスが違うのですが、ピッタリの言葉がないので、この表現をしています) こちらは、1日に新しい塩をお供えしたら、次の15日に交換するまで、そのままにしておいてもまったく問題ありません。 悪い「気」を吸ったりしないからです。 手間ではない、という方は、時々交換をすると丁寧なお祀りになりますし、続きをみる

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新刊本に入らなかった 三井寺(園城寺) 〜滋賀県大津市〜

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※ページの都合で新刊本に入らなかった三井寺のご紹介です。 三井寺は7世紀に創建され、9世紀に唐から帰国した智証大師円珍さんによって再興されたそうです。 【俗に「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」と呼ばれていたものを、後に智証大師が、当寺の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来します】 と、もらったリーフレットに書かれていました。 お寺は天台宗なのですが、10世紀頃から比叡山延暦寺の円仁さん派と対立し、抗争が激化して、比叡山の宗徒によって焼き討ちされたことがたびたびあった、とそのような歴史を持つお寺です。 仁王門から入ると、すぐに金堂があります。 この金堂がすごかったです! ご本尊は秘仏ですから見ることはできませんが、ほかの仏様方のパワーがすごいのです。 力がある仏像や由緒ある仏像がたくさん安置されていました。金堂内は入って左からぐるりと一周するようになっています。 中心部の内陣は拝観できないのですが、内陣を囲む壁に沿って仏様が安置されていて、間近で見られるようになっています。 入って最初に目に入るのが大黒天です。 室町時代だったように記憶していますが、私はうろ覚えの大天才ですから、違っているかもしれません。 大黒さんなのに顔が、仁王様? 四天王? というくらい怖く、左手に袋を握っていて、右手には如意棒を持っています。 切り株に見える場所に座ったお姿(半跏坐像)なのですが、床についているほうの足を、タムタムタムタム、と動かして鳴らしていました。 人間だったら、「もしかして、ちょっとイラついてます?」という雰囲気ですが、仏様ですから、人間とは違う感覚なのかもしれません。 ヒマだったら足を鳴らすとか、こっそり鼻歌を歌っていてリズムを取っていたとか、何か理由があるのかな~、と思いましたが、ただ単に、貧乏ゆすりしているだけだったりして……とも思いました。 貧乏ゆすりをしている大黒さん……う~ん、なんだか楽しいです。 目が玉眼なのできっついお顔なのですが、妙に気になる仏像です。 先へ進んでもなんだか気になって戻り、もう十分見たからいいやと、また先へ行っても、やっぱりもう1回見よう、というふうに3〜4回戻って見ました。 去りがたい気持ちにさせる何かがあるのです。  で、まじまじと大黒さんが手にしている如意棒を観察していたら、 「お前も持っているではないか」と、言われました。 「はい、借りているんです。でも、この棒って、別の使い方がありますよね?」 「うむ」 「やっぱりそうなんだ……」 なおもしつこく観察していると、ジロリと見られました。 「自分のものを使え」 それ以上は話をしてくれないので、先へと進みました。 あ〜、でもっ! もうちょっとお話したい! と、またまた戻ったら……。 大黒さんに、「コラコラ」みたいな感じで、伸ばした棒でコンコンと頭を軽く叩かれました。 それがなんだか妙に嬉しかったです。 顔は怖いのですが、ちょっとお茶目なところがあります。 大黒さんの横には、閻魔大王とか、毘沙門天、お地蔵さんなどが並んでいました。 次におすすめなのが、「宝冠釈迦如来坐像」です。 内陣の裏側に座っています。 宝冠と名前についていますが、派手な冠をかぶっているのではありません。 どちらかというと、質素な仏像です。 このお釈迦様はものすごく細い目をしています。 細い目なのに、目の前にいる人物を見て目が動きます。 私が右に行けば右に、左に行けば左に目が動き、その視線を通して仏様の「気」をくれるのです。 「ああ、見てくれてるんだ〜」と思うと、ホッとするような安心するような、実際に心に作用する癒やしもくれます。 光背の火がボーボーと本当に燃えているような、立像の不動明王像もありました。 昔は強かったのだろうな〜、というお不動さんです。 今はどちらかと言うと、優しいお不動さんになっています。 火焔光背が立体的に作られていて、すごいな! と目を見張る、迫力満点の仏像です。 最後の側面エリアには、江戸時代の阿弥陀如来の坐像があります!! おっと、興奮してビックリマークをつけてしまいましたが、この阿弥陀様のお顔が極楽のように美しいのです。 作った仏師はすごいと思います。 このような美しい仏様がいる極楽浄土に行けるんだ〜、と思うと、待ち遠しくなるくらいです、いや、本当に。 優美な整ったお顔って、人を感動させるのだな、と思った仏様です。 ほかにも道が繋がっている仏像があり、それを至近距離で見せてもらえるため、コンタクトがしやすくなっていました続きをみる

