※前回の続きです。 「あの世で、あの人に会いたいな~」と思う人が、どなたにもいらっしゃるのではないかと思います。 私は現時点では祖父母に会いたいです。 私が亡くなるのは20年後あたりだと、自分ではそう思っているのですが、両親はその前に亡くなると思います。 なので、私が死ぬ時には、「両親にも会いたいな~」と思っていると思います。 あちらの世界に帰ったら、会いたい人とはちゃんと会えます。 あの世ではいくつかの進路があるのですが、その中で「神様修行を選んだ人」だけには会うことが難しいです。 存在する世界が違うからです。 たとえば……私の祖父が神様修行を選んでいるとします。 私が亡くなって、ウキウキと再会の場に行っても、祖父だけはいません。 世界が違うため、来られないのです。 ついでに言えば、私が死んだことも知らないはずです。 世界が違うせいで、です。 祖父が一生懸命に修行を頑張っていることを思えば、悲しいとか、会えなくて残念とか、そういう気持ちにはなりません。 「そうか、じいちゃんは神様になるのか~」と、心から応援する気持ちになります。 立派な神様になれたらいいな、多くの人を救う神様になったら素晴らしいな、と思います。 で、私は私であちらの世界で過ごし、最終的に自分の進路を決めなければなりません。 死後の世界はいろいろとあるのですが、そこはちょっと省略して……私がまた転生することを決めたとします。 よし、今度は男性で生まれよう、と違う性別にして、地上に降りて行きます。 男性として生まれ変わった私が、大人になって、とある神社に立ち寄ったら…… そこに祖父が見習いとして、または眷属として、いるわけです。 男性に生まれ変わっている私の脳では、祖父のことがわかりませんが、魂は大感激をします。 「じいちゃーん! 会いたかったー!」と、魂は大号泣をするのです。 祖父も「識子じゃないか! よう来てくれた」と涙を流して喜びます。 しつこいですが、生まれ変わった男性である私の脳に、この祖父の記憶はありません。 識子という人物だった記憶もありません。 けれど魂は自分が誰だったのか、時を超えて覚えています。 ですから魂はものすごーく感動をしています。 このように、神様修行に入った人とはあちらの世界では会えませんが、次の人生で、地上で会うことができるのです。 生まれ変わった本人にはわからないのですが、魂は大感動していますから、涙が出るとか、ものすごくその神社が好き! というふうに感じています。 この再会は、ここでは魂でしか感じていませんが、生まれ変わった男性の私が死んで、あちらの世界に戻ると、すべてがはっきりとわかる(見える)のです。 「うわ続きをみる
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