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私は、山岳系の神様に会いに行くために、年に何回か山登りをします。
たまに、とても高い山に登ったりもします。
無事に登って無事に下山するには、足腰が丈夫でなければいけないわけで・・・日頃から意識して運動するようにしています。
といっても、スポーツをする時間はないし、面倒だし、ということで長距離のウォーキングなどを頑張っています。
先日のことでした。
暗くなった時間に、ウォーキングをしていました。
ふと見ると、前方からおばあさんがこちらに向かって歩いてきます。
腰がかなり曲がっていて、見るからに〝おばあさん〟という感じです。
歩行が不自由なようで、両手で老人用手押し車(介護業界では歩行器と言いますが)を押して、ヨチヨチと歩いています。
「体の機能を保つために運動をしているのだな」 と思いました。
おばあさんとの距離が縮まると、手押し車は老人用のものではなく、小さなお散歩カートだということに気づきました。
お散歩カートというのは、四角い乳母車のような、保育園児を数名乗せて保母さんがお散歩をさせる、あのカゴ車のことです。
その小型版をおばあさんは押していたのでした。
「家にあったお散歩カートを、手押し車代わりにしてるのね」 と思いました。
おばあさんはそれを押しながら、足が痛むのかゆっくりと少しずつ一生懸命歩いています。
大変そうだな、しんどいだろうな・・・と思っているうちに、おばあさんと私との距離がほんの数歩になりました。
あたりが暗かったのでよく見えてなかったのですが、その距離になると、それまで見えていなかった部分が見えました。
お散歩カートの中には、年老いた犬がちょこんと座っていたのです。
そしてその犬は、ものすごーーーーーく嬉しそうな表情をしていました。
「あ! ワンちゃんだ!」 と思った時に、犬がこっちを見たので、私と目が合いました。
犬は私を見て、 「誰? んー、見たことない人だからいいや」 と判断したのか、またすぐに前方に視線を戻していました。
その顔は本当に、 「楽しくて楽しくて仕方ないです!」 と、とっても嬉しそうでした。
鼻歌でも歌いそうな顔だなぁ、と思ってしまうほど、ウキウキ感が出ていたのです。
散歩が大好きな犬なのでしょう。
犬も嬉しいと顔が輝くのね、と思いました。
おばあさんの足の不自由さからすると、おばあさん自身が車椅子に乗って、誰かに押してもらってもいいくらいです。
自分が年齢的につらいのに、年老いて歩けなくなった小さな犬を、いたわってあげているのでした。
犬は、他人の私が見てもすっごく幸せそうで、その姿を見ながら歩いているおばあさんは、もしかしたら全然つらくないのかもしれません。
自分のしんどさよりも、可愛い犬の喜ぶ姿のほうを大切にしているのですね。
ああ、 〝愛する心〟 って美しいなぁ、としみじみと思いました。
四国の金刀比羅宮の神様が言っていました。
「人間は胸の中に持っている愛情の袋を膨らませておかねばいかん」
愛情を持っていなくて袋がぺしゃんこにしぼんでいるのは、本人にとって良くないのだそうです。
これは、誰かに〝愛される〟ことを言っているのではありません。
愛してくれる人がいないから不幸せ、ということではないのです。
〝自分が〟 誰かを想う、思いやる、その気持ちを持っていなければいけない、とのことです。
おばあさんの犬に対する愛情は、通りすがりの私の心まであたたかくしてくれました。
きっとおばあさん本人にはもっと良い作用があるのだと思います。
去っていくおばあさんと犬に、いつまでもお散歩カートで仲良くお散歩できたらいいですね、と心の中で声をかけました。
犬の輝いた顔を何回も思い出してほっこり微笑んでしまう・・・そんなウォーキングにしてくれた素敵な出来事でした。
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