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最新刊 『神様アンテナを磨く方法』 に書いている 「善行と悪行は別カウントされる」 についての質問です。
【今回の本、そして前回の運玉にも触れてあったことについてお聞きしたいことがあり、メールさせて頂きました。人をあやめてしまった人は、神仏から心が離れてたから、善行と悪行は別々にカウントされると書いてありました。では、罪を犯した人を神仏は、見守り、導いて下さらないのでしょうか。罪を償い、反省し、後悔して、心の寄りどころに参拝しても、もうどうしようもないのでしょうか】(質問部分は省略したり文章を変えたりしていないです)
「神仏から心が離れてたから」 の部分は、 『運玉』 の〝運命〟という章に書いたことだと思います。
信仰には自由がありますから、昨日まで神様仏様を信じていたけど、 「あんなものはただの想像の産物やわ」 と今日から信仰を捨てても、神仏は怒ったり引きとめたりしません。
そこには尊重されるべき 〝自由〟 があるからです。
心が離れてしまって神仏と離れた生活をしていても、ある日、 「やっぱり神様仏様はいる!」 と信仰を取り戻せば、神仏はまた目をかけてくれるようになります。
一旦心が離れてしまったら、そこで終わり、というそんな無慈悲な存在ではありません。
別々にカウントされる、という部分はおそらく 〝悪行はそのままで、ずっと消えずにマイナスであり続ける〟 というふうに受け取られているのかなぁ、と思いました。
いくら良い行ないを頑張っても、悪行のマイナスは消えない・・・ということは、神仏はそこを永遠に許してくれないのだろうか、だとしたら、ご加護はもうもらえないのだろうか、と考えていらっしゃるのではないかな、と思います。
罪を犯してしまった人は (法律上のものだけではありません)、その罪については天から叱られたり、矯正をされます。
悪いことをしたら、それはそれで責任を取らなければいけないのは、あちらの世界での厳然たるルールです。
責任を取らなくても反省さえしたら消える、善行をたくさん積み重ねたら消える、というものではないです。
自分で責任を取る、それを言い換えると、 「罪を償う」 ですが、それをすればその罪は終わりです。
償うやり方は天が決めることですから、一概にこうです、とは言えません。
肉体的にしんどいことかもしれませんし、精神的につらいことかもしれません。
その両方かもしれません。
そして、償いが終わればその罪の負債というか、責任を取らなければいけないという義務は終了で、マイナスもなくなります。
償いが数日で終わればいいのですが、長く償い期間がある場合、その間いくら良い行ないをしても無駄なのかというと、そうではないのですよ、ということをお伝えしたかったのです。
それが別でカウントしてもらえる、ということです。
自分が犯した罪を深く反省し、少しでも世の中の役に立とうと、一生懸命善行を積めばそれはそれとして、いくら罪の償い中でも積み立ててくれるのです。
極端な話、罪を犯さず生きてきたけど、良いこともまるでしなかった、他人にも冷たく生きてきた、善行は1個だけという人と、罪を犯してしまったけど心から悔い改め償いも十分にした、善行は100個しているという人とでは、後者のほうが徳の貯金は大きいです。
つまり、別カウントは神仏のご慈悲・優しさなのです。
例えば、ある男性が罪を犯したとします。(これは例をあげると差しさわりがありますので、皆さん何か、具体的に思い浮かべてみて下さい)
男性は起訴されて、執行猶予付きの有罪判決を受けます。
それが会社にバレてしまって、会社から解雇されます。(法律の知識がないので解雇されるかどうか、本当のところはわからないので、あくまでも例え話としてお読み下さい)
妻から離婚届を叩きつけられ、子どもも妻と一緒に出ていって、家庭は崩壊します。
近所にも犯罪のことは知れ渡っており、外に出るたびにあちらこちらでヒソヒソと陰口をささやかれます。
さじを投げた親兄弟や友人からも縁を切られた状態となります。
男性は持っていたすべてを失ってしまいました。
非常につらい状況です。
なぜあんなことをしたのか・・・と後悔と反省を繰り返す日々です。
この償いが大きいと思うかどうかは、人によるのでしょうが、償いのやり方に関しては天の判断に狂いはないです。
その男性の霊格の高さ、というのも矯正の度合いに大いに影響しています。
