神仏には、もっと自分をさらけ出してもオーケーです。 あ、いや、こういう言い方はちょっと違うかもしれません。 素のままの自分で接することが、ベストです。 う~ん、これもなんだか違うような……。 見えない世界の「感覚」を、言葉で説明するのは難しいですね。 もう少し具体的に書いてみます。 私を例にすると、神仏は、私自身(魂の私)を見ています。 宿っている肉体で判断をしません。 私はすでに立派なおばさんで、見た目も、もちろんおばさんです。 同じ年代では、松田聖子さんのように「お姉さん」という人もいますが、私は違います。 ですから、そこは自覚して、世間ではちゃんとおばさんとして行動していますし、おばさんとして発言をしています。 しかし、神仏が相手の場合、私には年齢がありません。 神仏は「肉体をかぶっているおばさんの私」と接しているのではなく、 「魂の私」「本来の私」「私という存在」を、相手にしているからです。 神仏に限って言えば、私には年齢がないのです。 ここ、このような説明で、理解してもらえていますでしょうか? 神仏にしてみれば、20歳の私も、50歳の私も、80歳の私も、同じ「私」なのです。 もしも、頭を続きをみる
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