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新刊本に入らなかった 談山神社 ~奈良県桜井市~ のご紹介

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※ページの都合で新刊本に入らなかった談山神社をご紹介致します。 いきなりですが、ナビって時々、「なんでここを案内したん? ちょっと説明していただけないかしら?」と、責めたくなることってありませんか?  この談山神社には第5駐車場まであって、合計で普通車が300台まで停められるそうです。 300台も停められる駐車場が正面にあるのに、ですね、ナビはわざわざ狭い道を案内して、社務所の前に誘導しました。 「あれ? 談山神社って小さい神社やったっけ?」と、なんの疑いもなく、社務所前のスペースに車を停めました。 が……。 ほんの3~4台しか停められなかったので、「いや、待て。いくらなんでも狭すぎる」と思い、「ここは関係者専用駐車場かも……」と思いました。 しかし、そのような表示はなく、とりあえずスマホで調べてみようとしたところ、ちょうど神職さんが社務所から出てこられました。 車から降りて聞こうとすると、神職さんは私の車を見ても何も言わず、そのまま普通にどこかへ行かれました。 「あ、やっぱ、駐車場でいいんだな」とそのまま停めさせてもらおうかと思いましたが、どーも、何か、どこかが引っかかるので調べたら……この場所は「車の祓所」だったのでした。 ひ~え~! ごめんなさ~い!  と、慌てて移動しました。 というわけで、皆様、ナビによっては車の祓所に誘導することがあるかもしれませんので、どうかお気をつけ下さい。 境内に入って左側から見ていくと、「蹴鞠(けまり)の庭」があって、その前にあるのが「総社拝殿」です。 その社殿にいたのは「福禄寿」さんでした。 木彫りの3メートルもある立派な木像なのですが、神社に福禄寿というところが……若干違和感を覚えました。 歩いていると、案内板があってそこには、 【談山の名は中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足がこの地で国の将来を語りあったというのが談山の名の興りであります。山内には談山神社の前身である妙楽寺を中心に多数の堂舎が営まれ、今も数多くの貴重な文化財が伝えられています】 と書かれていて、昔はお寺だったことがわかりました。 ああ、それで福禄寿さんがいたんだ~、と納得です。 本殿のご祭神は藤原鎌足公で、社殿が一般の神社とはまったく違う造りとなっています。 鮮やかな彩色が美しい彫刻は見ていて、ため息が出るほど美しいです。(日光東照宮造営の際のお手本となったことでも有名です、とリーフレットに書かれていました) 向かいに建てられている拝殿は、ご自由にどうぞ、ということで、せっかくなので上がらせてもらうと、中は予想に反して畳敷きとなっており、広いです。 朱の柱がいい雰囲気を醸し出しています。 拝殿裏側の簀子縁に下げられた灯籠も風情がありますし、眺望も素晴らしいので、ここでぼ~っと時間を過ごしました。 歴史的絵巻が展示されていたり、御神饌のコーナーがあったりして、それを拝見するのも楽しいです。 ありがたい拝殿だな~、と強く思ったのは、本殿の正面に「座って」手を合わせられるというところです。 神社で、座って参拝できるところはなかなかありません。 参拝者は私1人だったので、思いっきり祝詞を声に出してご挨拶をすると、神様が出て来られました。 が、足の部分しか見えません。 ぷっくりと膨らんだ袴を履いています。 あれ? 鎌足公とは時代が違うんじゃない? と思いました。 天智天皇の時代は、ズボンの裾がシャララ~ンとやや広がり気味の、昔のトレパンのようなズボンだったはず……そんなにぷっくりした袴ではないような……? と思いました。 話しかけても神様は答えてくれません。 全然話をしない神様なのです。 どうやら私を観察している様子です。 こういう場合は焦って話しかけても意味がないので、拝殿を出て十三重塔を見学しました。 それから境内社である「比叡神社」へ行きました。 そのエリアには、「談(かたらい)山 これより290M 徒歩約10分」の案内があります。 たった10分登るだけでいいのなら行ってみよう、と登りましたが、道が……歩きにくかったです。 台風の被害だと思うのですが、倒木が道をふさいでいましたし、葉っぱの茂っている枝がばっさりと落ちていたりしました。 途中で崩落しているところもありました。 中大兄皇子と鎌足公がはかりごとをした場所……という伝承ですが、後づけではないでしょうか、という続きをみる

