今年の初夏、といっても梅雨の真っ最中のことです。 息子が住む福岡へ行きました。 滞在中にいくつかの神社をまわったのですが、その時のお話です。 まずは息子がお世話になっている筥崎宮へ行きました。 参拝が済んで、神様にお礼を言い、鳥居を出ました。 筥崎宮は参道が長いので、一之鳥居(こちらが本殿に近い鳥居です)と、二之鳥居の間にコインパーキングがあります。(一之鳥居のすぐそばです) その駐車場にレンタカーを停めていたので、そちらに向かおうとした時に、「小銭がないぞ」 と、神様が教えてくれました。 コインパーキングは千円札までしか使えません。(もしかしたら私が知らないだけで、1万円札が使えるところがあるかもしれません) 「え? じゃあ、くずしに行かなきゃ」 と、即座にコンビニに向かって歩き始めたのですが、そこで、ふと思いました。 「あれ? たしか千円札があったような気がする……」 と。 昨日の夜、万札をくずしたはず、と思ったのです。 「そうだった、そうだった」 と思った私は、神様の言葉ということを思いっきり忘れて、また駐車場のほうにてくてくと戻りました。 数歩行って、「いや、待て! もしかして、くずしたのっておととい?」 という疑問がわき上がり、「あれ?」 となりました。 もしも小銭がなければ、ゲート前の精算機まで進めた車をバックさせて再び駐車し、そこからコンビニに行くことになります。 「あかんやん! とりあえず、コンビニに行くべき!」 と思い直し、またまた、くるりと向きを変えて、コンビニに向かって歩き始めました。 「しかし……わざわざコンビニまで行って、千円札があったらどーするぅー? たしか、あったと思うんだよねー」 などと考え(雨でしたから行くのが面倒だったのです)、だんだん千円札があることはほぼ確実、みたいな気分になりました。 「やっぱ、大丈夫やわ、あるわ、千円札」 と何を根拠にそう思ったのか自分でも謎ですが、再び駐車場へと向きを変えました。 なんとか財布の中身を思い出そうとするのですが、私はうろ覚えの天才です。 財布の中身を覚えておく、という難易度の高い記憶は無理なのです。 こうして鳥居の前の道を、あっち向いたりこっち向いたりして、コンビニに向かったり駐車場に向かったりを繰り返しました。 はたから見ると、誰もが、「さっきから何してるねん? あのオバハン」 と思わずにはいられない、怪しい行動です。 結局、鳥居の真正面に立ち止まって、実際に財布を見てみることにしました。(最初からこうすればいいものを……ううう) すると財布の中身は、1万円札1枚と、10円が4枚、1円玉が数枚だけでした。 神様に言われた通り、これではコインパーキングの支払いはできません。 「…………」 ( ̄ー ̄;続きをみる
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