キリスト教では聖母マリアを信仰している人が多くいます。 宗派や国、地域によって、信仰する人の割合や信仰の深さは違うようですが、聖母マリアが中心になっているという教会をあちこちで見てきました。(海外で、です) ヨーロッパは聖母マリア教会が多いように思いました。 ルルドに行くまでは、聖母マリアはキリストを産んだ人間であり、人間だったマリアさんが修行をして神様になっているのだろうな、と私はそう思っていました。 ルルドにあった教会は、聖母マリアがメインだったので、そこで初めて、聖母マリアとして信仰されている存在にお話を聞きました。(その時のお話は→コチラです) この時に、大天使マリアがキリストを地上に送る準備を手伝ったことを知りました。 日本の感覚で言えば、大天使マリアは、神格の高い、もともと神様です。 私にはキリスト教の基礎というか、キリスト教の色がついていません。 ですから、お姿を見た時に、そのまま大天使として見えました。 しかし、ルルドの泉の場所を教えてもらった、ベルナデットさんは同じ存在を見たのに、聖母マリアとして見たのです。 これは大天使マリアが見る相手によって、姿を変えているのかな? と思ったので、そこを質問しました。 すると、「見る者による」と言われました。 大天使マリアは非常に神々しく、でも優しくて、慈愛に満ちた、強いパワーを持った存在です。 その存在がパッと現れた「瞬間」に、ベルナデットさんの意識では、その存在はまさしく「聖母マリア」なわけです。 ですから、そのような意識が働いて、聖母マリアに見えるそうです。 言い方を変えれば、聖母マリアとして見ようと意識が働くので、そのように見えます。 けれど、私はクリスチャンではありませんし、聖母マリアがそのような存在であるという、知識がありません。 神々しい存在がパッと現れたら、山岳系神様かもしれないと思いますし、いや、八幡さんのような神様かもしれないとも思います。 もしかし続きをみる
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