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清め塩・清め砂の有効期限

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まずは、晴明さんの呪詛・悪念返しの砂の使い方について質問がありましたので、そちらを先に書きます。 ・砂を撒く順番はどうなっていますか? 決まっていませんので、どこから撒いてもかまいません。 ・階段はどこで撒けばいいのでしょうか? 階段もどこで撒いてもオーケーです。 階段が玄関にある、というお宅は、玄関と階段は同じ空間なので、玄関に撒けばそれで問題ありません。 その階段が途中から曲がっている、という場合は、そこから空間が別ですから、階段の上で撒いたほうがいいです。 要は、ひとつの空間で最低1回は撒く、ということです。 もしも、階段の入口にドアや扉がついていれば、別の空間になります。 1回も閉めたことがないという場合でも、閉めれば別の空間になるところは、別の空間だとお考え下さい。 ・京都まで遠いので、失敗した時のために2つ買いました。2つ目の砂はいつまで使えますか? 一般的な有効期限と同じです。 *~*~*~*~*~*~*~*~ というわけで、そもそも神社仏閣で購入した清め塩、清め砂はいつまで使えるのか、というお話です。 これには波動の問題があります。 まず、お守りですが、半年程度で波動が抜けてしまいます。 おふだはもっと強力に波動が入っていますから、1年ほどもちます。 この2つは、神社仏閣で購入して、自分のものとなったところから、波動を放っています。 それでは清め塩・清め砂の場合は、どうなのでしょうか。 ここからが難しいところですが、清め塩・清め砂は、お守り・おふだとは、用途が違います。 この2つは、悪いものを〝祓う〟ためものです。 ですから、お守りやおふだのような、常時波動を放つもの、となっていないのです。 神仏がそのように設定をしています。 購入して自分のものとなった時点でも、家に持って帰っても、まだ波動は放っておりません。 「使おう!」と決めて、直接入っている〝ビニール袋〟を破った(開封した)ところで、波動を放ち始めるように設定されているのです。 波動を放ち始めるのは、紙袋ではなく、お塩が直接入っているビニール袋のほうです。このようなビニール袋の場合は「開けたところから」波動が放出されます。 こちらは封を切ったところからになります。 この砂は、中のビニール袋と外側の紙袋が、一緒にホッチキスで閉じられていました。紙袋を開封すると同時に中のビニールも開けてしまいます。 このように、上部が二重のままで折りたたまれて、ホッチキス止めしてあるものもあります。ですから、初めて購入して中がよくわからない、というものは、使用するまでは、外側の紙袋も開けないほうがいいと思います。 繰り返しますが、「使おう」と決めて、お塩や砂が直接入っているビニール袋を破った(開封した)ところから、波動は放出されるわけです。 これはそのように神仏が……言葉は悪いのですが、術をかけたようなものだとお考え下さい。 お塩や砂が直接入っているビニール袋を開けると、まず、神仏の波動がバーンと強く放出されます。 最初の一撃で撃退するイメージです。 そこから、しばらくは逃げた悪いものが戻ってこないよう、万が一戻ってきてもや続きをみる

