※ある意味、前回の続きです。 今回は、大事だと思われる3つのポイントをご紹介します。 神仏に歓迎されているのに、 間違いかも? 図々しいかも? まさか私なんかが……と謙虚に思うことが、どうしてダメなのかと言いますと、 こういう遠慮は、神仏と自分との間に「垣根を作ってしまう」からです。 前回書いたように、単純に「歓迎のサインを見つけた! やったぁ! 神様、大好き!」という気持ちであれこれしゃべる人と、 「いえいえ、私なんかが目をかけてもらっているなんて、そんなそんな。間違っていたら恥ずかしいです」と謙虚になって、遠慮がちにしゃべる人とでは、 神仏との距離が違うことがおわかりになると思います。 謙虚にしている人は、神仏と自分との間に、垣根を作っているのです。 この垣根は「遠慮の垣根」ですから、「これ以上はけっこうです」という意味も持っています。 ですから、神仏は、垣根を壊してまで、こちらに寄ってきてはくれません。 遠慮の垣根を作っているのは人間のほうです。 信仰の自由という観点から、神仏がその垣根を壊す、ということはありません。 もしも、垣根を作ってしまったら、自分で壊さないと、消滅しないのです。 ポイント1は、自分から「垣根を作らない」です。 2つめのポイントは、「目をかけてくれているかも?」「これってごりやくかも?」と思ったら、お礼に行くことです。 違っていても全然かまいません。 神仏にありがとうを言いに行く、感謝を示す、というその姿勢が大事なのです。 もしかしたら、ここの判断はまだ難しいかもしれませんが、目をかけてくれていると思った神社仏閣には、コンスタントに行きます。 私でいえば、熊野3社です。(私の個人的3社で、熊野本宮大社、飛瀧神社、玉置神社です) 2~3年行けない時期があってもかまわないので、行ける時に行きます。 目をかけてくれている神仏は、いろんな方面でサポートしてくれるからです。 私の場合は、神様霊能力を驚くほどレベルアップしてもらいました。 会話をするコツとか、波動やご神気の見方とか、いろいろと詳しく教えてくれたのは、熊野の3柱の神様方です。 東京に引っ越してから熊野が遠くなりましたが、航空券が安く買えたりすると、いそいそと参拝に行っています。 目をかけてくれている神仏がいる神社仏閣に通うことは、人生を好転させるひとつの方法です。 「目をかけてくれているかどうかがわかりません」と思われる方がいらっしゃるでしょうが、 私が思うに、皆様もきっと、なんらかの感覚で、それとなくわかっているのではないでしょうか。 その神社に行くと、なぜか嬉しいとか、楽しいとか、ふわ~っと癒やされるとかだったとしたら、神社を何社もまわっていると、その感覚がまったくない神社があることに気づきます。 するとそこで、その違い、みたいなものがわかると思います。 よい香りがしたとか、歓迎のサインを見つけた時の自分の喜びようが半端なかったとか、神様が吹かせてくれた風を感じたとか、感覚はいろいろです。 知っておいたほうがいいのは、しっかりと会話ができるところまでレベルアップしていない場合、神様霊能力にはムラがある、ということです。 ですから、初回は歓迎されていると感じて、嬉しい気持ちになったけど、2回目はなんだかクールに感じる……ということがあります。 これは神様のほうが冷めたのではなく、自分の能力がうまく感知していないのです。 ですから、たとえば、2回目は「あら? 冷めた雰囲気?」と思っても、そこは元夫のように、単純さで突っ走ったほうがいいです。 「目をかけてもらってるんだもんね~」とルンルンで参拝します。 自分の能力不足なのに、「神様はどうして今回はクールなんだろう? 嫌われ続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』