関帝は財運の神様(仏様なのですが、中国や台湾では神様とされています)として信仰を集めています。 前々回、写真でご紹介しましたように、赤いたんざく(リボン)に書かれている願いを見ても、ほとんどが「求財」でした。 どの国の人もお金は必要ですし、理由はさまざまでしょうが、できればたくさん稼ぎたい、できればお金持ちになりたいと考えるのは同じだと思います。 けれど現実は……真面目に働いているのに生活が苦しかったりします。 人一倍働いても余裕がない経済状態で、できればもっと裕福になりたいと願う人は少なくないのではないでしょうか。 世界中で多くの人が、どうして自分はお金をたくさん持っていないのだろう? と考えながらも、一生懸命に働く…… このような世の中を思うと、人間ってなんだろう、生きるってなんだろう……という難しい問題にぶつかります。 すると、関羽さんがこう言いました。 「それが人間だ」 お金をほしいと思う、でも簡単には手に入らない、あれこれ悩む、ある日思いがけないところから転がり込んだりすることもある…… それにより、泣いたり笑ったりという感情の体験ができるそうです。 悲しかったり、嬉しく思ったり、というメリハリがあります。 さらに、「どうして」「なぜ」から始まって、人生とは? 生きるとは? ということも考えます。 それが大事なのだそうです。 戦いに関しても、本当はしてはいけないことです。 神様仏様は、神様同士、仏様同士で戦ったりしません。 でも人間は、同じ人間同士で戦います。 それは、人間だから、戦うそうです。 そこで、戦うことはいけないのでは? と考える、たとえば兵士が、自分が傷つけた人のことを思うなど、葛藤があったり、悩みがあったりします。 それが人間だと言うのです。 悩み、葛藤、苦しみ、楽しみ、喜び、そういうことを経験しながら、物事を深く考えて、どう対処するのか…… このような体験は、人間が思う以上に大事だと言っていました。 だからこそ、人生に価値がある、とも……。 わざわざ生まれてきたのは、そういう体験をするためであり、生まれてから一本調子でまったく何もない人生だったら意味がないそうです。 武士を例にすると、上に忠誠を尽くすのか、敵方に寝返るのか、選ぶことができます。 関羽さんは両方意味があると言います。 忠誠を尽くすことは自分を高めますし、道徳的に魂がたくさんのことを学びます。 寝返るほうも、人を裏切ったことを後悔したり、後味の悪い人生を送ったり、人から後ろ指をさされたりし続きをみる
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