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フランスの明るいお墓

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フランスの地方都市……といっても、かなり田舎のほうですが、その町にあった墓地です。日本みたいに通路が狭くないんですね。 広々としていました。 彫刻が置かれています。素敵ですね~。 こちらはお花がいっぱいです。 フランスは……あ、もしかしたら、この町だけかもしれませんが、墓石の上に、お花や飾り物などを置くのですね。 華やかな良い雰囲気です。墓地とは思えませんでした。 お墓に暗さがまったくありませんし、見せてもらうのが楽しかったです。 写真を飾るのは普通みたいです。雨が降っても大丈夫、というものが飾られています。 可愛らしいおうちの玄関みたいだと思いました。ウエルカム感があります。 こちらは、生け花っぽくていいな~、と思いました。 シンプルなものも素朴で憧れます。私の理想はじかに埋めてもらうことです。 晴れやかな感じすらします。こういう墓地に眠りたいな~と思いました。 おぉ~、お花がたくさん! 墓石の上には天使の彫刻があります。ちなみに右下のモザイクは私の影がくっ続きをみる

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お墓参りとシキミ(樒)

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お墓参りに持って行く植物は地方によって違うと思いますし、宗派によっても違うと思います。 私の両親の故郷では、お墓にはシキミを持って行きます。 父方のお墓と母方のお墓は、距離的にはかなり離れていますが、どちらの墓地でもお花はほぼ見かけません。 地域的に、墓前にはシキミをお供えする、となっていて、お店もシキミをたくさん置いています。 シキミとはどのような植物かと言いますと、ぱっと見は榊に似ています。 榊立てに入れた榊の葉はシャンと立っているのに対し、シキミはシナッとしている感じです。 このような葉っぱです。NHK出版さんの「みんなの趣味の園芸」というサイトから写真をお借りしています。https://www.shuminoengei.jp/m-pc/a-page_p_detail/target_plant_code-903シキミの詳しい説明はこちら ↑ でどうぞ。 どうしてこのような質素な植物が墓前に? と、シキミに馴染みがない方は疑問に思われるのではないでしょうか。 ご存知の方も多いと思いますが、密教ではシキミが使われます。 というのは、日本では青蓮華(しょうれんげ)という、仏様の目にたとえられる植物(経典にもよく出てくるそうです)が手に入らなかったので、空海さんが密教修法を行なう時に、シキミで代用をしたそうです。 それで仏花となったらしい続きをみる

