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(^-^)
新刊本の発売は明日の予定ですが、なんだか早まっているみたいです。
出版社さんがゴールデンウィークのお休みで、状況がよくわからないのですが、本が届きましたというメッセージを読者の方からたくさんいただきました。
ありがとうございます。
今回の本は、今までとちょっと雰囲気が違う感じで書いてみましたので、よかったら読んでもらえると嬉しいです。
神様、仏様だけでなく、見えない世界のいろいろも書いています。
私のブログや本を読んだことがないという人にもわかりやすく・・・ということで、ブログと少し重なる部分もありますが、書き下ろしですので、新しいお話も満載です。
せっせと頑張って上げている霊格を保つコツとか、過去世のトラウマを手放す方法とか、嫌なことがあった時の気持ちの持ち方とか、介護のお話から学ぶこととか、バラエティに富んだ内容となっています。
私が書いたものを初めて読む、という方にも、神仏の素晴らしさ・ありがたさがわかってもらえるよう頑張って書きました。
幸せになるひっそりスピリチュアル作法 ¥ 1,512
よろしくお願い致します。
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以前に、吉備津彦神社という岡山県にある素晴らしい神社を紹介しました。
その時 「岡山県民として嬉しいです」 とか 「岡山県民、大喜びです」 とか 〝岡山県民〟 という言葉が入ったメッセージを多くもらいました。
他の都道府県ではそんなことがなかったので、岡山の方はみんなお友だち感覚なんだなぁ、という印象を受けました。
和気あいあいというか、ほのぼのとした連帯感というか、なんだかすごく素敵だなぁと思いました。
その岡山に 「鬼ノ城」 という史跡があります。
Wikipediaによると、
663年(天智天皇2年)の白村江の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。
『日本書紀』などには西日本の要所に大野城など12の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測される。
しかし、どの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。
当地には温羅と呼ばれる鬼が住んでいたという伝承が残っている。
それによると温羅は当地を拠点とし、討伐に赴いた吉備津彦命と戦って敗北したのち、吉備津神社の御釜殿の下に埋められたという。
と、書かれています。
温羅は桃太郎の鬼のモデルとも言われていて、そこに興味を持った私は、温羅が住んでいたという鬼ノ城にも行ってみたのでした。
ナビで案内された駐車場から山を登って行くと、西門に着きました。
最初の印象は、景色が素晴らしい! です。
高度があって見晴らしがよく、風が通り抜けていくので、とても気持ちがいいのです。
古代風の建物が復元されているので、雰囲気もいいです。
私が訪れた時、カップルと家族連れが1組ずついて、楽しそうに散策していました。
とりあえず景色を楽しみ、気分爽快になったところで、温羅に関することを探ることにしました。
この山には残っている念がたくさんあって、それらの時代が複雑に交錯していました。
ですので、非常にわかりにくい状態です。
こんなにたくさんの念が今も残っているということは、そのような作用が働く土地なのだと思いました。
そこで 「礎石建物群」 という、石の遺構が残っている場所に行ってみました。
これが山のど真ん中で、入口の西門から結構距離があって、かなり歩きました。
行ってみると、そこは山の奥深くで、女性や走りまわる男の子が見えました。(あちらの世界です)
出土遺物は7世紀~8世紀ものがほとんどだと説明されていますが、その山はもっと・・・はるか昔から人が住んでいたようです。
見えたのは時代をだいぶん遡った感じの人たちでした。
安全のため、山の真ん中にかくまうようにして、女性と子供はそこに居させたようです。
男たちはよく働いています。
顔を見たら、ゴツゴツしたゴリラのような・・・眉のあたりの骨が突出したような顔つきです。
もちろん女性もそういう顔立ちです。
縄文人? なのでしょうか? 色も浅黒いです。
そして長老と思われる人は、顔に刺青をしています。
この人が私の真正面に顔をぬっと突き出してきて、思わず悲鳴をあげそうになりました。
この一族は里から追われて、この山に定住したみたいでした。
男の1人が 「ここは自分たちの山なのに・・・」 と強く思っています。
その念が強烈に、もう本当に激しく強いのです。
「俺たちの山なのに・・・」 「俺たちの・・・なのに・・・」 と、所有権を主張しています。
そこには、恨みとか悔しいとかいう感情はなく、ひたすら悲しい気持ちが漂っています。
自分たちが一生懸命作った居住区なのに、という感情です。
悲しみの深さから言って、弥生人? か、渡来人? にこの山を取られたのか、追われたのか、滅ぼされたのではないかと思います。
悲しみの念が非常に強くて、かなりダメージ的な影響を受けてしまいました。
さっさと帰ろうと思うのですが、山の真ん中まで入り込んでいたため、出るにも時間がかかります。
長くいればいるほど鮮明に見えてきて、そのあたりを走ったり、石を運んだりする男性があちこちに見えました。
うわー、これは本格的にやばい、早く抜けないと! と必死で歩きました。
最後はしんどいなどと言ってられず、体力の限界まで走りました。
山を下りて車に乗り、その場を離れてからも、当分の間、悲しくて悲しくて、沈鬱な気分を引きずりました。
自分たちが少数民族なのが悲しい・・・という気持ちが消えませんでした。
女性は愛おしいし、走り回る子供は可愛い、ずっとこの山で里には降りなくていいから、静かに細々と暮らしたい、と私が私の感情で、強く思っているのです。
悲しい悲しい、悲しくて苦しい、助けてー、という心境です。
その感情が抜けるまで、かなり長い時間がかかり、ものすごくしんどかったので、鬼ノ城で波長を合わせたことを後悔しました。
鬼ノ城は風光明媚な所ですが、太古の昔に意識の焦点を合わせると、私が見た時代に繋がる可能性があります。
霊感がある方、そういうものの影響を受けやすい方は、現代から意識を離さないよう、お気をつけられたほうがいいと思います。
これは鬼ノ城に限らず、悲しい過去があるという場所、凄惨な出来事があった場所はみんなそうです。
過去の 「その時」 に思いをはせると、つながってしまうことがあるので注意が必要です。
意識を 「その時」 に合わせなければ、問題はないのですが、気づかないうちに影響を受けている場合もありますので、おかしいと思ったらその 「場」 から去ったほうがいいです。
この時の男の人は、幽霊として現代の空間にいるのではありませんから、憑かれることはないです。
私が自分の意識を、過去のその時につなげている・・・言い換えれば、意識を過去に持っていっている、そんな感じです。
つながっていますので、強烈に低い負の波動のダメージを受けてしまうのです。
ですが、憑かれているわけではありませんので、その場を離れると時間とともに薄れていきます。
自分はもしかしたら霊感体質かも? という方は、こういうことがあることを知っておいた方がよいかと思います。
ちなみに、温羅のことはわからずじまいでしたが、リベンジする勇気はありません~
西門の手前です。
古代の復元建物の写真を撮り忘れていたので、ムービーから静止画として抜き出しました。
景色の良さとこの建物が、いい雰囲気を出しています。
だいぶん奥に入ったところです。
こんな感じで平らな部分が広いのですが、古代はもうちょっと狭かったようです。
この写真を撮ってから、強烈に感じ始めたので一目散にこの場所から離れました。必死で戻っていると、谷になったような所に小さな水路があって、そこではタイムワープしたみたいに何人も見えました・・・久しぶりに本気で怖かったです。
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