仏様の真言を大きく、わかりやすく書いているお寺が、ここ最近増えてきているように思います。 本堂の外だったり、中だったり、仏様のすぐそばだったりと、書かれている場所はいろいろですが、ありがたいことです。 さて、ここで私の体験談です。 取材で行ったお寺に、お稲荷さんの眷属がいました。 その眷属に聞いたのですが、真言が書かれていたら、それを唱えれば、お寺によっては正式なご挨拶となるそうです。 私は、そのお寺では祈祷をお願いしました。 お坊さんの読経に合わせて、自己紹介やお話をしました。 通常は、これでまったく問題ありません。 そのあと、ぶらぶらと境内をまわり、本堂から少し離れた場所にある、奥の院の跡地(現在、奥の院は別のところに移転されています)にもお参りしました。 跡地ですが、小さなお社がありました。 すると、そこを守っていたお稲荷さんの眷属が、「お前は正式な挨拶をしていないだろう」と言ったのです。 「え? ああ、そうですね。祈祷をしたので、私は祝詞を唱えていませんけど……。あ、いや、ここはお寺ですから、般若心経ですね。う~、実は般若心経はまだ、完璧だという自信がなくて……」 「真言でよい」 「真言ですか? すみません、ここの仏様の真言は知らないです」 そう言うと、眷属は、「………………」と無言で私を見て、 くるりと振り返って、お社を見ます。(この眷属はお社の前にいたのです) その視線をたどってみたら、そこには真言が書かれている、パソコンで印刷したようなパウチされた紙がありました。 「あ、親切なお寺ですね! 書かれていることに気づきませんでした!」 いやいやいや。 A4サイズのそこそこ大きな紙なので、見落としている私の注意力のなさに驚きです。 それで眷属も「………………」となったのでしょう。 「ではこれを唱えれば……ん? あれ? 真言なのに、読みながら唱えてもいいのでしょうか?」 真言は、本来なら暗続きをみる
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