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仏壇・お墓参りとお花

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前回のお話で、シキミをお供えする意味をお伝えしました。 高野山にあるお墓は、半数以上にコウヤマキ(高野槙)がお供えされています。 あちこちの花筒にさしてあったので、お坊さんがお供えしてるのかな、と思いました。 高野山内で育ったコウヤマキだったら、空海さんの境内で大きくなった植物です。 空海さんの波動を、わずかではありますが身にまとっていますから、場の波動を上げてくれます。 高野山にあるお墓はすでに空海さんの境内なので、コウヤマキをお供えをしても場の波動は変わりませんが、高野山ではない一般のお墓にお供えをすると、波動が少し上がります。 よって、故人が良い状態になります。 高野山にお出かけされた際は、ご先祖様のためにコウヤマキを買って帰るのもいいと思います。 私にとって、お墓のイメージはシキミですが、仏壇は「小菊」です。 小菊は茎や葉っぱの量に比べ、花が小さいので質素というか、なんだか寂しいという印象でした。 私が子どもの頃は、仏壇用に売られていたのは小菊の束しかありませんでしたから、どこの家に行っても小菊が普通でした。(地域によるかもしれません) 今はいろんなお花が使われているので、華やかなお花の仏壇を見ると「あ〜、よかった」とホッとします。 さて、このお花ですが、実はお花は、シキミのような「葉っぱ」や、コウヤマキのような「枝」にはない、〝供養パワー〟を持っています。 お花だけが持つ、パワーです。 人は亡くなって成仏をすると、そこがスタートとなって、霊的レベルが徐々に上がっていきます。 レベルが上がって、次の世界と言いますか、次のステップと言いますか、次へ、また次へ、と進むようになっています。 その上昇途中にいる故人を、お花は供養パワーでお手伝いをする、そっと背中を支えてあげる、みたいなサポートをします。 その力は、年忌供養やお坊さんの読経ほど、大きくてハッキリとした、強いものではありません。 また、写経ほど濃いものでもありません。 しかし、ほんわかとした、優し〜く癒やす供養パワーなので、もらった故人はとてもリラックスできます。 お墓でも仏壇でも、生花続きをみる

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地域限定商品

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初めて北海道に行った時に、空港で見つけました。 「北海道とうきび茶」です。 へぇ~、とうもろこしのお茶があるんだ~、ちょっと飲んでみようかな、と軽く買って以来、大ファンです。 これが、もう本当に美味しくて、箱買いでお取り寄せしています。 ぐびぐび飲むともったいないので、リラックスしたい時に、ジップロックに入れたスマホととうきび茶を1本持ってお風呂に入っています。 中でのんびり、外国のドラマや映画などを見つつ、美味しいお茶を飲むのが、私の自宅でのリフレッシュ方法です。 麦茶が薄いな~と感じる時や、今はちょっと緑茶を飲むと胃が痛いという時にも飲んでいます。 いつでも「とうきび茶」が手に入る北海道の方、いいですね、羨ましいです。 こちらは、先月鹿児島に行って、なんとなくお土産に買った「塩豆かるかん」です。 続きをみる

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本陣狸大明神社 ~北海道札幌市~

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去年、札幌市にある「本陣狸大明神社」というところに行きました。 珍しいな~と思ったので、ちょっとご紹介致します。 名前に惹かれて行ってみると……。 すごくコンパクトにまとめられていました。素敵なアート作品を見ているようです。 狸の像がご神体となっていました。 あ、何か奥に書かれています。 どこをさわればごりやくがもらえるのか、が書かれています。びんずるさん的なご神体なのですね。 自販機と比較するとコンパクト具合がおわかりいただけるかと思います。 このようにウインズの横にあります。馬券を買う人の願続きをみる