さて、そんなつらい毎日の中、男性は道で年老いたおじいさんがうずくまっているのを発見します。
聞けば、散歩の途中だが腰が痛くて歩けない、と言います。
男性は 「俺の死んだじいちゃんと似てるなぁ。こんなところにいたら風邪をひくし、家まで送ってあげよう」 と心の底から善意で思います。
そして、おじいさんを背負っておじいさんの家まで送ってあげます。
近所の人はそれを見て、犯罪を犯したくせに善人ぶってるわー、とか、罪を犯してるんだから今さら良いことをしても無駄よ、などと陰で言います。
この行為が別々にカウントされなければ、男性は罪の償い中ですから、天に貯金はしてもらえないことになります。
考え方としては、罪を犯してるんだから今さら良いことをしても無駄よ、という近所の人と一緒です。
しかし善行は善行です。
おじいさんは寒さで風邪をひいて、肺炎になるところを助けてもらえました。
神仏はこれを、ちゃんとひとつの良い行ないをした、とカウントしてくれます。
別々にカウントしてもらえなければ、大きめの罪を犯してしまうと、その後いくら悔い改めても、どんなに善行を積もうとも、罪のマイナスが大きすぎていつまでたってもプラスにはなりません。
そして、その方式だと、差し引きゼロになってからの分しか善行は天に貯金されない、ということになってしまいます。
別々にカウントして下さるからこそ、罪の償い中の善行もちゃんと貯金されていくわけです。
罪を犯したからといって、その人間を決して見捨てない、できる限り救いの手を差し伸べる、そういう神仏の思いやりなのです。
ですから、神仏を心のより所にして生きて行くのは、間違っていないと思いますし、大切なことなのではないかと私は思います。
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今年もたくさんの方から、メッセージをいただきました。
皆様、本当に良い方ばかりで嬉しかったです。
ありがとうございました。
一時期、もらったメッセージをクリックして内容を見るのに勇気がいる、ということもありましたが、人間って強くなるもんですね~。(笑)
「ありがたいなぁ」 と思うメッセージや、ワクワクしながら読ませてもらう体験談、「ああ、その人生はさぞかしおつらいことでしょう」 と思わずにはいられない人生のお話、心あたたまる励ましや様々な質問等、いろんなメッセージがありました。
書くのに2時間以上かかっているだろうなぁ、と思われるメッセージもありました。
お返事が出来ないのに何回もメッセージを下さる方もいらっしゃいます。
皆様、本当にありがとうございます。
お返事がどうしても出来なくて・・・誠に申し訳ございません。
質問によっては、自分がその場に見に行かなければわからないものもたくさんあります。
例をひとつ挙げると、散骨や樹木葬について、などです。
これは実際に自分でその場に行かないと、どういう仕組みでどうなのか・・・詳しいことがわからないです。
時間に余裕ができたら、そのへんのこともいろいろと見に行ってみようと思っています。
あちらの世界についての難しい質問は、私などではまだまだわからないこともあって、どこかで聞いてこないことには書けない、というものもあります。
ですので、質問の答えがないわ・・・と思われている方、無視しているわけではございませんので、そこのところご理解いただけたらありがたいです。
今年も本を出すことが出来ましたのは、皆様のおかげです。
心より深く感謝しております。
これからは関西地方だけでなく、いろんな場所の神仏に会いに行って、その詳細をお伝え出来たらなぁと考えております。
少しずつになるとは思いますが、いただく情報を元にいろんな場所を参拝していきたいと思います。
今年もあとわずかになりました。
縁起物を信じる方は、元旦の朝、ラッキーな運をもらえる 「初日の出を拝む」 ことに挑戦されてみてはいかがでしょうか。(2冊目の本に書いています)
もちろん私も行きます!
どこに行くかワクワクしながら計画中です。
今年も皆様には大変お世話になりました。
深く御礼申し上げます。ありがとうございました。
そして来年も何卒よろしくお願い致します。
皆様が笑顔で良いお年をお迎え下さいますように。
(^-^)/
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善行と悪行の補足
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