「最近、読者になりました」「はじめまして!」と、メッセージを下さる方が、ここのところ、とても多くて、「ありがたいな〜」としみじみ思っております。 桜井先生と書かれている方がおられますが、識子さんで大丈夫です! お心遣い、誠にありがとうございます。 質問も多くいただいていて、でも皆さん、記事の最後にリンクしている「メッセージにつきまして」をお読み下さっているようで…… 「個人的にお返事をしていないことは承知しております」「質問の答えはいつか書ける時にブログに書いて下さい」「何か関連した内容を書く時によろしくお願いします」 と、優しいひとことを添えておられ、こちらも心から感謝しております。 ありがとうございます。 前回の記事、手水について質問が重なっていましたので、ちょっと補足しておきます。 手を清めることに関しては「必ずしなければいけない!」というものではなく、臨機応変にして大丈夫です。 これは神様仏様の世界で決まった作法ではなく、人間が決めた人間側の作法としてあるものです。 参拝する前に、手(身)を清めてお参りをするのは、礼儀と言いますか、神仏に失礼がないようにという、私たち人間側の気持ちなのです。 手水はキレイな水ばかりとは限りません。 水がよどんでいる、ゴミが浮いている、虫の死骸が浮いている、というところもありますし、手水鉢に水が入っていないところもあったりします。 冬季は凍っているところもあります。 そのようなところはすべてパスしても問題ありません。 水質が良くないことや凍っていることは、眷属も知っていますから、叱られることはないです。 「口をすすぐのは、チョロチョロと龍の口から出ている、キレイな水でしか怖くてできません」というのも大丈夫です。 左右の手を清めれば、全身清めたことになるので問題ないのです。 それも、バシャバシャと流さなくても、極端な話、指先にチョロっと水をつけただけでも、清めたことになります。 それで十分です。 ただし、何か失礼をして謝罪に行った時などは、「手水がキレイだったら」という条件付きで、口もすすいだほうが、より丁寧になりますから、謝罪の場合は口をすすぐことをおすすめします。 ①常にキレイな水を流している清潔な手水舎のある神社、で、②厳しい眷属がいれば……手水をパスすると、「こいつは、モー」的な不快を示すことがあるかもしれませんが、まぁ、それも、そんなに大きな失礼ではないので心配いらないです。 あ、それから、手水のやり方、というのをたまに見かけますが……私はその通りにしておりません〜。 適当に柄杓に汲んで、どちらの手からと続きをみる
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