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死にゆく人への言葉

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このブログについて、ちゃんとお断りをしておいたほうがいいのかな? と思ったので、ちょっと書いておきますね。 スピリチュアルな内容が主となっているブログですが、たま~に日記的なことを書くこともあります。 取材の報告とか、元夫や息子のお話とか、オシャレなランチとか(これはいまだに達成できておりませんが)、いろんなことを書きたくて、タイトルを「ひっそりとスピリチュアルしています」から「さくら識日記」に変更しました。(ええ、そうなんです、一応〝日記〟なんですよ~) ですので、そのようなコンセプトのブログなのね~、と思っていただけるとありがたいです。 スピリチュアルではない記事もたまにあります。 *~*~*~*~*~*~*~*~ 「亡くなられる方を目の前にして、その方に、して差し上げられることは……何かあるのでしょうか?」という質問をいただきました。 医療関係者の方からです。 目の前で、亡くなっていく方を、ただ見ていることしかできないのだろうか……と苦悩されているご様子でした。 同じような悩みは介護職の方にも、看取りをするご家族の方にもあると思います。 いよいよという時、たとえば1日中、じっとそばでただ見守るしかできないのだろうか、という苦悩ですね。 人間はもうすぐあちらの世界に帰る、となると、体から魂が時々抜けます。 体から抜けて、親しかった人にお別れを言いに行ったり、お世話になった人に最後のご挨拶をしに行ったりします。 そのような状態にまでなると、体は眠っていても、意識がなくても、魂は肉体に話しかけられた言葉を聞いています。 しっかり理解しているのです。 認知症の方も、脳の働きと魂は別ですから、話しかけられたことは正しく理解しています。 亡くなりゆく方には、優しく耳もとでお話をしてあげるといいです。 お礼を言うことは、それはそれでとても大切です。 しかし、亡くなりゆく方には魂に話しかけているので、1回言えば本人の心にちゃんと届きます。 あちらの世界に帰ろうとしている魂は、たとえ1回きりでも、大事なことを言われれば、決して忘れたりしません。 繰り返し繰り返ししつこく言わなくても大丈夫なのですね。 私がご提案したいのは、あちらの世界に帰ろうとしている本人が、穏やかになる、安心できる、そういう言葉をかけてあげることです。 それが一番喜ばれます。 無宗教の人や、死後の世界はないと思っている人は、まだ亡くなっていませんから、意識は元気だった時のままです。 亡くなりつつある自分の状況がわかりません。 体が2つある(ように見える)、その状態を恐怖に感じている人や、わけがわからなくてパニックになっている人も中にはいます。 肉体は目をつぶって静かに横たわったままですから、見た目は静かに逝こうとしているように見えます。 しかし、〝魂の本人〟は、亡くなることをとても怖がっていて、周囲の人に抱きついたり、魂が体から抜けていることでパニックになってあちこち歩き回ったり、誰かれかまわず話かけ続きをみる

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「泳ぐ」龍

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日本全国のいろんな場所で、いろんな龍と出会います。 「龍」というと緑色で、こんな感じで……というふうに、どなたにもその方なりのイメージがあると思います。 そこでちょっと龍について書いてみたいと思います。 龍は大空を泳いでいます。 泳いでいるのは「空」ですから、正しい日本語で言えば、「飛んでいる」です。 しかし、この「飛ぶ」という表現が、実際に空を移動している龍を見ると、ものすごーく違和感を覚えます。(あ、でも時々、「飛ぶ」と正しく書いていますが) 飛行機が「飛ぶ」、 鳥が「飛ぶ」、 のとは明らかに違っています。 動作を見るかぎり、龍のいる場所が空とは思えないのです。 つまり、龍は海中を泳ぐようにして、移動をします。 どんな感じかと言いますと、クジラやマンタのよ続きをみる

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龍の音の違い

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前回の記事の冒頭に、「日本全国のいろんな場所で、いろんな龍と出会います」と書きました。 その続きです。 龍は、前回ご紹介したように、ゆったりのびのびと泳ぎます。 でも、静か~に、無音で泳いでいるのではなくて、しゅるる~ん、しゅるる~ん、というような音を出しています。 見えない世界の空間を震わせる音と言いますか、龍自身の音と言いますか、表現が難しいのですが、そんな感じの音です。 しゅるる~ん、しゅるる~ん、という軽い音が一番多いです。 しゅるるるるーっ、というパターンもあります。 で、ちょっとスピードを出している時は、ひゅーん、ひゅーん、という感じです。(みんながみんな、このパターンではなく、中には変わった音もありますが、これが一般的です) さて、そこで、少し前に、取材に行って見た龍のお話です。 ごく普通の緑色だったのですが、巨大な龍でした。 しかし、大きい龍というのも、全国あちこちをまわっていれば、それなりにいます。 その神社の龍は、祝続きをみる

