ここまでで見ていただいた、さまざまな肖像画ですが、中には幽霊が入っているものがあります。 もちろん、全部ではありません。 というか、数はそんなに多くないです。 どこかで書いたと思うのですが、〝絵〟に……う~ん、この表現だと、ちょっとわかりにくいですね。 〝絵の中〟に、神様は宿りにくいです。 「え? でも絵馬に宿るって言っていませんでした?」と思われた方がいらっしゃるかもしれません。 絵馬の場合は、描かれているその〝絵の中〟に入り込むのではなく、絵馬という〝物体〟に宿ります。 逆に、波動が低い存在(悪霊とか、幽霊とか、魔物など)は、絵の中に入り込むことができます。 さて、そこで、肖像画のお話です。 肖像画も絵ですし、古城という特殊な環境にありますから、中に幽霊が入り込んでいるものが各お城にありました。 モデル本人がその絵に入っている……のは、話としてまだわかります。 不思議なのは、モデルじゃない別人なのに、その絵に入っているケースです。 前回の記事「シュノンソー城」の最後にご紹介した男性の(ドアの上に掲げられている写真と、アップにした写真の男性です)、モデルは「フェリペ5世」です。 スペインの王らしいのですが、ルイ14世の孫だそうで、その関係で飾られているみたいです。 このフェリペ5世の絵に、別人が入り込んでいました。 モデルの人物以外でも入れるの? と思われるかもしれませんが、入れます。 古城の幽霊というと、ポルターガイスト現象で物が移動したり、何もないところで音がする…… 夜な夜な、本人が城内をさまよい歩く…… キャー! 怖いー! というふうに思われるかもしれませんが、現実はそんな感じではありませんでした。 幽霊たちは淡々としています。 フェリペ5世の絵に入り込んでいた幽霊に、成仏しなくていいのですか? ということを尋ねてみました。 その答えを要約しますと……。 古城にいる幽霊たちはみんな、幽霊でいることを〝本人が〟選んでいる、そうです。 成仏できる、道もわかっている、それなのに「俺はここにいる。向こうの世界には行かない」という強い意思を持って、幽霊のままいる、というのです。 宗教の違いかな、と思うのですが、「成仏してご先祖様という存在になり、子孫を守ってあげよう」という気持ちがまったくないようです。 死んだのちも個人は個人、みたいな感じです。 それはそれで考え方が違うんだなと、「へぇ~」と思ったのですが、興味が湧いたのは、フェリペさん(絵の中の幽霊は別人ですが、こう呼びます)の日々の過ごし方です。 みずから幽霊になってまで、一体何をしているのだろう? なんの目的があって成仏しないのだろう? と思ったので、そこのところを質問をしてみました。 「あの~、そこ(ドアの上です)で、何をしているのですか?」 「しもじもの者を見ている」 うわぁ、すんごい上から目線、と思いました。 この人は、ドアの上から、しもじもの者(一般の観光客のことです)が下を通るのを見たいがために、フェリペさんの絵に入ったようです。 なぜ、しもじもの者を見る必要があるのか……という答えがこちらでした。 「ふん、薄汚い貧乏人たちめ! どうだ、この城は! すごいだろう!」 ( ̄_ ̄ i) …………。 つまり……自慢しているのです。 毎日たくさん訪れる観光客、その人々を見ては、このように毒づいているようです。 お城の豪華さに目を見張って感嘆の声をあげている人、ほけ~っと見とれている人、一生懸命に写真を撮る人、同行者と興奮してお城の感想を述べている人など、観光客のそのような姿を見ると、むしょうに嬉しいらしいです。 嬉しくてたまらない様子でした。 「お前らにはこの城を買うことはできないだろう」「お前ら程度では住めないのだ」「羨ましがって、ただ見ることしかできない哀れな者たちよ」ということを、見下した感情をいっぱいに込めて言っていました続きをみる
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