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これは少し前に、読者の方からいただいたメッセージです。
『山の中を歩きつつ、詳しく説明をしていますので、頂上のお社では、手を合わせて 『よろしくお願いします』 だけでいいです』 と、書かれてありました。
これは、お稲荷様のおとりなしに限ったことなのでしょうか?
他のお願いをする場合も、山の中を歩きつつ、詳しく説明しますので、頂上のお社では 『よろしくお願いします』 だけでいいのでしょうか。
それとも、もう一度、丁寧に (長くなっても) お願いをするのでしょうか?
どう参拝してよいかわからず、何度も繰り返し、本やブログの参拝の箇所を読んているのですが、考えれば考えるほど、よくわからず悩んでいます。
それから、登山しながら、神様に詳しく説明したりと、話かけている時は、口に出さず、心の中でいいのでしょうか。
それとも、口に出して、話かけた方がいいのでしょうか。
というご質問です。
まず、山の中で語りかけることについてですが、神仏は(眷属も含みます)山中で話したことは全部聞いて下さっています。
ですので、どこのお山でも山頂のお社では 「よろしくお願いします」 だけで大丈夫です。
すべて漏らさず聞いておられるので、心配はいりません。
でも、お願いする気持ちが強くて、「どうしても、もう一回お願いしときたいんです」 という場合、これはアリです。
神社は、本殿や奥宮など、そのお社の前で2拍手したあとのご挨拶が正式なものになります。
登山しながら細かくお話をしたけれど、 「正式に」 丁寧にもう1回言う……これはアリですが、逆はナシです。
先に正式に山頂でお願いしておきながら、帰りの山道でしつこくもう1回言う、これはやめたほうがいいです。
登る時にお話しながらお願いをして、山頂で 「よろしくお願いします」 とだけ言い、下山する時に、また同じことをお願いする、のもやめたほうがいいです。
神仏は人間と違いますから、聞くのは1回だけで十分なのです。
あ、でも、今言ったことは、「絶対にいけない」 というものではありません。
そこまで厳しいものではなく、しないほうがいい、という程度のものです。
これは私も注意を受けたことがあって、できれば避けたほうがいい、くらいの感覚です。
それから、登山の途中や、神社の鳥居をくぐって神様にお話をすることについてですが、これは心の中でも大丈夫です。
ただ、この場合、 「思う」 のではなく、 「話しかける」 ことが大切です。
違いがないように思われるかもしれませんが、実は歴然とした差があるのです。
例えば、人間関係で悩んでいて良い方向に解決してほしいというお願いをしに行ったとします。
心の中で、Aさんは意地悪で、先日、このようなことを私に言いました、というところから会話をスタートします。
「その時に、Bさんもちょっと笑ったりして、つらい思いをしました、あ、Bさんももしかしたら同じように意地悪かもしれない……、そういえば私がお疲れ様~って声をかけたのに無視したことがあったよなぁ、あれってわざとだったのかな、あ、きっとそうだ、聞こえていないだけかと思ってたのに、あれって意地悪だったような気がする……」
などと、途中から 「考えている」 モードに入ると、これは心の中でつらつらと 「思っているだけ」 になってしまいます。
話しかけていないのです。
アンテナを神仏に置いていなくて、自分の上に置いています。
そうではなく、相手にわかってもらえるように語り口調で話しかけます。
さきほどの例で言えば……。
「その時に、Bさんもちょっと笑ったりして、つらい思いをしました、あ、Bさんももしかしたら同じように意地悪かもしれないです。そういえば私がお疲れ様~って声をかけたのに、無視をしたことがありました。あれはわざとだったかもしれません、なんだか、そんな気がしてきました。私は聞こえていないだけだと思ってたんですけど……神様、あれは意地悪だったのでしょうか?」 という具合です。
「思う」 のではなく、 「心の中のひとりごと」 でもなく、 「話しかける」 のです。
ここが大事なポイントです。
う~ん、でも、つい会話の途中で 「ただ単に思うだけ」 になってしまうんです~、という方は、慣れるまではブツブツと小声でしゃべることをお勧めします。
心の中で、と、声に出してつぶやくのとでは、どちらがいいのか……と言うと、これは断然声に出すほうです。
私は 〝誰もいない〟境内や、 〝誰もいない〟 登山道ではフツーにしゃべっています。
まだ、声に出してしゃべったことがないという方は、一度挑戦されてみることをご提案します。
そのほうが神仏を、より身近に感じられることと思います。
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