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びんずるさん

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ちょっと前になりますが、「びんずる」さんってなんですか? というご質問をいただきました。 あちこちのお寺によく行く、という方にはおなじみのびんずるさんですが、私も数年前まで知りませんでした。 多くのお寺を訪れるようになって知り、最近では見かけると「あ〜、びんずるさんだ〜。こんにちは〜  」と親しみを持ってお声をおかけしています。 びんずるさんは、「賓頭盧」という難しいお名前で、お釈迦様のご弟子さんだそうです。 神通力を軽々しく使ったとかで、お釈迦様に叱られてしまい、衆生の救済を命じられたらしいです。 日本では、撫で仏として、お堂の入口に安置されていることが多く、(お堂の中に安置されているお寺もあります) 自分の体の悪いところと同じところを、撫でさせてもらいます。 膝が痛かったらびんずるさんのお膝を、内臓が弱かったらびんするさんのお腹をさわらせてもらうと、病気が良くなる、ということになっています。 一生懸命に願掛けをするとかそういう雰囲気ではなく、ア続きをみる

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サクレ・クール寺院 ~教会の外で待つ大天狗さんとお稲荷さん~

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パリのモンマルトルの丘にあるサクレ・クール寺院でのお話です。 フランスはマリアさんをおもに信仰している教会が多く、マリアさんの像が祭壇の中心にあったり、ドームの内部にマリアさんの絵が大きく描かれていたりします。 そんな教会が多いなか、サクレ・クール寺院はキリストの絵がドームの内側にとても大きく描かれていました。 この教会に行ったのは、旅も終わりに近い頃でした。 私の海外旅行は個人の一人旅ですから、旅の終盤になると結構、疲れています。 言葉で苦労をするし、レンタカーは緊張しっぱなしでの運転だし、日本も恋しいし……そんな気分で、この教会に行きました。 椅子に座って、キリストにご挨拶をしてお呼びすると、キリストは上から静かに降りて来られました。 私のほうは疲れていますから、何か質問をしようとか、会話をしようという気力がなく、ただただキリストのお姿をぼーっと見ていました。 キリストの愛のエネルギーは、やっぱりものすごい力を持っていて、どんどん愛の癒しで自分が満たされていくのを感じました。 あたたかく優しい愛にくるまれていると、心地よく眠くなります。 マックスにまで充電してもらったら、温泉に入ったあとのような、ほっこり、ほかほかとした、心身ともにあたたかい感じ、満足感でいっぱいになりました。 教会に入った時とはまったく違う、「あ~、幸せ~」みたいな気持ちになれたのです。 しんどさも寂しさも疲れも、そういうものが全部癒されて消えていました。 そこから先は気分がスッキリ爽やか、晴れやかになり、ラクになりました。 このサクレ・クール寺院で「へぇぇぇー!」と思ったのは、大天狗さんとお稲荷さんです。 フランスには、日本から大天狗さん(大山阿夫利神社の眷属です)とお稲荷さんがついて来てくれていました。 この教会でなにげに、ふと、大天狗さんとお稲荷さんは……どこにいるのだろう?  と見ると……なんと、おふた方は、教会の外で待っていました! 大天狗さんは入口のところで、大きなお姿のままで腕組みをしており、お稲荷さんも少し大きいお姿で凛としたポーズでカッコよく座っていました。 中には入らないんだ~  と知りました。 違う宗教の教会だから遠慮したのでは? と思うのは人間の心理で、神仏は変な遠慮はしません。 なにが一番の理由かと言いますと、大天狗さんもお稲荷さんも、私の〝キリストへの信仰〟を邪魔しないように、という配慮なのです。 「思う存分、キリストを信仰してこい。ここで待っている」という感じでしょうか。 神仏はこのように大変心が広いです。 信仰に浮気はない、ということを、ずっと書いてきましたが、こういうことなのですね。 キリストのほうも、「外に大天狗と稲荷を待たせているではないか。違う神を信仰するとはけしからん。私の愛はお前には与えられない」などと、せせこましいことは絶対に言いません。 信仰は自由である、そして、いくつ持ってもいい、ということを神仏ならどなたも知っておられます。 そこに嫉妬とか、気分を害するとか、そういうことは一切ないのですね。 神仏はそのような低い感情を持っていません。 私の信仰の自由を尊重するために、思いっきりキリストを信仰できるように、教会の外で待ってくれた大天狗さんとお稲荷さんに、心から感謝をしました。 モンマ続きをみる

