「わかる」供養、写経など、自殺した人のことを思って、あたたかい供養を届けると、それが故人を助け、成仏のお手伝いをします。 無事に成仏をすると、その故人は「必ず」お礼に来ます。 お礼に来る時は、いきなり目の前に現れるのではありません。 その伝え方では気づかない人がほとんどなので、ちゃんと気づくように、夢を通じて伝えるのです。 人間は寝ている時、変性意識になります。 よって、睡眠中は誰もがあちらの世界とつながっています。 そのつながっている状態の、アンテナが向いている方向に、成仏したことを伝えるために立ちます。 生きている人間からすると、寝ている間に故人を見るため……夢の中で見た、という感覚になります。 この時、「成仏できたよ、ありがとう」という言葉を言っているのですが、それを正しく感知できる、という人は少ないかもしれません。 受け取る側のアンテナの感度によって、受信できる範囲が違うからです。 アンテナの感度は人によって違いますし、体調や精神状態でも微妙に変化するため、日によっても違います。 故人が「ありがとう」と言ってニコニコしている姿が見える人もいれば、なんとなくしかわからない、持ち物など一部分だけしか見えない、という人もいます。 夢の中の故人は、成仏したと言わずに全然違うことをしゃべっていたり、ごはんを食べていたり、「?」と思う行動をしていることもあります。(詳しくは『死んだらどうなるの?』という本に書いています) それはこちら側の感度の問題なのですが……とにかく、故人が夢に出てきたら、それは成仏したというサインです。 このように故人の〝姿〟が見えたら一番わかりやすいのですが、ほとんどの人は「成仏したよ、ありがとう」という言葉を画像に変換しています。 その画像を夢として見るわけです。 一番多いのは、川や水辺の夢です。 お花畑というパターンもあります。 太陽がサンサンと照っている景色や、すがすがしい空というものもあり、それは成仏した故人の印象を表現したものです。 昔飼っていたペットを見ることもあります。 このような夢を見たら、故人が成仏したことを知らせに来ているのです。 成仏すると、「わかる」供養は必要ありません。 やめても大丈夫です。 写経はやめても続けても、どちらでもオーケーです。 というのは、成仏したあとも、写経はサポートとなるからです。 せっかく知らせに来てくれても、夢を覚えていない、もしくは、うまく夢に反映させることができなくて、夢を見ていない……ということも考えられます。 そこで、だいたいの続きをみる
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