全国にはいろんな神社があります。 摂社末社がたくさんある神社、逆にひとつもない神社、神仏習合時代の名残りがある神社、修験道の要素を持つ神社など、境内の雰囲気はさまざまです。 そこで今日は、摂社末社(境内社)について、ちょっと気づいたことを書いてみようと思います。 境内社に、手を合わせるかどうかは本人の自由です。 必ず手を合わせなければいけない、という決まりはないので、スルーしてもまったく問題ありません。 「スルーしたら悪いかも?」「失礼かも?」という気遣いはしなくても大丈夫です。 私はよほど気になった境内社でない限り、豪快にすっ飛ばしています。 本殿でご挨拶をすれば、境内社の神様(眷属)にも、そのご挨拶はちゃんと届いていますし、境内社にいる神様(眷属)は摂社末社という立場をよくご存じですから、スルーされても失礼だとは思わないのですね。 境内社の中には、境内にありながら、見えない世界では独立した形になっているところがあります。 そのような境内社がある神社は、境内の中に別の神社がある、といった感じになります。 そうではないごく普通の境内社は、メインの神様を補佐していて、参拝者の願掛けを叶えることに力を貸しています。 境内社でも立派な社殿のところがあったり、こじんまりしたお社だったり、祠だったりしますが、その全部のお社や祠に神様(眷属)が入っているのかと言うと……そうではありません。 空っぽの境内社も意外と多いのです。 神社の中にあるお社・祠ですが、全部に入っているわけではないのですね。 さて、そこで、私が全国の神社をあちこち参拝して気づいたことをお話しますと……。 「お稲荷さん」は、ほぼ全部に入っている、と言ってもいいかと思います。(まれ~~~~~に、入っていないところがあったりもしますが、入っていないほうが珍しいです) どこに行っても、少しさびれた神社でも、たとえ荒れ続きをみる
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