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龍を見たい方へのアドバイス

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龍は自由気ままに、あちこちの空を泳いでいます。 神社仏閣の上空(神域)ばかりとは限らず、好きなところに気の向くままに行きますから、住宅地のすぐ上を泳いでいることもあります。 龍を見たいという方は、まず気配というか、龍の波動に気づくところから始めるといいかもしれません。 なんとなく気配がわかれば、近くにいるわけですから、「どこ?」と、探す、見る練習ができます。 いるのかいないのか、よくわからない状態で探すのは効率が悪いように思います。 まずは、「今、そばにいるなぁ」とわかるところからです。 その訓練として、雲の形を注意深く見ることをおすすめします。 その理由は、龍みずから雲を自分の形に作って、存在を知らせていることがあるからです。 また、龍自身が意図しなくても、自然界のものに姿が浮き出てしまうこともありますから、雲を手掛かりにするといいです。 「あの雲、龍っぽい~」という場合は、本当にそばにいる可能性が極めて高いです。 龍の形だけではなくて、通常では見ないような変わった雲が現れることもあります。 龍は高波動を放ちながら泳ぐため、その龍の波動が雲に影響を与えるのです。 そのような変わった雲や、龍の形の雲を見つけたら、携帯やスマホで撮影しておきます。 あとからその写真を見ることで、魂が、空(龍)の高波動を思い出します。 何回か重ねていくと、なんとなく波動や気配がわかってくると思います。 余談ですが、「こぐま座」の方は、今年は龍の波動がとても大事になりますから、時続きをみる

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3つのQ&A

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興福寺の東金堂の薬師如来さんはごりやくに光線を下さる、というお話を最新刊に書きました。 「その光線は、複数の人数分をお持ち帰りすることができますか?」という質問をいただきました。 たとえば、お父さんもお母さんも体の具合が悪くて何とかしてあげたい、でもペットのワンちゃんも病気なので、こちらも何とかしてあげたい……という場合ですね。 この場合、私だったら3回行くかな~、と思います。 薬師如来さんに「お父さんとお母さんとワンちゃんの、3人分の光線を下さい」とは言いづらいからです。 さらに詳しく言いますと、光線は「なんでもオーケーパワー」ではなくて、お父さんの病気用の光線だったら、お父さんにしか効きません。 一生懸命にお願いをして、本に書いているように光線を浴びやすいよう工夫をし、真言も唱え、お父さん用に光線をたくさんいただいたとします。 それを背負って帰宅してみたら、ワンちゃんの容体が深刻なものになっていた、お父さんよりも先にワンちゃんを助けなければ! と、もらった光線をワンちゃんに……と思っても、種類が違うのですね。 薬師如来さんが与えてくれた光線は、願掛けにそったもので、お父さん専用です。 願掛けで「お父さんの肝臓が悪くて、検査の数値が良くないんです。顔色も悪くて、ああでこうで……」と、具体的なお話をしていると思いますが、それを聞いた薬師如来さんが、その肝臓に効く光線をくれるわけです。 ですので、3人分いただきたいなぁと思われたら、3回通うことをおすすめ致します。 同じような質問(ではないような気もするのですが、思い出したのでついでに書きます)を、ずいぶん前にいただきました。 お寺に行ってそこで真言をもらった男性からです。 「帰宅して、この真言を妻や娘にあげることはできますか? 分かち合うことはできますか?」というものです。 残念ですが真言は、僧侶ではない一般人からは与えられない、伝えられないのですね。 さらに真言は、「本人」が「直接授かるもの」となっています。 ですから、奥さんや娘さんは、それぞれご自分でもらうしか方法がないのです。 「積極的にお寺に行かないんですよ~」という場合は、お坊さんが真言を唱えたCDでもいただけ続きをみる

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