前回、歓迎されているサインについて書きました。(あ、そうだ、蝶々は全部歓迎サインです。黄色や白以外は霊能力に引き寄せられた可能性が少ない分、歓迎度が高いです) 前回の記事の中に、「そこに行くべき人」という言葉を入れています。 この部分です。 「そこに行くべき人をお連れすることができた、という光栄な気持ちになるからです」 さて、この〝その神社仏閣に行くべき人〟とは、どのような人のことを言うのでしょうか。 〝行くべき人〟にはいろいろなパターンがありますが、代表的なのは信仰心がピュアな人です。 神仏の存在を疑うことなく信じている、「神仏が心から大好き!」「神様仏様いつもありがとう!」と思っている、そのような人です。 信仰心がピュアな人は神社仏閣に行くだけ、それだけで神仏に喜ばれます。 力がない神様にとっては強力な応援となりますし、なにより神仏はそのような人が大好きだからです。 別のパターンとしては、そこの神様・仏様に〝前世でご縁をいただいた人〟です。 どの時代なのか、いくつ前の人生なのかは人によって違いますが、別の人物として生きていた遠い昔に、その神社の神様、そのお寺の仏様を信仰していた人です。 すでに前世でご縁をいただいていますから、行くと神仏に喜ばれます。 ご縁は、前世・今世の人物としていただくわけではなく、〝魂〟がもらうものです。 ですから、過去にいただいていれば、生まれ変わってももらったままなのです。 とくに信仰心が厚かった人、信仰心がピュアだった人は、神仏のほうも再会を楽しみにしています。 『神仏のなみだ』という本に、昔の人の信仰のお話を書いています。 そこに「おきぬさん」という、非常に信心深い女性のエピソードが出てきます。(申し訳ございませんが、詳細は本でご確認下さい) 「久井稲生(くいいなり)神社」のお稲荷さんは、おきぬさんが亡くなったあとも、ずっとその土地にいて、人々を守ってきました。 百年も二百年も三百年も……同じ場所で人々の生活を見守っているのです。 人間はどんどん死んでいき、そしてたくさん生まれてきます。 何度も村の人々は入れ替わります。 けれど、お稲荷さんは変わらずそこにいて、人間を助けたり守ったりしています。 そんななか、おきぬさんが現代の日本に生まれ変続きをみる
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