須我神社の境内社のお話を2つ、続けて書く予定でしたが、2つめのお話がずいぶん遅くなりました。 この神社に行ったのは、去年です。 12月5日に書いた、面白い眷属がいるお稲荷さんの奥に、山道に入る鳥居があります。 鳥居の扁額には「社日神社」「御祖神社」という、2つの境内社の名前が書かれています。 このような山道を登って行きます。 上のほうに行くと雪が残っていました。3月に入ったばかりだったので、まだまだ寒かったのです。 竹林を通りすぎると、 2つのお社がありました。 左が「社日神社」で、 右が「御祖神社」です。 2つのお社の写真を撮っていたら、グイグイとすごーく引っ張られる感じがありました。「はて?」誰だろう? 何かあるのかな? と、そちらのほうへ行ってみたら、この看板があったのです。 「義綱神社」……人名です。 きっと、このあたりで活躍した武将が祀られているのだろうな、と思いました。 この時の取材は、他の時代の出来事に集中していたため、「武将は時代が違うな~」と思ったので、 「いいわ、行かんで」と、須我神社への道を戻ろうとしました。 すると、「おーーーーーい!」と、声が聞こえます。 「おぉぉーーーーーーい!」と、私を呼ぶのです。 「なんですかぁーーーーー?」 ←遠いので叫んで答えています。 「来てくれぬか~~~~~?」 義綱さんでしょうか、さすがに無視するわけにはいかず……行ってみました。 この坂道を下った、向こーーーーーうのほうに小さなお社が見えます。 行きました。ここをザクザクと沈みながら歩いたので、スニーカーが思いっきり濡れました~。 小さなお社ですが、鳥居が立てられています。 「南朝忠臣菅孫三郎義綱公御社」と書かれています。 祠は比較的、新しいです。 しかし……名前を見ても誰なのか、わからないのです。 「あの、すみません、お名前を存じ上げないのですが……」 「祝詞」 「え? ああ、はいはい」 というわけで、祝詞を大きく声に出して唱えると、 「すがすがしいのぉぉ~~~」と言います。 非常にさっぱりした感じで微笑んでいるので、私の方も嬉しくなりました。 「祝詞はすがすがしいですか?」 「そういう気持ちになる」 もとが人間の神様は、やはり祝詞に癒やされるようです。 「こんな山奥で、誰も来なかったら寂しいですね」 「うむ。墓だったらいいがの……」 「ああ、そうですね。お墓だったら、ずっとここにいなくていいですものね続きをみる
『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』