※ページの都合で新刊本に入らなかった談山神社をご紹介致します。 いきなりですが、ナビって時々、「なんでここを案内したん? ちょっと説明していただけないかしら?」と、責めたくなることってありませんか? この談山神社には第5駐車場まであって、合計で普通車が300台まで停められるそうです。 300台も停められる駐車場が正面にあるのに、ですね、ナビはわざわざ狭い道を案内して、社務所の前に誘導しました。 「あれ? 談山神社って小さい神社やったっけ?」と、なんの疑いもなく、社務所前のスペースに車を停めました。 が……。 ほんの3~4台しか停められなかったので、「いや、待て。いくらなんでも狭すぎる」と思い、「ここは関係者専用駐車場かも……」と思いました。 しかし、そのような表示はなく、とりあえずスマホで調べてみようとしたところ、ちょうど神職さんが社務所から出てこられました。 車から降りて聞こうとすると、神職さんは私の車を見ても何も言わず、そのまま普通にどこかへ行かれました。 「あ、やっぱ、駐車場でいいんだな」とそのまま停めさせてもらおうかと思いましたが、どーも、何か、どこかが引っかかるので調べたら……この場所は「車の祓所」だったのでした。 ひ~え~! ごめんなさ~い! と、慌てて移動しました。 というわけで、皆様、ナビによっては車の祓所に誘導することがあるかもしれませんので、どうかお気をつけ下さい。 境内に入って左側から見ていくと、「蹴鞠(けまり)の庭」があって、その前にあるのが「総社拝殿」です。 その社殿にいたのは「福禄寿」さんでした。 木彫りの3メートルもある立派な木像なのですが、神社に福禄寿というところが……若干違和感を覚えました。 歩いていると、案内板があってそこには、 【談山の名は中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足がこの地で国の将来を語りあったというのが談山の名の興りであります。山内には談山神社の前身である妙楽寺を中心に多数の堂舎が営まれ、今も数多くの貴重な文化財が伝えられています】 と書かれていて、昔はお寺だったことがわかりました。 ああ、それで福禄寿さんがいたんだ~、と納得です。 本殿のご祭神は藤原鎌足公で、社殿が一般の神社とはまったく違う造りとなっています。 鮮やかな彩色が美しい彫刻は見ていて、ため息が出るほど美しいです。(日光東照宮造営の際のお手本となったことでも有名です、とリーフレットに書かれていました) 向かいに建てられている拝殿は、ご自由にどうぞ、ということで、せっかくなので上がらせてもらうと、中は予想に反して畳敷きとなっており、広いです。 朱の柱がいい雰囲気を醸し出しています。 拝殿裏側の簀子縁に下げられた灯籠も風情がありますし、眺望も素晴らしいので、ここでぼ~っと時間を過ごしました。 歴史的絵巻が展示されていたり、御神饌のコーナーがあったりして、それを拝見するのも楽しいです。 ありがたい拝殿だな~、と強く思ったのは、本殿の正面に「座って」手を合わせられるというところです。 神社で、座って参拝できるところはなかなかありません。 参拝者は私1人だったので、思いっきり祝詞を声に出してご挨拶をすると、神様が出て来られました。 が、足の部分しか見えません。 ぷっくりと膨らんだ袴を履いています。 あれ? 鎌足公とは時代が違うんじゃない? と思いました。 天智天皇の時代は、ズボンの裾がシャララ~ンとやや広がり気味の、昔のトレパンのようなズボンだったはず……そんなにぷっくりした袴ではないような……? と思いました。 話しかけても神様は答えてくれません。 全然話をしない神様なのです。 どうやら私を観察している様子です。 こういう場合は焦って話しかけても意味がないので、拝殿を出て十三重塔を見学しました。 それから境内社である「比叡神社」へ行きました。 そのエリアには、「談(かたらい)山 これより290M 徒歩約10分」の案内があります。 たった10分登るだけでいいのなら行ってみよう、と登りましたが、道が……歩きにくかったです。 台風の被害だと思うのですが、倒木が道をふさいでいましたし、葉っぱの茂っている枝がばっさりと落ちていたりしました。 途中で崩落しているところもありました。 中大兄皇子と鎌足公がはかりごとをした場所……という伝承ですが、後づけではないでしょうか、という続きをみる
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