前回の記事に関して、メッセージを多くいただきました。 亡くなったお父様……もしくは、お母様、おじいちゃんおばあちゃんに……「お金を持たせていません」という内容です。 「成仏していないのでしょうか?」というご質問が、このあとに続いています。 亡くなった直後の世界は、人によってさまざまです。 ちょっぴり難しいシチュエーションの人もいますが、それでもほとんどの場合、自力で何とかして成仏していきます。(時間がかかる人もいます) 前回のお話の幽霊の彼女も、もしも私と出会わなかったとしても、いずれは服や靴が濡れることを覚悟で川を渡ります。 「向こう岸に行かなければいけない」ということを十分すぎるくらい知っているからです。 ですから、表現としては「成仏できない」のではなく、「成仏が遅れる」ということになります。 お金を持たせてあげなかった場合ですが、亡くなった人全員が「成仏が遅れる」「困る」のかというとそうではありません。 まず、お金が「必要な人」と「不必要な人」とに分かれるので、そこで「お金なんかいりませんよ」という人が出てきます。 不必要な人はどのような人かと言いますと、「川のところに行かない人」です。 三途の川は渡る人と、渡らない人がいるのです。(三途の川の場所に行く人と、行かない人がいます) もしも、亡くなった人が渡らないタイプだったら、その時点でお金は必要ない、ということになります。 渡るタイプだったとしても……。 男性だったら舟を待たずにザブザブ行くように思います。 「あの~、うちのおじいちゃん、95歳なんですけど~」と思われるかもしれませんが、亡くなったあとは肉体的な年齢は関係ありませんから、大丈夫です、深いところでも泳いで行けます。 女性でも、靴や服が濡れることに抵抗がなければサッサと渡るように思います。 向こう岸へ行かなければいけないことがわかっているからです。 「うちの母はオシャレだったから、靴にこだわってるかもしれない」 となると、最後はご本人の考え方です。 「お金を持っていないから舟が来ない」と思ってしまうと、舟は本当に来ません。 タクシーのように、乗ったらお金を払わなければいけない、しかも距離に応じて金額が変わる……などと考えると、〝お金がない〟ことが成仏を遅らせてしまう〝引っ張る念〟になります。 私の母はこのタイプで、「お金がないと舟に乗れないから、絶対に忘れないでね」と言っています。 けれど、「お金はないけど、親切で乗せてくれるでしょ」と、楽観的に考える人だったら……舟は来るのです。 金額についてですが、「60円で大丈夫」と固く信じられている方は、60円でも問題ないと思いますが……お棺にコインを入れてはいけないそうですので、そこはご確認なさって下さい。 三途の川の渡し賃の金額は神仏がこの値段、と言っているわけではなく〝亡くなった方の〟考え方になります。(ご遺族の考え方ではありません) 前回の女性は、もしかしたら無宗教だったのかもしれない、と思います。 いきなり渡らなければいけない川の前に出て、「え? なにこの川?」と、戸惑っていたのかもしれないです。 川のはるか上流、または下流を見ると、舟に乗っている人がいるわけです。 「私も舟に乗りたい、どうし続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』