※前回の続きです。 前回の記事については、賛否両論あると思います。 いろんなご意見をいただきました。(送って下さった方、ありがとうございます) 皆様のご意見をじっくり読ませてもらって、「なるほど~」と思いました。 そこで、私がどうして残念に思ったり、腹が立ったのかを、もう少し詳しく説明したほうがいいのかも? と思ったので、ちょっと追記してみます。 仏様の中には、もとが人間だった方がおられます。 空海さんや最澄さん、円仁さん、元三大師さんなどが、私の書いたものによく登場しています。 この仏様方は、もとが人間だったからか、人間への思いがとても強いです。 言い方を変えれば、人間への愛が濃いのです。 苦しんでいる人を見つけたら、なんとかして救おうとします。 それは片手間にちょこちょこっとやるのではなく、一生懸命に救おうとしているのです。 苦しんでいる理由や、その人の心が元気ではない事情は、人それぞれです。 大きな失恋をしたり、信頼していた人に裏切られたり、親に虐待されて育っていたり…… 中には、深刻な状態の人もいるわけです。 生きる気力を失っている人がいたりもするので、空海さんや円仁さんは、必死で手を差し伸べています。 それはもう、本当に、ものすごく苦労しているのです。 苦しんでいる人に、少しでも楽になってもらいたい、仏様のご加護をたくさんもらって元気になってほしい、人生を明るくしてあげたい、と、信仰の種を渡そうと頑張っておられます。 お寺にどーんとかまえていて、やって来る人を待つ、やって来る人だけを救う、のではなく、 せっせと布教(苦しんでいる人を助ける、という意味です)を続けているその深い慈悲の心と、その努力を、私は知っています。 前回の記事に書いた女の子は、もしかしたら、空海さんや円仁さんが苦心して、信仰の種を与えることができた人物だったのかもしれません。 引きこもっていた女の子に、興味を引くテレビ番組を見せたり、本を読ませたりして、「ちょっとお寺に行ってみようかな」と思わせるところまで、 仏様のご加護がもらえるよう、やっとお寺に来させるところまで、導いていたのだとしたら……。 お寺にいるお坊さんは、空海さんや円仁さんに〝あとはまかせたぞ〟と頼られている存在です。 仏様には肉体がありません。 ですから、女の子に直接声をかけることができません。 ニッコ続きをみる
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